作家の読書道 第263回: 浅倉秋成さん

2012年に『ノワール・レヴナント』で第13回講談社BOX新人賞Powersを受賞しデビューして以来、特殊設定であれ現代社会が舞台のものであれ、緻密に構築した作品で読者を魅了し、『六人の嘘つきな大学生』で大ブレイクした浅倉秋成さん。小学生の時に小説から遠ざかる経験をした彼が、その後どうして作家になったのか。その過程や愛読書についておうかがいしました。

その1「小学生時代に読書から遠ざかる」 (1/7)

  • みどりのマキバオー 1 (集英社文庫(コミック版))
  • 『みどりのマキバオー 1 (集英社文庫(コミック版))』
    つの丸
    集英社
    836円(税込)
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  • 三国志 上 (岩波少年文庫 532)
  • 『三国志 上 (岩波少年文庫 532)』
    羅 貫中,小川 環樹,武部 利男
    岩波書店
    836円(税込)
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  • ONE PIECE 1 (ジャンプコミックス)
  • 『ONE PIECE 1 (ジャンプコミックス)』
    尾田 栄一郎
    集英社
    69円(税込)
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  • カンニンGOOD(グー)(1) (てんとう虫コミックス)
  • 『カンニンGOOD(グー)(1) (てんとう虫コミックス)』
    毛内浩靖
    小学館
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  • とっても!ラッキーマン 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)
  • 『とっても!ラッキーマン 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)』
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    集英社
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  • 僕のヒーローアカデミア 1 (ジャンプコミックス)
  • 『僕のヒーローアカデミア 1 (ジャンプコミックス)』
    堀越 耕平
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――以前、小中高生時代はあまり小説を読まなかったとおうかがいしましたが...。

浅倉:編集者から「十全に準備してきたほうがいい」と言われて読書歴を振り返ってみたんですが、学校で朝の読書時間もありましたし1冊も読んでいないわけじゃないです!

――小説じゃなくても、漫画でもアニメでも、創作に影響を受けたであろうものが分かると嬉しいです。では、いちばん古い読書の記憶から教えてください。

浅倉:小説ではなく漫画になるかもしれないです。小学2年か3年の頃、父の散髪についていった時に、父が「髪を切っている間ヒマだろうから」と言ってコンビニで漫画の『みどりのマキバオー』を買ってくれたんです。僕がアニメを見ていたので「これがいいだろう」って。それを読んで漫画という概念を知りました。絵と文字で作られているのが画期的で、「これ面白いじゃん!」と思いました。それが教科書みたいなもの以外での読書としてのスタート地点な気がします。
 じゃあ小説を最初に読んだのはいつなのかというと、おそらく小学校5年生の時に読んだ岩波少年文庫の『三国志』です。当時、父親がスーパーファミコンの「三国志」をやっていたんですが、僕はそれが中国の話だとも分かっていなかったんです。「知らない人ばっかりだね」と言ったら「誰だったら分かるんだ」と訊かれ、「徳川家康」と答えたくらいでした。それで両親が「これを読んでみろ」と言って岩波少年文庫の『三国志』を上巻と下巻を買ってきてくれたんです。
 学校の朝の読書時間に、苦い薬を飲み下すようにそれを一生懸命読みました。一応、面白いといえば面白いんですよ。呂布が出てきたら「あ、武力100の奴だ」、諸葛孔明が出てきたら「あ、知力100の人だな」と、ゲームと重ねあわせて楽しめました。それで上巻から下巻に移った時に、なんとなく物語のトーンが落ちた気がしたんです。それでも読み終えたんですが、後になって親と本屋さんに行った時に、『三国志』が上中下巻並んでいることに気づいたんです。中巻を飛ばしていたんですよ。「そうだったのか! 中巻も読まなきゃ」と中巻を棚から抜いて、上下巻だけが残されたのを見て「きっとまた同じ悲劇が繰り返される」と思いながら買いました。

――学校では朝の読書時間がずっとあったのですか。

浅倉:毎朝10分間あったと思います。僕からしたら読んでいるというテイの10分間でした。その間に2ページ進んだら、たくさん読めたと思ってものすごく嬉しかったです。
 同じクラスにダイキくんという本の虫がいて、母親同士も仲良かったんです。ある日ダイキくんのお母さんに「うちのダイキは本に夢中になっていると話しかけても気づかないことがあるでしょう? 無視しているわけじゃないから許してね」と言われて、めちゃくちゃ格好いいなと思いました。僕もそうなりたくて、ぜんぜん本に集中していないのに、話しかけられてもわざとしばらくしてから「あ? なに?」みたいな反応をしたりしていました。
そのダイキ君が小学5年生の時、図書室で夏休みの宿題の読書感想文用の本を選んでいる時に冗談で「これにしたらいいじゃん」と『吾輩は猫である』を薦めてきたんですよ。「これ選んだら痛い目みるよ、こんなの読まないでしょ?」みたいな感じだったんだと思うんです。でも僕は調子こいて「あ、じゃあそれにするわ」って決めて、それで本当に痛い目をみました。あの本は僕には難しくて、それで読書が嫌になっちゃったという。小学生時代に読んだ小説は以上です。

――小説以外はどうでしたか。

浅倉:伝記は読んでいました。「ライト兄弟」とか「キュリー夫人」とか「ベーブ・ルース」とか。でもそれも、「今日これから1時間は読書の時間です」みたいに言われて読まざるをえない環境の時に読んでいました。

――漫画は。

浅倉:『みどりのマキバオー』以降は、『ONE PIECE』ですね。直撃世代でした。『ドラゴンボール』を読んだのはもうちょっと後かな。あれは僕よりちょっと上のお兄ちゃん世代が読む漫画のイメージでした。ピッコロ大魔王のお腹をつきやぶったりするので、『ONE PIECE』よりグロテスクなイメージがあったんです。小学生で『ドラゴンボール』を読んでいると「おお、すげー」と言われるイメージでした。中学生になると明確に読む漫画といえば「少年ジャンプ」になるんですけれど、小学生が読むものといえば「コロコロコミック」だったんですよね。『カンニンGOOD』という秘密道具を使ってカンニングする漫画にワクワクしていました。
僕はレインボーというお笑いコンビのジャンボたかおと小・中と一緒だったんですけれど、ジャンボに4つくらい上のお兄ちゃんがいて、そのお兄ちゃんから輸出された文化がひどく格好いいものに見えていました。小学生の頃、当時「少年ジャンプ」にガモウひろしさんが連載していた『とっても!ラッキーマン』という漫画があったんです。アニメにもなって、オープニングを八代亜紀さんが歌っていました。ジャンボも僕もそれに夢中になりましたね。努力マンとか勝利マンみたいに、いろんなナントカマンがいて、その中で主人公はラッキーマンなんです。今でいうと『僕のヒーローアカデミア』みたいなものかなと思うんですけれど。とにかくラッキーなことがいろいろ起きる話で、ジャンボたかおとキャッキャと楽しんで読んでいました。

――ジャンボたかおさんとはいつから一緒だったのですか。

浅倉:小4からですね。4、5、6年と一緒の野球部に入っていました。後にジャンボと名乗るくらいですから彼はその頃から身体がでかくて、すでに170㎝あったんですけれどいつもベンチで、当時140㎝台だった僕のほうが試合に出ていました。中学生になると逆転して奴のほうが活躍してキャプテンになって、僕はベンチでした。
野球を始めたきっかけは、当時は男の子はスポーツをやっていないとダサいという空気があったからだと思います。それでも野球は好きでした。でも、僕もジャンボも本質は文化系なんですよね。小学5年生の頃にクラス内で漫画本を作ったりしていましたし。
誰かが自宅から持ってきたA4用紙を半分に折ってホチキスで留めて雑誌みたいにして、何ページから何ページは〇〇君、などと決めて描いていました。5年1組だったので「コミック51」というタイトルでした。それを教室の隅に置いといて、読みたい人は読んでいいよ、みたいな感じで。僕はギャグ漫画とストーリー漫画の2本、連載を抱えていました(笑)。

――どんな内容でしたか。

浅倉:ストーリー漫画のほうはめちゃくちゃ『ONE PIECE』の影響を受けた内容でしたが、人間が描けないのでネズミが冒険する話でした。ギャグ漫画のほうは「星のカービィ」のカービィみたいな絵で描いていました。

――そういえば、浅倉さんって漫画家になりたいと思っていた時期があったとおっしゃっていませんでしたっけ。

浅倉:小学生の頃も漫画家やプロ野球選手になりたいとは思いましたが、どこかで無理だとは思っていました。どういう職業かも分かっていないまま、弁護士になりたいと言っていた時期もありました。たぶん今の、論破したつもりで気持ちよくなっている論破厨の子供たちのいにしえバージョンだったんでしょうね。弁護士の仕事ってそういうことじゃないのに、喋りが上手で、うまいこと言って相手を倒す仕事と勘違いしていた気がします。小学生で弁護士になりたいという人があまりいないから格好いい、という理由もありました。ちなみにジャンボも僕と同じ病気で(笑)、「放送作家になりたい」って言ってました。小学生で放送作家という仕事を知っている人って少ないから、「放送作家? なにそれ」って訊かれて「(得意げに)あ、知らない?」って言いたいだけという。

――浅倉さんってものすごくお話が上手ですが、その頃からご自身が喋りが上手いって自覚があったのですか。

浅倉:いや、自覚はないです。自分の力量なぞ見極められていないです。でも、喋るのが好きではあったんですよ。当時からむちゃくちゃ喋っていたと思います。うちの母親も、自分の息子がこんなにお喋りになるとは思っていなかったと思います。

――ご家族は喋るんですか。

浅倉:何を基準にするか難しいですね。父親は饒舌です。母親も寡黙ではないですね。お喋りの偏差値でいったら50以上はあると思います。

――どんな場所で育ったのですか。

浅倉:幕張なんですけど、僕らが住んでいたのはマンションが並ぶ住宅街でした。スーパーがひとつあるくらいでお店というお店はほとんどなく、一軒だけある駄菓子屋さんでみんなたむろしていました。書店は老夫婦がやっている店が駅前にあったんですが、あっという間になくなりました。

――千葉県ですよね。そういえば浅倉さん、千葉ロッテマリーンズのファンでしたね。

浅倉:小学生の頃のヒーローといえば、千葉ロッテマリーンズの選手たちでした。いまだに憶えているのは、野球部の合宿でビンゴ大会があって、100人くらいいるなかで僕が2番目だったんですよ。「やった~!」と思ったら賞品が遊戯王カードで、30位以下の人の賞品が千葉ロッテの選手の下敷きだったんです。もう、羨ましくて羨ましくて。大人の感覚からしたら遊戯王カードのほうが価値が高かったんでしょうね。あくまで2位の余裕を見せながら「交換してもいいよ?」と言っても全員に断られて、涙が出そうでした。せめていいカードが入っていないかと思って遊戯王に詳しい奴と一緒に開けたら「ああ、ゴミだね」みたいに言われるし、開けちゃったから交換もしてもらえないし。あれは悔しかったです。

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