
作家の読書道 第243回:砂原浩太朗さん
2016年に「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞してデビュー、長篇第2作『高瀬庄左衛門御留書』で野村胡堂文学賞、舟橋聖一文学賞、本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞、今年第3作の『黛家の兄弟』で山本周五郎賞を受賞と、快進撃が続く砂原浩太朗さん。歴史・時代小説に出合ったきっかけは? 本はもちろん、ドラマや映画のお話も交えてその源泉をおうかがいしました。
その1「バディものに惹かれる」 (1/7)
――いちばん古い読書の記憶を教えてください。
砂原:人生ではじめて読んだ本が何なのかは僕も知りたいですが(笑)、いま思い出すのは、『ありこのおつかい』という石井桃子さん作の絵本です。子どものとき読んでいた部屋の様子などもセットで覚えています。アリのありこちゃんがおつかいに出て、途中でカマキリに飲み込まれ、そのカマキリがムクドリに飲み込まれ...という話でした。ありこちゃんはお腹のなかで生きていて、飲み込んだ相手が困るようなことを叫んだりする。子どもって反復が好きだから、面白かったですね。大人になってから、この絵本を図書館で再発見したときは感激しました。
小さいころは保育園に通っていて、フレーベル館が出している月刊の絵本雑誌「キンダーブック」が届くのを楽しみにしていました。そのなかに「アンパンマン」の第一作があったんです。自分の頭を相手に食べさせて助けてあげる、という内容があまりにも衝撃的で(笑)。その後、シリーズが続いていることは知らなかったので、20歳前後のころアニメ化されると知って驚きました。友人に「こういう話なんだけど、どうやったら毎週続くと思う?」と話した記憶があります。そのとき相手はアンパンマンを知らなかったので、やはりアニメ化で一躍メジャーになったんでしょうね。
児童書では、『エルマーのぼうけん』『エルマーとりゅう』『エルマーと16ぴきのりゅう』の三部作が好きでした。同じ本を繰り返して読むことはめったにないのですが、これだけは何度も読んでいて、今でも当時の本を持っています。エルマー少年と竜の友情や別れが描かれるんですが、もしかしたら僕がバディものを好きな原点はここまで遡るのかもしれない。個性の違う2人がタッグを組み、いろいろな困難に立ち向かったり友情を育んだりする話が好みなんですが、それはこの後お話しするシャーロック・ホームズものの影響が大きいと思っています。でも今回、この取材を受けるにあたっていろいろ思い出すなかで、エルマーシリーズの影響もあったのかなと考えました。
このシリーズの作者ルース・スタイルス・ガネットさんはかなりのご高齢なんですが、2018年に来日されたんですね。新聞にイベントの告知が載っていたので喜び勇んで応募したんですが、すでに満席。あれは本当に残念でした。
――振り返ってみて、どういう子どもだったと思いますか。
砂原:友達と外で野球をしたり、近くにあった城跡の石垣から飛び降りたりもしていたので、完全なインドア派ではなかったけれど、おもな関心はフィクションや物語にありました。
1人で過ごす時間が長かったんです。保育園のお迎えがいつもいちばん遅くて。友達がみんな帰って1人で待っている間、絵本を読んだりテレビで「仮面ライダー」の再放送を見たりしていて、人よりフィクションに触れる時間が長かった。それを支えにしていたところもあったと思います。結局それはずっと続いていて、摂取するにせよ発信するにせよ、フィクションに支えられて生きている。フィクションあっての人生という意識はすごくありますね。それがなかったら何をしていいのか分からない(笑)。
――漫画なども好きでしたか。
砂原:媒体の区別なくいろいろ読んでいたので、漫画も好きでした。オーソドックスですが『ドラえもん』とか、石ノ森章太郎(当時、石森)作品とか。手塚治虫の『鉄腕アトム』や『火の鳥』も読みました。『火の鳥 未来編』は小学2年生くらいの時に親が買ってきたんですが、人類が滅亡する話なので、すごくショックを受けました。もうちょっと与える時期を考えるべきだったんじゃないかな(笑)。奇しくも同じころ祖母が亡くなったので、子ども心に「死とは何か」と考えました。人間は死ぬ、人類もいつか滅びてしまうんだと思い、しばらくは虚無感に襲われていましたね。小学2年生にして人生のはかなさに触れてしまったわけで、この辺は今に繋がっている気がします。
同じ小学2年のときだったと思いますが、夏休みに親類の家へ遊びに行きました。といっても同世代の子どもがいるわけではなかったので、けっこう退屈なんです。そうしたら「これでも読んだら」といって、何冊か本を渡されました。それが星新一の『ボッコちゃん』とシャーロック・ホームズだったんです。
まずは星新一さんに魅了されました。星作品に出合ったことで、突如として自分の中で児童書の世界が終わり、大人の小説世界に入ってしまったんです。今にして思うと、もうちょっと遅くてもかまわなかったはずですが(笑)。子どもの本って実は純文学的なところがあって、意外とオチがなかったりするし、ストーリーより言葉のリズムの面白さが重視されていたりする。大人向けの小説は基本、読者を飽きさせないように作ってあるので、その面白さを知ってしまうと、なかなか児童書に戻れなくなりますね。
星作品の影響はほんとうに大きくて、このとき同時に、人生の舵が小説そのものの方へ切られた気がします。それまでは漫画もテレビも本も区別なく楽しんでいましたが、小説というものが自分の中で明らかに最上の存在となりました。
――星さんのショートショートやホームズはどのあたりが好きだったのでしょう。
砂原:星作品はショートショートだけでも1001篇以上ありますから選ぶのが難しいんですが、そう聞かれた時になぜかいつも思い出すのが、『ボッコちゃん』所収の「程度の問題」という話です。あるスパイが外国に潜入するんですが、用心深すぎてかえって挙動不審になり、人目を引くからと更迭される。かわりにのんきな男が後任に選ばれたところ、警戒心がなさすぎて盗聴されても気づかず...というストーリーです。好きな作品は他にもたくさんありますが、どういうわけか、それが浮かんでしまいます。子どもなりに人生の真理みたいなものを感じたのかもしれません。
星作品とともに手に取ったホームズものは『シャーロック・ホームズの冒険』だったので、最初に読んだのは巻頭の「ボヘミアの醜聞」ということになりますね。ホームズのシリーズからバディもののエッセンスを叩き込まれたと思っています。今回、『エルマーのぼうけん』まで遡るのかもしれないと気づいたわけですが、バディものが好きだと自覚的に感じたのは、やはりホームズとワトソン、ポワロとヘイスティングズといった探偵ものを読んでからですね。
――そこから他のミステリ作品も読むようになったのですね。
砂原:はい、星作品とホームズに続いて、ミステリを耽読するようになりました。アガサ・クリスティや、当時小学校の図書室には必ずあったポプラ社の江戸川乱歩シリーズ。ポプラ社のシリーズって、前半は少年探偵団もので、後半は乱歩の推理小説を子ども向けにリライトしたものなんですね。僕は前半には見向きもせず、後半の明智小五郎ものばかり読んでいました。全部読んでしまったので仕方なく前半の少年探偵団ものを読みはじめたら、物足りないんですよね。「子どもがこんなに大活躍できるわけない」と思うし、怪しい人が登場すると「これが二十面相なんでしょう」と思ってしまって、シリーズ後半ほどにはのめり込めなかったです。でもあのシリーズって不思議で、子どもを意識して不倫などはカットしているのに、残虐な描写はけっこう残ってるんですよ。リライトしようのない『パノラマ島奇談』などはそもそも入ってないんですが、たとえば『魔術師』では、生首が波間にぷかぷか浮かぶ場面がそのまま書かれていて、子どもながらに教育上これでいいのか、と思いました(笑)。
そうやってミステリを読むなかで、小説家になりたいと思うようになりました。10歳の時には宣言していましたね。というのも、小学4年生が終わるころ、将来何になりたいか発表する時間があって、「作家」と言った記憶がはっきりとあるんです。小学2年生くらいまでは漫画の原作者になりたいと言っていたので、3年生から4年生にかけてのどこかで変化が起きたんでしょうね。はっきりしたきっかけがあったわけではなく、小説に読みふけるなかで自然とそうなっていったんだと思います。
――小学2年生のころに漫画原作者という仕事があるとわかっていたのですか。
砂原:漫画のトビラに「原作者」って書いてありますから、理解はしていました。自分の絵がそうとう下手なのは子ども心にも分かっていて、漫画家という線はないなと(笑)。ちょうど近所に絵のうまい子がいて、僕が原作、彼が絵を担当して漫画家になろうという話をしていたんです。結局彼は人形劇の美術家、僕は小説家になりましたから、お互いすごく違うところには行ってないですね。
――国語の授業は好きでしたか。
砂原:好きでした。理数系が苦手だっただけに、よけい(笑)。あと、作文もけっこう得意でした。ただ、作文って自分のことを書くわけですよね。そうではなくて、僕はやはりお話の方が書きたかった。
今思い出しましたが、小学4年生のとき、「だ・である」調で作文を書いたら「です・ます」調に直されたことがありました。その先生が好きだったこともあって特に嫌な気はしなかったのですが、ああ、大人が思っている10歳くらいの子どもは「です・ます」調で書くんだ、みたいな妙に醒めたことを実感しました(笑)。
――4年生のころから、どういうものを書く作家になりたいと思っていたのでしょう。
砂原:そのころはミステリ作家になりたいと思っていて、自由帳に少年探偵ものを書いたりしていました。ほかにはホームズつながりで、コナン・ドイルの『失われた世界』という、秘境で恐竜に遭遇する話から影響を受けた冒険ものなんかも書いていましたね。
でも、小学校5年くらいでクリスティの『アクロイド殺害事件』(創元推理文庫版)を読んで、こんなにすごいトリックがあるのかと衝撃を受けて。これを書かれたら、もう自分が付けくわえることはないと痛切に感じました。当時、推理小説はトリックがすべてだと考えていたんです。今なら社会派ミステリなどいろいろあるとわかるんですが。大げさにいうと、進むべき道を見失ってしまった状態ですね。
そして、そんな時期に、歴史と出合うわけです。