第244回:小川哲さん

作家の読書道 第244回:小川哲さん

2015年に『ユートロニカのこちら側』でハヤカワSFコンテストで大賞を受賞しデビュー、『ゲームの王国』が日本SF大賞と山本周五郎賞を受賞、『嘘と正典』が直木賞候補になり、現在新作『地図と拳』が話題の小川哲さん。今もっとも注目を浴びているSF界の新鋭は、どんな本を読んできたのか。作家を目指すきっかけなども含めたっぷりインタビューしました。

その4「岩波文庫を1日1冊」 (4/7)

  • 堕落論・日本文化私観 他二十二篇 (岩波文庫)
  • 『堕落論・日本文化私観 他二十二篇 (岩波文庫)』
    坂口 安吾
    岩波書店
    1,001円(税込)
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    honto

――理系から文系に移ったのはいつだったのですか。

小川:3年です。で、文転することになった時に、今まで体系だって本を読んでないから、このまま文系に行ったら恥をかくと思ったんです。それで、岩波文庫を端から全部読むってのをやったんですよ。
 1日1冊と決めて、岩波文庫の緑(国内文学)、赤(海外文学)、青(哲学・宗教など)の順で1冊ずつ読んでいきました。だからいまだに家に岩波文庫が大量にあります。
 世界的な名作みたいなものはこの時期に読みました。スタンダールとかフローベールとか夏目漱石とか太宰治とか...。谷崎潤一郎は好きでだいたい全部読みました。

――読むスピードは速いのですか。

小川:たぶん普通ですね。何時間かかけて、ようやく一冊読める。哲学系の本はプラトンとかショーペンハウアーとか、薄くて読みやすいものから順に読みましたが、難しいものは2日か3日に分けたりもしました。
 哲学系の本って、古ければ古いほど読みやすいんですよね。問われている内容が子どもの発想に近いというか、分かりやすい。プラトンとかアリストテレスまで遡ったほうが、神とは何だろう、善とは何だろう、人間は何のために生きてるんだろうといった素朴な内容なんですが、現代に近くなるほど、どんどんハイコンテクストになっていく。ニーチェのような例外はあるんですけど。

――文転してからは、どのような研究をしていたのですか。

小川:学部生時代は坂口安吾の研究していたんです。国内の作家のなかではかなり好きな人ですね。全集を読むとつまらない小説はめっちゃつまんないんです。太宰治なんかはそんなにつまらなものがないし、ほとんどの作品が文庫になっているじゃないですか。でも安吾は全集にしか入っていないものも多いし、それも読めたもんじゃなかったりする。作家としての天才度でいうと太宰のほうが上だと僕は思うけど、でも安吾が好きなんですよね。
 安吾って、ひねくれた人なんですよ。『堕落論』とか『日本文化私観』も斜めから見ていて、でも本質を突いているというか。なんか、その世界との距離の取り方が心地よくて好きだった気がします。あと、安吾って酒飲みなのに酒の味が分からなかったらしく、酔っ払いたいから鼻つまんで我慢して飲んでいるんですよ。僕も酒の味が分からないんで、そういうところも好きでした(笑)。松本清張にミステリを書かせたり、横溝正史が売れる前から才能に気づいていたりしているところも好きですね。

――では、卒論は安吾だったのですか。

小川:安吾研究で卒論を書いたんですが、大学院試に落ちまして。院試では第二外国語も必要だからスペイン語もちゃんと勉強しておけと言われていたのに、「まあ受かるだろう」とまったく勉強してなかったら本当に落ちたんです。
 僕、指導教官が松浦寿輝先生だったんです。もう退官されていますから、僕は松浦先生の最後の生徒だったと思います。松浦先生は、びっくりするくらい穏やかで優しいのですが、院に落ちたときはちょっと怒られて(笑)。卒論が受理されると卒業しなくちゃいけないので、受理しないで留年扱いにしてもらって、翌年もう一度、卒論を中上健次で書いて、院試を受けました。

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