作家の読書道 第261回: 宮島未奈さん

2021年に「ありがとう西武大津店」で第20回女による女のためのR-18文学賞の大賞、読者賞、友近賞をトリプル受賞、同作を収録した『成瀬は天下を取りにいく』が現在16万5000部に達している宮島未奈さん。大注目作家の幼い頃からの読書遍歴、デビューに至るまでの経緯とは? その来し方や、R-18文学賞出身作家へのあふれる思いなど語ってくださいました。

その1「きっかけは読書感想文の選評」 (1/7)

  • こちら葛飾区亀有公園前派出所 1 (ジャンプコミックス)
  • 『こちら葛飾区亀有公園前派出所 1 (ジャンプコミックス)』
    秋本 治
    集英社
    484円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • フリテンくん(1) (バンブーコミックス 4コマセレクション)
  • 『フリテンくん(1) (バンブーコミックス 4コマセレクション)』
    植田まさし
    竹書房
  • 商品を購入する
    Amazon
  • BE-BOP-HIGHSCHOOL(1) (ヤングマガジンコミックス)
  • 『BE-BOP-HIGHSCHOOL(1) (ヤングマガジンコミックス)』
    きうちかずひろ
    講談社
  • 商品を購入する
    Amazon
  • こどものおもちゃ 1 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)
  • 『こどものおもちゃ 1 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)』
    小花美穂
    集英社
  • 商品を購入する
    Amazon

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

宮島:幼稚園で毎月絵本を何冊か選んで注文できたので、買ってもらって読んでいた記憶があります。でも何を読んでいたのか、具体的な内容までは憶えていないです。
それとは別にすごく憶えているのが、NHK教育で「こんなこいるかな」という、いろんな子が登場するアニメをやっていて、キャラごとの絵本があったんですね。それを全部持っていました。

――本が好きな子供でしたか。

宮島:親からいつも何か読んでいたと聞いています。ただ、この「作家の読書道」の連載を読んでいつも思っていたのは、家にいっぱい本があったという方が多くて、すごく羨ましいなってことでした。そういう人たちは貴族で自分は雑草育ちだな、という感じで。私の両親は全然本を読まなかったと思うんですよね。家には漫画しかなくて、憶えているのは「こち亀」(『こちら葛飾区亀有公園前派出所』)と『フリテンくん』と『ビー・バップ・ハイスクール』。充実した蔵書はなかったんです。なので「作家の読書道」を読みながら、小さい頃に家にそんなに本があったらそれは将来作家になるよねって、ルサンチマンを感じていました。住んでいたのは静岡県の地方都市で、近くに本屋さんもないし、図書館に行くのも親に車を出してもらわないといけなかったので、文化的なものとはちょっと離れた子供時代を送っていました。

――では、小学校に上がってからは学校の図書室を利用したり?

宮島:図書室は利用していました。3年生からしか借りられないと言われ、はやく3年生になりたいなと思っていました。3年生になってからは結構熱心に借りていたと思います。伝記が好きでした。文字の大きな本や漫画でヘレン・ケラーの伝記などを読んだりして。音楽家の伝記も好きでした。音楽室に肖像画が飾ってあるから身近な気がしたんですよね。シューベルトの伝記はすごく憶えています。こんなに早く死んだのにこんなに有名なのか、と思っていました。

――国語の授業は好きでしたか。

宮島:小中学生の頃は、好きとか嫌いとかではなく、得意でした。でも高校生になったらすごく苦手意識が生まれました。全国平均でみたら出来ないわけではなかったと思うんですが、センター試験でも他の教科は9割以上とれるのに国語だけは8割くらいしかできなかったんです。古文や漢文は分かるんですが、現代文がまったく分からなくて勘でマークシートを塗っていました。

――へええ。では、小学生の頃、作文とか読書感想文はいかがでした?

宮島:書かされて書いたら「うまい」と言われたから「自分はうまいんだ」と思っていましたが、書きたくて書いていたわけではないです。それは今にも通じていて、小説を書いていても楽しいというよりしんどいことのほうが多いです。そう言われてみれば、勉強も、成績はいいんだけれど全然やりたくなかったという感じでした。
以前エッセイにも書いたんですが、竹下龍之介さんの『天才えりちゃん金魚を食べた』という、執筆当時6歳だった竹下さんが妹との日常を綴った、子供の字で書いた絵本があって、それを読んで読書感想文を書いたんですね。小3の時です。その読書感想文が市のコンクールで入選して、作品集に載ったんです。ひとつひとつに選評みたいなものがついていて、私の作文には「あなたの文章には、人をひきつけるみ力があります。未奈さんも、お話を書いてみたらどうですか」とありました。たぶん選考委員の先生が書いたと思うんですけれど、それを読んで「私ってそういう才能があるんだ」と思って。それで、お話を書き始めました。漠然と「作家になりたい」と思い始めたのがこの小3の時だったというのは、はっきり憶えています。

――どんなお話を書き始めたのですか。

宮島:恋愛小説だった気がします。よく憶えていないんですが...。学校が舞台で、誰が誰を好きで、みたいな話だったのでジャンルは恋愛だと思う。原稿用紙に鉛筆で書いていた記憶はあって、ひとつの話が10枚くらいだった気がします。

――ちなみにごきょうだいっていらっしゃるんですか。読むものを共有していた、とか。

宮島:妹がふたつ下で、弟が7歳下です。妹とは「りぼん」を一緒に読んでいたんですけれど、好みが違うので感想を話し合うような感じではなかったです。
「りぼん」の連載では、『こどものおもちゃ』が流行っていました。主人公の紗南ちゃんが私と同い年なんですね。同世代ということで楽しく読んでいました。

――読書以外に何か夢中になったものはありましたか。放課後どんなふうに過ごしていたのかな、と。

宮島:結構ゲームをやっていた記憶があります。マリオやドクターマリオやテトリスをよくやっていましたが、小学校高学年くらいからダビスタにはまりました。「ダービースタリオン」という、競馬の馬を育てるゲームですね。もともと父が競馬好きで小さい頃から中継を一緒に見ていたんです。それで競馬ゲームがあると聞いてやってみたらはまり、小学生の頃から始めて中高もずっとやっていました。ファミコン、スーファミ、プレステと時代に応じてゲーム機も変わっていくんですけれど。なので中高の頃は何をやっていたかといったら、ダビスタか勉強って感じでした。

――他のゲームと比べてとりわけそれが面白かったのはどうしてだったのでしょう。

宮島:一応G1に勝つといったゴールはあるんですけれど、それ以上に、自分で強い馬を作るのがよかったのかな。同じ配合でも全然違う馬が生まれるという、今でいうガチャっぽい要素があって面白かったんですね。育て方も、調教メニュー次第でパラメーターが伸びていくので、攻略方法が分かる雑誌や本を読んで試してみるのが好きでした。

――大人になってから、ご自身で予想して馬券を買ったりはされていたんですか。

宮島:父と一緒に見ていた頃から、「どれがいい?」と訊かれて予想もしていたし、若い頃はやっていました。今でもたまに大きいレースはテレビで見ますが、すごく追っているわけではないです。馬券があまりに当たらなくて、25歳の時に私はもう一生馬券を買うのはやめようって決めたんです。
ただ、今でも何かを競馬にたとえたりはしますね。新作の『成瀬は信じた道をいく』にディープインパクトが出てきますが、ディープインパクトが活躍した頃は大学生だったので京都競馬場によく行ってました。
競馬のいちばん古い記憶が1988年の菊花賞。武豊騎手がスーパークリークではじめてG1を勝った時なんですよ。私が幼稚園の頃から見ていた人が今も現役っていうのはすごいなと思います。横山典弘騎手もメジロライアンの頃から憶えています。それと似た話でいえば「こち亀」も小学1年生くらいから読んでいるんですよね。ずっと変わらずそこにある、みたいなものに心惹かれているかもしれません。

» その2「恋愛小説が好き」へ