
作家の読書道 第252回: 木村紅美さん
2006年に「風化する女」で第102回文學界新人賞を受賞しデビュー、2022年には『あなたに安全な人』で第32回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞した木村紅美さん。幼い頃から本が好きで中学高校では文芸部に所属、一時期は音楽ライターになりたいと憧れ、大学では映画史を学んだという木村さんが親しんできた本、そして辛い時期を支えてくれた作品とは? リモートでたっぷりとお話おうかがいしました!
その1「好きだった絵本、小説、アニメ」 (1/7)
――いちばん古い読書の記憶を教えてください。
木村:今までこのコーナーに出ている作家の方々ほど詳しく憶えている自信がないのですが、子供の頃はとにかく絵本好きだったようです。
うちは父親が転勤族だったので何度も引っ越しをしているんですが、東京の杉並区永福町に住んでいた3歳の頃に双子の妹が生まれまして。双子の世話の合間に母が私を近くの図書館に連れていってくれたんですが、いつも私は喜んで、飛ぶような勢いで走っていたそうです。双子の世話で母が忙しい時でも、私は一人で、ずーっと絵本を読んでいるので、「絵本に助けられた」と、母がよく話しています。
――記憶に残っている絵本はありますか。
木村:母によると、矢川澄子さんが翻訳した外国の絵本を気に入っていたそうです。
後からまた話しますが、中学生の時に澁澤龍彦が好きになり、矢川さんが澁澤の最初の妻であると認識したのは、いつだったか...。20代で東京でたまのライヴへ通っていて、よく客席でお姿を目撃していた頃かもしれない。妖精のような初老の女性が、矢川さんでした。私が28歳の時に自殺されて悲しんでいたら、母に「あなたは子供の頃、矢川さんが翻訳した絵本を特に喜んで読んでいた」と言われたんです。母によると、矢川訳のは内容も絵も、子供に対する媚びのないものが多かったそうです。
亡くなられた後に出た「ユリイカ」臨時増刊の矢川特集号に絵本の翻訳の仕事も全部載っていたんですが、それを見ても、どれが好きだったか思い出せなくて。
私があまりに繰り返し借りて読むので、ついに買ってもらえた矢川さんの絵本が一冊あったんですが、度重なる引っ越しで行方不明になり題名も忘れちゃって。子供たちが外で遊んで、花を摘んで帰ってきて花瓶に飾り、朝になったら花瓶に蜘蛛が巣をはっていた、というストーリー。2020年10月に東京のアパートを引き払い、盛岡の実家へ引っ越したのですが。その際、押入れから発見されたんですよ(笑)。『みんなともだち』という絵本で、翻訳ではなく珍しく矢川さん文のもので、絵は市川里美さんで、冨山房から出ていました。40年以上ぶりに再会できて嬉しかったです。
――幼稚園時代はずっと永福町ですか。
木村:いえ、福岡に引っ越しました。博多からも近い、小笹という町です。幼稚園に入ったら、自分で絵本を作る課題がありました。画用紙にクレヨンで絵と文を描いて、テープでまとめるという、簡単なものです。松谷みよ子さんの何かを真似た絵本を作りました。大人になって見返したら支離滅裂な内容(笑)。その課題が出たのは1回か2回でしたが、私は個人的に大量に作るようになり、段ボールいっぱいになったのを憶えています。
――松谷みよ子さんもお好きだったのですね。
木村:具体的にどれが好きだったのかは憶えていないんです。今、2歳の甥と一緒に暮らしていますが、0歳の頃から『いないいないばあ』を読んであげて、これも松谷さんだと気づいて。甥が初めてちゃんと言った言葉が「いないいないばあ」。現代の子供の気持ちもしっかりとらえるものを書かれていて、偉大だなと思いました。
――『ちいさいモモちゃん』シリーズとかありましたよね。
木村:あ!大好きでした! ああ、小学校に入ってからも『ちいさいモモちゃん』を真似した絵本を書いていた気がします。言われると思い出しますね。
――小学校に入ってからはどのような読書を?
木村:1年生の頃に、親が子供向けのギリシア神話の本を買ってきて、なぜだかハマって読み耽り。あそこに登場する神様の名前などはそれで一通り憶えました。福岡には小2までいて、小3から千葉県の新検見川に引っ越しました。
――引っ越しのたび、新しい環境にはすぐ順応できたんですか。
木村:うーん、むずかしかったです。福岡から千葉に移った時は、バリバリの博多弁を喋っていたみたいで、何を言っても「言葉遣いが変だ」とからかわれました。福岡と千葉では社宅に住んでいて、そこの子供同士の人間関係にも馴染めなかった。
小6の夏に宮城県の仙台市に引っ越したんですが、クラス内で最悪ないじめに遭いました。男子には殴る蹴るの暴力をふるわれ、女子には無視とか仲間外れにされました。人間関係の苦労、女子同士のグループに入っていけない疎外感は、私の小説に滲んでいると思います。どうしても孤独を書いてしまいますね。
ただ、本はずっと好きでした。小2、3の頃には『若草物語』、『不思議の国のアリス』、『メアリー・ポピンズ』、『長くつ下のピッピ』あたりが好きでした。『大草原の小さな家』シリーズにもハマって、なかでも『大きな森の小さな家』は繰り返し読みました。
――海外の名作が多かったのですか。
木村:そうかもしれません。日本のものだと『赤い蝋燭と人魚』にはこんな終わり方がありなのかと暗さに衝撃を受けました。誰も幸せにならないのにビックリして。そういわれると、『ごんぎつね』『スーホの白い馬』といった辛い結末のもののほうが印象に残っていますね。『銀河鉄道の夜』もその齢の頃からずっと好きですが、あれも辛いですしね。
――その頃、将来何になりたいと思っていましたか。
木村:小2の時の文集に「作家になりたい」と書いていました。小3の時には、「小説を書きましょう」という授業があって、風船をテーマにして書いたのを憶えています。
――作文の課題は好きでしたか。
木村:面倒くさいので下書きもせずに一気に原稿用紙5枚くらい書いたものがコンクールで優秀賞をとったりしていて、好きというより得意なのかなと思っていました。読書感想文も同様です。小4の夏に「スプーンおばさん」の原作を読んで感想文を書いたのは憶えています。ちょうどアニメも放送されていて。
――アニメはよく見ていましたか?
木村:そうですね。幼い頃は「山ねずみロッキーチャック」や「アルプスの少女ハイジ」。のちに、宮崎駿さんや高畑勲さんが関わっていたと知ることになるアニメが好きでした。
小4の時に「名探偵ホームズ」という、シャーロック・ホームズたちが犬になったアニメがあったんです。夢中で見ていて、なかでも「青い紅玉(ルビー)」「ドーバー海峡の大空中戦!」といった回が名作で大好きだったんですけれど、その脚本を書いたのが片渕須直さん。映画『この世界の片隅に』公開時、片渕監督が過去に手掛けてきたものが話題になっていて、初めて知りました。矢川澄子さんの訳された絵本のように、子供向けのアニメでも、子供に媚びないで作っている本物ってわかるんですね。
そのアニメの影響で、コナン・ドイルのホームズのシリーズも読むようになりました。江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズにも熱中して、夏休みに自転車で片道20分かかる図書館まで毎朝通って、1日の上限の4冊借りて、寝るまでに全部読み、次の日はまた4冊借りて読むという速読をしていました。怪人二十面相が出てこない話は陰惨なのが多く、表紙からして怖くて、後回しにしていました。でも全部読みました。乱歩は、のちに大人向けの小説も読み、「押絵と旅する男」「人間椅子」、「芋虫」など大好きになりました。
そうそう、高学年になると新井素子さんにハマっていました。当時出ていた新井さんの本は、漫画家の吾妻ひでおさんとの交換日記シリーズ含め、全部読みました。『ひとめあなたに...』は地球が滅びる前の一週間の話です。全ての交通機関が止まってしまって、主人公が、難病で入院している彼氏に歩いて会いに行く旅が描かれている。途中で遭遇する人々が、みんな、極限状態のなかで隠していた異常さをむき出しにしている。その異常さはどこか自分にも思い当たるところがある。名作です。
『あなたにここにいて欲しい』『二分割幽霊綺譚』あたり、フェミニズムの観点から読み返しても面白いんじゃないかと思う。今考えると、新井さんの小説って、女の子が恋愛に依存することなく自立していて。時代を先取りしていたと感じます。
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