
作家の読書道 第252回: 木村紅美さん
2006年に「風化する女」で第102回文學界新人賞を受賞しデビュー、2022年には『あなたに安全な人』で第32回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞した木村紅美さん。幼い頃から本が好きで中学高校では文芸部に所属、一時期は音楽ライターになりたいと憧れ、大学では映画史を学んだという木村さんが親しんできた本、そして辛い時期を支えてくれた作品とは? リモートでたっぷりとお話おうかがいしました!
その2「いじめられた日々を支えた小説」 (2/7)
――小6で仙台に引っ越されたんですよね。
木村:はい。いま思えば、佐伯一麦さんの『鉄塔家族』や『空にみずうみ』で主人公たちが暮す山の真下にある借家でした。環境はよかったですが、二学期から苛烈ないじめを受けました。その時期もやはり、本に支えられていました。新井さん以外に憶えているのは、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』と山田詠美さんの『風葬の教室』。
『はてしない物語』は、先に「ネバーエンディング・ストーリー」を観て好きだったから原作を図書室で借りて読んだんですが、映画で描かれた部分が終わってからが面白かった。完全に異世界を旅する気持ちで読みました。単行本の装丁が作中に出てくる本と同じで、子供心にうっとりしましたね。家に置いておきたくて、大人になってから買いました。
『風葬の教室』は転校先でいじめられる小5の女の子の話ですよね。母が買ってきてくれたんです。主人公の杏という女の子は怖ろしく冷めていて、自分を疎外する女子たちのあいだで人気がある男の先生を遊びで誘惑するくらい大人びている。憧れの目で読んでいました。大学生になってから、文庫で読み返しました。初めて読んだ時からもう10年近く経っているのに、当時の感情が封じ込められたみたいに、ぞっとするほど生々しく蘇るのに驚きました。大切な小説ですが、それ以来、開いていないです。
――以前発表された『まっぷたつの先生』は、元教師と、その教師と別々な時期に関わった2人の教え子、元教師の同僚という4人の女性の物語です。教え子の一人はその先生にいじめを放置された記憶があり、もう一人は可愛がられた記憶がある。あの話は小6の時の体験がベースにあるそうですね。
木村:私、転校したその日に学級委員にさせられそうになったんです。担任は産休間近の気弱そうな先生でした。転校初日、学級委員を決める話し合いの時に、生徒の誰かが「木村さんがいいと思います」と言い、先生が「木村さんでいいと思う人」と訊いたらクラス全員が手を挙げる、というヘンな事態になってしまって。そしたら先生が「みんな大嫌い!」と叫んで泣きだして、廊下に逃げ出したんです。不安でいっぱいになりました。
その先生が産休に入った後にきた代用の女の先生もやる気がなくて、いじめも見て見ぬ振りをするんです。自分が30歳を過ぎてから母に聞いたんですが、当時、面談で母が「娘がいじめられているようですが」と相談したら、「木村さんがはむかうからいけないんです」って答えたそうです。PTAの間では、彼女は関東から男を追いかけて仙台まで来た、とうわさになっていたらしい。
『まっぷたつの先生』を書く時に、そうした事情を教師をしている友人に話したら、「まず、その人事はありえない」って。6年生の担任は労力がいるから、産休をとる予定の先生に任せることはめったにない、代用の先生にしても、荒れているクラスを余所からきた若い人に任せるなんてありえない、上層部の判断がひどい、って。それを聞いて謎がひとつ解けた思いでした。子供には窺い知れないことですが、学校も会社のような組織で、先生も人事で苦しんだりするんだ、いじめを止める気がなかったのは許せないけれど、ある意味、あの人たちも被害者だったのかも、という面がわかったのはよかったです。
――中学校は大丈夫だったのですか。
木村:公立の中学校に進みましたが、複数の小学校が合流するマンモス校だったので、いじめた子たちがうまくばらけて。ずいぶんマシになりました。それに中学校で文芸部に入ったんですよ。部員は全員女子で、運よく生き延びる場所を見つけられました。
――文芸部ではどのような活動をしていたのですか。
木村:それが、いまで言う腐女子の巣窟(笑)。まだ中学生なのに、いまで言うBL、やおい系の小説を書いて印刷屋で製本してもらって、コミケに売りにいく先輩もいました。私も、先輩たちに感化された小説を書くようになりました。
私は「りぼん」「なかよし」などの少女漫画をほとんど読んでいなかった。むしろ「少年ジャンプ」が好きで、当時ハマっていた『キャプテン翼』をもとに、その手の小説を書いたりしました。岬くんが好きでした、旅する画家の父親の都合で転校生だったから(笑)
読書では、新井素子さんを見出したという星新一、いっぱい読みました。ハインライン、レイ・ブラッドベリも新井さんの影響で手に取り、ブラッドベリは『たんぽぽのお酒』『火星年代記』など、ずっと好きです。SFの賞に応募しようとしたこともありますね。でも私にはああいう独特の発想ができなくて、自分にはSFの才能がないと突きつけられました。本当は、遠い未来を舞台にしたり、超能力やパラレルワールドの出てくる小説を書いてみたいんですが。
――今からでも書いてみてはいかがでしょう。
木村:書けますかね(笑)。
それと、中2の頃から音楽が好きになりました。遊佐未森さんの初期のアルバムにどっぷりハマって。当時のプロデューサーは外間隆史さんという方で、アルバムの世界観を象徴するような掌編を歌詞カードに書かれていたんですよ。「空耳の丘」「ハルモニオデオン」「HOPE」に小説がついていました。憧れるあまり、文芸部の部誌に、稚拙に真似た小説を書いていました。
外間さんは現在は出版にも携わっていらして、『原民喜童話集』をご自身で起ち上げた出版・装幀・デザインレーベル、未明編集室から出したり、マーサ・ナカムラさんの詩集『雨をよぶ灯台』の装丁を手掛けたり、最近は、版画家の柳本史さんと組んで未明編集室から『雨犬』という絵本を刊行されたりしています。『雨犬』はペンキ職人の青年と老犬の、詩を読み、音楽を聴くことに支えられた、対等の暮らしを描いた大人向けの絵本です。大好きです。
それと、私の読書にどんな作家より多大な影響を与えたのは、たまです。「いかすバンド天国」で出てきたバンドで「さよなら人類」は国民的ヒットになりましたが、私は人気が落ち着いてからも聴きつづけ、ファンクラブにも入っていました。
――どのような影響を受けたのですか。
木村:メンバーたちがインタビューなどで好きだと名前を挙げていたのがきっかけで、萩原朔太郎や澁澤龍彦、稲垣足穂を読むようになりました。朔太郎の詩集は持ち歩いて暗誦していました。足穂との出会いも大きかった。なんてクールでいま読んでも新しいのだろうと。中3になると『一千一秒物語』を真似たつもりの小説を書いていました。題名に魅かれ『少年愛の美学』も熟読(笑)。
夢野久作が気になったのもたまの影響でしたが、あの作家にハマったら現世へ戻って来られないのでは、と怖くて。会社員になってから、ついに『ドグラ・マグラ』を読みました。通勤電車や、昼休みの公園のベンチで、あの得体の知れないおどろおどろしい世界へ逃げ込むように読むのがちょうどよかった。
これもミュージシャンの影響ですけれど、高野寛さんも「虹の都へ」大ヒットがきっかけで追うようになって。好きな作家に安部公房を挙げていたんですよ。それで『壁』に始まり『砂の女』『箱男』など公房もむさぼり読みました。
あと、新井素子さんがお好きということで北杜夫も読みました。「どくとるマンボウ」シリーズから始まり、よりによって、中3の受験期に大作『楡家の人びと』に夢中になって。成績が落ちました(笑)。公房は、さすがにわけわからないまま、でもかっこいい、と思い背伸びし読んでましたが。『楡家の人びと』は、中学生が読んでも本当に面白かった。授業中でも、机の下に本を隠しながら読んでいた。また読み返したい小説のひとつです。
でも同時に、田中芳樹さんの『銀河英雄伝説』も好きだったんですよ。こう話していると、中学生くらいの頃の趣味って、カオスですね(笑)。