第244回:小川哲さん

作家の読書道 第244回:小川哲さん

2015年に『ユートロニカのこちら側』でハヤカワSFコンテストで大賞を受賞しデビュー、『ゲームの王国』が日本SF大賞と山本周五郎賞を受賞、『嘘と正典』が直木賞候補になり、現在新作『地図と拳』が話題の小川哲さん。今もっとも注目を浴びているSF界の新鋭は、どんな本を読んできたのか。作家を目指すきっかけなども含めたっぷりインタビューしました。

その6「注目の新作『地図と拳』」 (6/7)

  • 百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)
  • 『百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)』
    ガルシア=マルケス,ガブリエル,Garc´ia M´arquez,Gabriel,直, 鼓
    新潮社
    3,080円(税込)
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  • 地図と領土 (ちくま文庫)
  • 『地図と領土 (ちくま文庫)』
    ミシェル ウエルベック,Houellebecq,Michel,歓, 野崎
    筑摩書房
    1,540円(税込)
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  • 昭和16年夏の敗戦-新版 (中公文庫 (い108-6))
  • 『昭和16年夏の敗戦-新版 (中公文庫 (い108-6))』
    猪瀬 直樹
    中央公論新社
    792円(税込)
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  • 虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)
  • 『虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)』
    伊藤計劃,redjuice
    早川書房
    792円(税込)
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――大学院を辞めたタイミングは。

小川:2019年の3月かな。いろんな出版社から執筆依頼がきて、集英社で連載の仕事をもらって、この先10年くらいは仕事がなくならないだろうと思ったので。大学院に入ったままだと学費がかかるので辞めましたが、研究職に年齢制限はないので、最悪の場合また大学院に戻ってもいいかな、くらいの気持ちでした。

――2019年に短篇集『嘘と正典』を刊行されましたが、その頃にはもう大長篇『地図と拳』の連載も始まっていたわけですね。

小川:短編は連載開始前に書いたものがほとんどだったんですけれど、表題作は書き下ろしで、発売の直前まで書いていたのであれは本当にきつかったです。他の短篇のゲラを出して、それが戻ってくるまでに書き下ろしをやって、それと『地図と拳』の連載が重なってもう大変で、それで休載しました。

――『地図と拳』は日露戦争前夜から始まり、満洲が暴力にさらされた時代が描かれますが、これも、もしかして満洲について知識があったわけではなかったんですか。

小川:知識ゼロでした。当時の編集者に「満洲の大同都邑計画の話を書きませんか」って言われて、面白そうだなと思って。実際にあった都市計画は実現しなかったので、実現した話を書くことにしました。

――主な舞台となる満洲の李家鎮(リージャジェン)、のちの仙桃城(シェンタオチョン)という町が生まれて、やがて......というイメージが最初にあったわけですか。

小川:それはありました。最初にこの都市が主人公の『百年の孤独』みたいな話を書こうとは思っていました。

――ああ、李家鎮は『百年の孤独』に出てくる村、マコンドなんですね。

小川:そうですね、『百年の孤独』とはまったく違う話ですけれども。ガルシア=マルケスは学生時代の岩波文庫1000本ノック時代に単行本で読んで、好きだなと思って他の作品も読んでいたんです。
 でも、『ゲームの王国』のほうがガルシア=マルケスのイメージですね。『地図と拳』の中で起こっていることは、中国の作家、莫言のイメージでした。

――現地取材は行かれたのですか。

小川:連載開始がコロナ前だったので、行けたんですよ。編集者と2人で2~3週間くらい、東北地方の都市をまわりました。ハルビンから長春、瀋陽を経て大連に行って、途中で撫順にも寄って。一度も現地で飲み明かしたりせず、お互いの部屋に直帰するようなかなりストイックな旅でした(笑)。
 現地のガイドにもついてもらったんですが、ハルビンのガイドの人が建築に詳しくて、「これはロシア人が建てたバロック建築です」「こればバロック建築に見えますが中国人が建てたものです」とか、かめちゃくちゃ丁寧に教えてくれて。これは本に活きていますね。

――本作では建築というモチーフがすごく重要ですよね。もちろん地図についても、その歴史の話も含めて面白くて。建築や地図が人間の営みにどう影響を与えたか、それが政治や戦争とどう結びついたか、自分の中でとらえ方が変わりました。

小川:連載前に早くタイトルを決めてくださいと言われたんですが、僕はプロットを作らずに書くので、なるべく作品を限定しないタイトルにしたかったんですよね。いろんな可能性を含んだタイトルのほうが、その後の自分をバインドせずに自由に書けるんで。
 満洲の都市計画の話だから「建築」は頭にあったんですが、「建築と戦争」では新書のタイトルみたいなので、それを別の言葉で言い換えたタイトルにしましょう、という話になって。それで、「建築」を「地図」にして、「戦争」を「拳」にしたんです。書きながら、「地図」は直接戦争と結びつくんだと分かってきて面白かったですね。良いタイトルしたなって思いました。
 ウエルベックの小説に『地図と領土』というタイトルがありますが、『地図と拳』のほうが絶対いいタイトルだなと思っています(笑)。「こぶし」を「けん」と読む人もいるんじゃないかとは思ってますけれど。

――作中、炭鉱が抗日ゲリラに襲われて、日本軍が周辺の村の無関係な人々を虐殺する場面もありますが、あれは実際にあった事件ですよね。

小川:はい、平頂山事件ですね。

――実在の歴史的人物ももちろん出てくるし、名前に言及されていなくても、これは石原莞爾だなとか、これは本多維富だなと分かる部分もありますよね。どれくらい史実がベースになっているのかなと思って。

小川:全部史実といえば史実なんですよね。戦闘場面で起こってることとかは、なるべく史実に沿って書いてるし。李家鎮という村自体は嘘ですけれど、満洲がどういうものだったのかというのは、この小説を通じて大枠を掴めるようにしようと思っていました。
 たとえば、作中に戦争構造研究所というのが出てきますが、これは猪瀬直樹さんの『昭和16年夏の敗戦』に、当時、総力戦研究所というのがあって開戦前に仮想内閣を作り、戦争起こしたらどうなるかシミュレーションしていたと書かれてあったんです。
 たしか編集者に「SF要素を入れてください」みたいなことを言われたんですよね。僕がSFの作家だからSFとしてもちょっと売り出せるようにという発想かどうかは知らないですけれど(笑)、そこで猪瀬さんの『昭和16年の敗戦』を思い出して、戦争構造研究所という未来を考える機関を出すことにしました。

――この機関を作った人物がものすごく興味深くて...って、あまりネタバレになることは書けませんが。

小川:彼が活躍するというのは決めていました。これは書きながら気づいたことなんすけど、第二次世界大戦についての小説って、最終的に日本が負けるという究極的なネタバレがありますよね。そのネタバレを知っている人が作中にいたほうが、ストレスなく読めるんじゃないかなっていう。普通は作中の人は全員、戦争に負けるって知らないけれど、誰か1人ぐらい、「いや、負けるでしょう」と思っている人がいたほうが、現代から戦争を見たときの視点として入っていきやすい気がして。そうと読者が意識しなくても、そういう効果はあるんじゃないかなと思いました。最初、あの人物は伊藤計劃の『虐殺器官』のジョン・ポールみたいなイメージだったんですよね。ちょっと違っちゃいましたけれど。

――それにしても、小川さんはプロットを立てずに書かれるんですか。

小川:逆にプロットを立てたら無理ですね。書きながら調べて分かったことが新しい要素になったりするんで。たとえば須野明男という男があの町で何を作るかも、事前には分からなかったことですし...。

――須野明男も読者から人気がありそう。体感だけで正確な体温や気温を当てられるという。

小川:実際に内藤廣先生という東大の先生が、自分で温度を当てるように訓練したっていう話があって、僕、その話がめっちゃ好きだったんです。それを究極系に発展させたキャラクターを出そうと思いました。巻末の参考文献に内藤先生の『構造デザイン講義』『環境デザイン講義』『形態デザイン講義』を載せていますが、これらの本の中でもそういう話をしているので、読めば僕が明男というキャラクターを作る上で内藤先生からどんな影響を受けているか分かります。

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