第259回: 多崎礼さん

作家の読書道 第259回: 多崎礼さん

数々のファンタジー作品で人気を集め、今年は全五巻のファンタジー大作『レーエンデ物語』(現在第三巻まで刊行)が大変な話題となっている多崎礼さん。幼い頃に指針をくれた作品、ツールを与えてくれた小説、はまりまくった作家やシリーズ……。ファンタジーよりもSFに多く触れてきたという意外な事実も。多崎さんの源泉が見えてくるお話、ぜひ。

その2「ツールをくれた小説、感銘を受けた短篇」 (2/6)

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  • 『刺青の男〔新装版〕 (ハヤカワ文庫SF)』
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――新たに買って家に置いておける本は、お父さんのお眼鏡にかなうものでないといけないわけですよね。

多崎:そうなんです。自分の部屋がなかったので、こっそり買って取っておくということがあんまりできなくて。見つかるのも怖いし見つかれば捨てられてしまうし。ただ、私は読んだ端から忘れてしまうので、気に入った本は買って自分の手元に置いておきたいんです。お小遣いがないのでそんなには買えなかったんですけれど、やっぱり姉と密かにお金を出し合って本を買い、学習机の後ろに書架を作って隠していました。
中学生の時、近くの本屋さんにたまたま入って棚をぶらぶら見ていたんです。そうしたらすごく可愛い表紙の文庫本があったんですね。それが、コバルト文庫から出ている新井素子さんの『星へ行く船』でした。可愛いイラストの表紙だけれど小説だし、文庫本なら隠せるし、ということでこっそり自分のお小遣いで買って読みました。
読んで、すごく感動したんです。その時にはじめて女の子の語り言葉で書かれた一人称小説というものを読み、こういう書き方なら、私も書けると思ったんですよね。それまでずっと頭の中で空想を広げて物語を考えているのに、うまく文章にできずにいたんです。文章に残そうとして何ページかは熱心に書くんだけれど、そこで終わってしまっていました。でも新井さんの一人称を真似しながら書くようになって、はじめてちゃんと書き上げることができたのが中学1年生の時でした。
ですから『十五少年漂流記』は私の指針を決めた本、『星へ行く船』は、自己表現をするツールを与えてくれた本、という感じです。

――それまでも、書こうとはしていたわけですね。

多崎:自分の中にある空想を表に出したい気持ちがありました。気に入ったシチュエーションを何度も頭の中でシミュレーションするくらいなら、紙に書いておきたいと思ったんですよね。人に読ませるものではなく、自分だけの覚書みたいなものです。だから話の最初から最後までを考えていたわけではなくて、書きたい場面を書いたら満足しちゃって、それ以上進めなくてもいいかな、という感じでした。
それが、だんだん、やっぱり物語を書きたいと思うようになって、でもいわゆる三人称小説だとうまく書けなくて、「これじゃない」っていうモヤモヤ感がありました。それをブレイクスルーしてくれたのが『星へ行く船』だったわけです。実際書いてみると一人称も結構難しかったんですけれど、それでも三人称よりは書きやすかったです。

――どういう話を書いたのですか。

多崎:めっちゃ恥ずかしいんですけれど...学園ラブコメバトルものみたいな...。今も取ってあるんですけれど二度と読みたくない(笑)。

――学園ラブコメで、バトル要素もあるってことですか。

多崎:学園で、ずっと銃を持って戦っている話です。そういうものが大好きだったんでしょうね。人に読ませる前提ではなく、自分が読みたくて書いているものなので...。しかも当時は改行して段落を変えるってことを分かっていなくて、ノートにびっちり、改行もせずに書いたので呪いの書みたいになっていました。ノート2冊分あったのでちょっとした中篇だったような...いやいや、あれは小説とは読んではいけない(笑)。
その後もずっと、何かしら書いていました。完成させたものは少ないんですが、完成させたものでいちばん長いのがノート6冊分くらい。その頃にはもう改行という概念があったので、びっちり書いたわけではないんですけれども。

――それはどういう話だったんですか。

多崎:特殊な宝石というか、中にプログラムが入っていて、それを使うと人体を強化できる宝石のようなものがあって、それを盗む怪盗がいるという。でもその怪盗は実は組織から抜け出した人間で、組織を潰すために宝石を盗んで壊してしまおうとしている。一方で、そうした事情を知らないジャーナリスト志望の女の子が、真実を暴こうとして調査しているという話でした。

――すごく面白そうなんですが。

多崎:それは高校時代に書いたものですが、後にリメイクして投稿したことがあります。

――『星へ行く船』以降の読書生活はどんな感じだったのでしょう。

多崎:その頃に出ていた新井素子さんの本はほとんど全部読んだんじゃないかな。もう大好きでした。そこから他のコバルト文庫をちょっと読んだんですが、少女小説はあまり合わなかったんです。そうしたら、書店のコバルト文庫の隣にあったソノラマ文庫が目に入ったんですよ。
で、ソノラマ文庫にはまりました。高千穂遙さんの『クラッシャージョウ』シリーズを読み、菊地秀行さんの『吸血鬼ハンター"D"』シリーズを読み、火浦功さんの『高飛びレイク』シリーズを読みっていう、要するにスペオペ大好きじゃん私っていう(笑)。結局そこに戻るんですよね。抜け出せない。

――『キャプテン・フューチャー』の頃からスペースオペラ好きは変わらないという。

多崎:だから、わりと自分が書いているものも近未来っぽいものが多かったですね。SF的知識もないのに、そういうものを書くのが好きでした。

――読書や創作以外に、好きだったもの、打ち込んだものってありましたか。

多崎:小中学校時代はブラスバンド部で、部活がすごく忙しかったですね。私はフレンチホルンをやっていました。
ただ記憶に残っているのがちょっと悲しい話なんですけれど、そこで自分は一人で仕事をしたほうが性に合っているなと学びました。ブラスバンドって結局全員が努力しないと上手くならないですよね、当たり前ですけれど。公立中学の部活動なのでみんなわりといい加減なんですよ。でも私は本当に真面目で、基礎練習から何から、全部真面目に毎日びっちりやっていました。そしたらある時偉い先生が来て、「とりあえず君たちロングトーンやってみて」と言われたんです。みんなこうだああだと注文をつけられているなか、私がやった時にその先生がはじめて「君はうまいね」と言ったんですよ。やっぱり真面目にやると先生には分かるんだなって、嬉しいというよりはびっくりしました。でもそれで学んだのが、私一人が頑張ったってブラスバンドの質が上がるわけじゃないんだなってことだったんです。私は集団でやるものには向いていないと思いました。それで、私一人が努力すればちゃんとものになるものをやろうって思ったんですよね。

――一人の努力でできるものって、まさに小説...。

多崎:そうなんです。その頃から、書いたものを人に読ませるようになりました。他にも同じように小説を書いている子たちがいて、交換して読みあったりして。書いているものはバラバラで、国際諜報小説を書いている人もいたし、少女小説を書いている人もいました。お互いに「これいいよね」「あれいいよね」と言い合って、「あなたのキャラクターと私のキャラクターをコラボさせて何かしようよ」「このキャラクターはこれが得意だからこういう出番を作ろう」みたいなことを話すのが楽しかった。書かないまでも、考えるのがもう楽しかったですね。

――では、中学校時代にはプロの作家になろうという気持ちは芽生えていたのですか。

多崎:全然、全然なかったです。書くのが楽しくて、自分でそれを読むのが好きでした。人に読んでもらうのも好きではあったんだけれども、批評されるのは嫌でしたし。

――その後の読書生活はいかがでしたか。

多崎:また劇的な出合いがありました。これもまた姉がきっかけです。中学生の時だったと思うのですが、姉が高校の図書委員で読書会をやっていたんですね。長い話を1冊読むのはしんどいから短篇を読もうという話になって、レイ・ブラッドベリの「万華鏡」(『刺青の男』所収)を選んだんです。それがきっかけで私も読みました。宇宙船が爆発して乗組員たちが宇宙に投げ出され、音声だけで繫がりながらばらばらに漂っていく話です。
あんな短い話の中に、私の求めているものがすべてあると思いました。人間の怒りや憎しみや悲しみ、優しさや思いやりとか。憎しみあった人間同士の和解とか、圧倒的な救済みたいなものもすべてあって、なんてすごいんだろうと思って。
そこから高校生時代はブラッドベリを延々と読むようになりました。本屋に行くたびに買っていました。確かに「これちょっと分からない」という話もありましたが、本当に素晴らしい作品が多かった。そこから古典SFに流れて、アーサー・C・クラークやアイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインライン、ジャック・フィニイなども読みましたが、やはりレイ・ブラッドベリが一番好きだったな。

――多崎さんのペンネームの「礼」はレイ・ブラッドベリからとったそうですね。ブラッドベリの短篇も長篇も全部好きだったのですか。

多崎:短篇のほうが好きですね。長篇も面白くなくはないんですけれど、1回読めばいいやという感じで、短篇のほうが響くものがあって何度も読み返しました。
自分も高校生になって図書委員になった時に、姉と同じことをやろうとして、読書会で「万華鏡」を取り上げたんですよ。そうしたらベコベコに叩かれました。私はあんなに感動したのに、みんなは「浅い」とか「信憑性がない」とか「本当に宇宙空間に投げ出されたらこんなふうにはならない」とか「人間はこんなに簡単に人を許せない」みたいなことを言って...。小賢しい高校生が多くて、今だったらボコボコにしてやるのに、っていう(笑)。本当に死ぬしかないっていう状況で、最後くらいはいい人間でありたい、最後にちゃんと許して許されて死んでいきたい、という人間らしさみたいなものは、今考えても私は素晴らしいと思うんですけれど、「自分は賢いです」というタイプの人には合わなかったみたいですね。もうお前たちはブラッドベリを読まなくていい、と思ってました。なんかいまだに「ちょっと解せぬ」って思います。

――とはいえ図書委員で読書会をやるっていいですね。

多崎:そうですね。それで自分が普段は読まないものを読んだりもしましたし。
高校時代はとにかくSFを読みまくっていたのと、あとは、あの頃まだライトノベルと言わずにジュブナイル小説と呼ばれていたようなものを読んだりもしていました。菊地秀行さんの『吸血鬼ハンター"D"』は新刊が出ると「読んだ?」「読んだ読んだ」と周りでも話題になっていました。栗本薫さんの『グイン・サーガ』シリーズも新刊が出ていて。ただ私は30巻くらいで止まっているのであまり大きな声では言えないですね。
自分の本棚の文庫の棚は3分の1くらいがハヤカワSF文庫で埋まっています。私はハヤカワSF文庫で育ったんだなと思います。

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