作家の読書道 第244回:小川哲さん
2015年に『ユートロニカのこちら側』でハヤカワSFコンテストで大賞を受賞しデビュー、『ゲームの王国』が日本SF大賞と山本周五郎賞を受賞、『嘘と正典』が直木賞候補になり、現在新作『地図と拳』が話題の小川哲さん。今もっとも注目を浴びているSF界の新鋭は、どんな本を読んできたのか。作家を目指すきっかけなども含めたっぷりインタビューしました。
その3「ウィトゲンシュタインで文転」 (3/7)
――大学進学の際は、どのように進路を選んだのですか。
小川:いろんな要素があるんですけど、まず、一人暮らしがしたかったんです。親に国立だったら一人暮らしさせてあげると言われたのが大きいのかな。それで高校3年生の時にめちゃくちゃ勉強して、高校で理系クラスだったので理系に進んで。東大は入ってから学部を選べるので、どこに入るのかはそんなに考えていませんでした。
――一人暮らしが始まって、読書生活は変化がありましたか。
小川:めちゃくちゃ本を読み始めたのは一人暮らしが始まってからですね。大学1年生で最初に沢山読んだのは村上春樹。15歳の時に『海辺のカフカ』が出て、テレビで紹介されているのを見ながら母親に「あんたは家出しないでね」などと言われ(笑)、それで意識するようになって。大学1年生の時にデビュー作から順に読んでいきました。『アフターダーク』が出たのが2年生の時だったかな。
時系列が前後しているかもしれませんが、村上龍さんも絶版になっている本まで手に入れて読みました。町田康さんも全部読みました。『告白』が出た頃くらいだった気がします。
それと、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』みたいなものも読んだほうがいいかなと思って読んだら、面白かったですね。
――大学ではサッカーのサークルに入ったのですか。
小川:そうです。サークルでちょっとだけ町田康を流行らせました。町田康って普段本を読まない人も楽しめると思うんですよね。『パンク侍、斬られて候』から入らせるのがいいですね。カズオ・イシグロも流行らせました。僕がやらなくてももう『わたしを離さないで』が流行ってましたけど。
カズオ・イシグロにハマった友達に『グレート・ギャツビー』をあげたら、「登場人物が多すぎてよく分かんなかった」て言われたんですよ。僕は小説を読んでいて登場人物が多すぎてよく分かんなかったって思ったことは一度もないんで、そういう読書の感想もあるんだと発見になりました。
「翻訳小説は名前が憶えられない」と言う人もいますよね。それは作家になってから知りました。翻訳小説を読み慣れている人だったら、名前を憶えられなくてもその都度思い出したり、「まああのへんの誰かだろう」ぐらいで読み進めたりするじゃないですか。でも、普段翻訳小説を読んでいないと、名前がカタカナだというだけで固まっちゃう人もいるんだな、というのも発見でした。
――小説以外で、数学系や理論系の本もよく読まれていたのですか。
小川:それで言うと、僕が文転するきっかけになったのが、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』でした。分析哲学の始まりみたいな本といえばいいのかな。ちょっと異質な哲学書です。大雑把に言うと、これまでの哲学者が哲学の問題としてきた「生きる意味は」とか「道徳は」とか「善とは」とか「神とは」といったことは全部、実は哲学の問題じゃなかったと証明しようとしている本です。要は、問いの立て方が間違っていたからみんな答えられなかったんです、みたいなことを言っている。すごく論理的に世界や言葉を定義しようとしていて、それを読んでから、そうしたことに興味を持ちました。
――なぜウィトゲンシュタインを手に取ったのでしょう。
小川:これは諸説ありますね。生協で本が光ったような気がするし(笑)。他の人から薦められた可能性もあります。野矢先生説も有力ですね。野矢茂樹先生という、ウィトゲンシュタインの翻訳とか解説本とか書いている先生の授業が面白かったんです。
僕はもともと数学が好きだったんですけれど、数学の正しさとは何かみたいな問題を考えるようになって、ゲーデルの『不完全性定理』を読んだりしていたんです。数学は正しいとされているけれど、なぜ正しいのかは誰も説明できない。数学の正しさを数学的に証明しようという流れもあったんですけれど、ゲーデルは数学の正しさを数学で証明することは数学的に不可能だと証明したんですよね。そういう数学基礎論に興味があったので、ウィトゲンシュタインにもいったんでしょうね。それが大学院でアラン・チューリングを研究することに繋がっていくんですけれど。