第252回: 木村紅美さん

作家の読書道 第252回: 木村紅美さん

2006年に「風化する女」で第102回文學界新人賞を受賞しデビュー、2022年には『あなたに安全な人』で第32回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞した木村紅美さん。幼い頃から本が好きで中学高校では文芸部に所属、一時期は音楽ライターになりたいと憧れ、大学では映画史を学んだという木村さんが親しんできた本、そして辛い時期を支えてくれた作品とは? リモートでたっぷりとお話おうかがいしました!

その7「盛岡の日常と自作について」 (7/7)

  • 万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)
  • 『万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)』
    大江 健三郎,加藤 典洋
    講談社
    2,090円(税込)
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――いつ東京から盛岡に引っ越されたのですか。

木村:2020年10月の末です。盛岡市は今年、「ニューヨーク・タイムズ」紙の選ぶ「2023年に行くべき52か所」という特集でロンドンに次いで2番目に入ったのが話題になりました(笑)。徐々に観光客も増えてきているみたいですが、まだガラガラです。先日久々に上京し渋谷に行ったら、人混みに呑まれて泣きたくなりました。

――木村さんの作品って、人が移動したり移住したりする話が多い気がするんですが、そうして引っ越しを繰り返した経験が自然と反映されているんでしょうかね。

木村:そうですね。自然に出てくる感覚です。

――先ほどの、渋谷に来る用事があったというのは、昨年『あなたに安全な人』でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞された時のことかと...。

木村:いえ、その時は七尾旅人さんの渋公でした。絶対見たいライヴがあると、上京します。ドゥマゴ文学賞を受賞した時は、打ち合わせと授賞式の時と、2回渋谷に行きました。

――『あなたに安全な人』はコロナ禍が始まったばかりの頃の東北を舞台に、東京から実家に戻ってきて一人で暮らしていた女性と、沖縄の基地建設反対デモで警備にあたっていた男性が偶然出合い、奇妙な共同生活をはじめる話ですね。

木村:私は大学時代から沖縄好きで、たま経由の竹中労『琉球共和国』から始まって、沖縄についての本もつねに読んでいるんですね。ジャーナリストの森口豁さんの社会人向けの、ドキュメンタリー映像から沖縄史を学ぶ講義に通ったこともあるし。島尾敏雄で初めて読んだのは『新編・琉球弧の視点から』、大江健三郎さんは『沖縄ノート』で、お二人の場合、そこから『死の棘』『万延元年のフットボール』など小説も読むように。作家だと目取真俊さんは特別な存在。芥川賞の『水滴』も凄いですが長篇の『眼の奥の森』なんて世界文学だと思います。
 ここ数年は沖縄本島に行く時は必ず抵抗運動に参加していました。抵抗運動のことは上間陽子さんの『海をあげる』などにも書かれていますけれど。少しでも土砂を搬入する時間を遅らせるために座り込みをして、無理矢理どかされて、ダンプカーが大挙し入って来る、ということが繰り返されている。
 私が行った時は、抵抗側よりも機動隊員と警備員が多いという状況。そこで何度か、両手足を広げて機動隊員に運ばれるという経験をしたんです。痛めつけられながら、この運んでいる人の目を通した小説を書きたいと思いました。機動隊員は沖縄出身者が多く、内地に分断されているつらさがある。それよりは、余所から派遣されてくる人が多いらしい警備員を出そうと考え、そこから「忍」を作りあげていきました。

――ああ、男性主人公の忍が先にできたんですね。

木村:発想としては、誰かを傷つけた記憶で苦しんでいる男が先にいて、ならべるかたちで、似たような過失をして苦しんでいる女を一人だそうと思いました。それで、いじめを見過ごしたことで、いじめられていた子が自殺するきっかけを作ってしまったかもしれない、という苦しみを抱えている元女性教師ができました。2人が共同生活を送るというイメージが浮かんでいたんですが、きっかけを掴むのがむずかしかった。
 コロナ禍の初めのほう、岩手のとある町で東京からの移住者が集合住宅に入居させてもらえず、仮住まい先で謎の火事で焼死する事件があったんです。その方は岩手が好きで何度も通っていて、引っ越しがちょうど東京が緊急事態宣言を出した2020年4月で、感染を危惧されて入居させてもらえなかったそうなんです。それも小説に反映しました。

――新作『夜のだれかの岸辺』は、進学も就職もしていない19歳の茜が、ソヨミさんという高齢のご婦人の添い寝のアルバイトを始めるところから始まります。ソヨミさんは岩手県の出身で、幼い頃に東京からきた人買いに連れられていった友だちのフキちゃんのことを今でも気にしていて、夜うなされている。それで茜はフキちゃんを捜そうとする。

木村:2011年に東日本大震災が起きた時、私は下高井戸で暮らしていたんですけれど、盛岡の母から電話で聞いた話が基になっています。母は、岩手の内陸の紫波という町の出身者なのですが。昔はこういう天災があると、紫波にも、東京から人買いが可愛い女の子を捜しにやってきた、祖母の同級生でも売られていった子がいたという話を聞いて、強烈に印象に残りました。天災が起きると狙いすましたかのように人買いが来るなんて、地方も女性も搾取していると感じました。祖母の同級の子の行方が気になって、想像して書きたいなとずっと思っていて。だからこれは、フキさんという人物から生まれた話なんです。

――添い寝のアルバイトというのもユニークですよね。

木村:この小説のアイデアを考えている頃、私が当時1歳だった甥の添い寝をすることが多く、そこから発想しました。川端康成「眠れる美女」も頭にありました。

――茜とソヨミさんの間に友情めいたものが芽生える話かとも思いましたが、『雪子さんの足音』を書いた木村さんだから、そんな簡単な話ではないだろうと思ったら、その通りでした(笑)。

木村:ああ、そうですね(笑)。『雪子さんの足音』はアパートの大家の老人、雪子さんが下宿人の青年にお小遣いをあげたりご馳走を食べさせたりするけれど...という話ですよね。これは雪子さんの延長線にある話だともいえますね。

――茜は添い寝に対して生理的な嫌悪を感じる部分もあって、それは人買いに女の子が連れていかれる搾取の問題と重なってくると感じました。フキちゃんに関しては、ここでは明かしませんが、意外な展開がありますね。

木村:自分がいじめられた経験があるから思うんですけれど、いじめられた側は仕打ちを細かく憶えているのに、いじめられた側は憶えていなかったりするんですよね。しかもたぶん、いじめているとすら思っていない。そのずれは小説の核になっています。

――一方、茜が高校生の頃からこっそりと京都に通っていた出来事も綴られていきますね。京都の男性にあわい憧れを抱いたり、ひとつ年上の我妻という女性と親しくなったり...。

木村:久しぶりに一人称で書いたんですけれど、今までの作品より思いがけず自分が出ているかもしれません。憧れの男性に関して、茜はつねに微妙なことで傷つくんですよね。人によっては、笑い飛ばせて、傷、とも言えないようなことかも。でも茜は引きずってしまう。こういう微妙さは小説にしか書けないんじゃないかと思ってトライしました。

――今、日々の執筆のペースは。

木村:東京にいた頃よりも自分の時間がぐっと減りました。というのも、私が実家に移ったのと同時に、建築の仕事をしている双子の妹たちが岩手県内のプロジェクトに関わることになって、住民票は東京のままこちらへ来たんですよ。それで今一緒に暮らしているんですが、たまに甥の父親も東京から盛岡に来るので、最大7人家族になるんです。母は専業主婦なんですけれど、どう見ても大変そうなので手伝っています。甥も、いまのところ保育園に入れていないため、私が散歩とか面倒を見ています。家事と育児手伝いの合間に小説を書き、ネットをチェックし、本を読む日々です。

――では、今後の刊行予定などは。

木村:2020年に赤旗で「あの子が石になるまえに」という、沖縄の八重山諸島の伝承が出てくる長篇を連載したんですが、それを一人出版社の里山社から刊行しませんかというお話を頂き、大幅に書き直しているところです。里山社の清田麻衣子さんは以前から知りあいで、編集する本は大好きでよく読んでいました。それこそ去年出たイ・グミの『そこに私が行ってもいいですか?』という韓国の小説も素晴らしくて、2022年に読んだ新刊のベストワン。清田さんとならきっといい本になるし、実際に新たなイメージの湧くアドバイスをたくさん出してくれるので、じっくり直して、いいものにします。

(了)

  • そこに私が行ってもいいですか?
  • 『そこに私が行ってもいいですか?』
    イ・グミ 著,神谷丹路
    里山社
    2,530円(税込)
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