第263回: 浅倉秋成さん

作家の読書道 第263回: 浅倉秋成さん

2012年に『ノワール・レヴナント』で第13回講談社BOX新人賞Powersを受賞しデビューして以来、特殊設定であれ現代社会が舞台のものであれ、緻密に構築した作品で読者を魅了し、『六人の嘘つきな大学生』で大ブレイクした浅倉秋成さん。小学生の時に小説から遠ざかる経験をした彼が、その後どうして作家になったのか。その過程や愛読書についておうかがいしました。

その5「就職してすぐデビューが決定」 (5/7)

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――学生のうちに新人賞への応募も始めていますよね。

浅倉:講談社BOXシリーズを5冊くらい読んだ時点で一回投稿して、これは撃沈しています。うろおぼえですがSFというか、セカイ系でした。もろに僕と君の存在が世界の破滅に...云々っていう。今となっては歯がゆいんですけれど、当時は切実でした。
選評で文章のまずさを指摘されて「音読して読み直してほしい」と書かれ、「このやろう」と思って読み返したら本当にひどい文章でした。それで文章にもっと真摯に向き合わねばならないと思い、春樹エキスを沢山吸うんです。だから僕のデビュー作となった『ノワール・レヴナント』は、春樹エキスの味がすると思います。する人にとっては。
落選が悔しすぎたので目にものをみせてやろうと思って、次は3作傑作を送って「こいつは化け物だった!」と言わせてやろうとしたんですよね。結局2作しか仕上げられなかったんですけれど。次の締切が5月か6月だったので、学生のうちに書いて、就職してから送りました。
そうしたら新人研修中に受賞の連絡をもらったんです。まあもう、研修が頭に入らなくなりますよね(笑)。でもやっぱり、すぐに会社を辞めようとは思いませんでした。会社というものを取材しておこうというほど格好いいことは思わず、ただ、働きたかったんですよね。最初はスーパービジネスマンになるぞ、みたいな気持ちでした(笑)。

――ところで、ジャンボさんはプロになったわけですが、浅倉さんはお笑いの道は選ばなかったわけですか。

浅倉:あいつはプロの道に行く気満々でその後NSCに行きましたが、僕は怖かったんです。自分が本当に面白いのかただの自惚れなのか分からないままNSCに1年間通えば一応プロにはなれるんですよね。何の審査も経ないでプロになって大丈夫なんだろうかという気持ちがありました。僕は、誰かのお墨付きをもらってプロになりたかったんです。その点、小説家は一年間学校に通ったらプロになれるというわけじゃない。僕は、そういうほうがよかったんです。
それに他の方がどう思うかは分かりませんが、当時、ジャンボは光り輝いていたんです。こいつと一緒に漫才をやっていたら、「じゃないほう芸人」になるのは間違いなくて、それはちょっときついぞという(笑)。うちは両親も一般人で父親もサラリーマンだし、息子にちゃんと就職してほしそうなオーラ出しているし、そこで「俺芸人になるよ」と言えるほどパンクになりきれませんでした。それで一回就職して働きながら夢を追うことにしようと思いました。お笑いと物語を作ることを天秤にかけたら、やっぱり物語を作る方がやりたかった、というのもあります。

――会社では、どういう職種だったのですか。

浅倉:営業職でした。『ノワール・レヴナント』で受賞して、同時に応募した『フラッガーの方程式』も書籍化することになって、じゃあ3作目を書きましょうとなったんですが、仕事があまりに忙しくて全然進まなかったんです。よくグレー企業と言っているんですけれど、ブラック企業には至らないかもしれないけれどホワイトとは言えない環境でした。僕は会社からわりと近いところに住んでいたんですが、夜11時に仕事を終えて11時30分に家について、寝て起きたら7時で、8時には会社に着いていないといけない。あの時期、頭の中の物語というものを楽しむ細胞は全滅しました。映画「花束みたいな恋をした」の中で、麦君が就職してから本が読めなくなっていきますが、まさしくあんな感じです。2012年から14年はアニメも小説も摂取できませんでした。摂取冬の時代です。小説を書く時間も全然捻出できないし、無理して書いても全然面白くなくてボツでした。

――それで退職を決意したわけですか。

浅倉:仕事でも行き詰まったというか。最初は新卒のペーペーとして、いろんな先輩たちが車で営業するのについていっていたんですが、みんな途中でサボるし、「このお客さん明らかにこういうの欲しがっているのに」と思っても全然提案しないんです。「この人センスないのかな」って思いました。でもそれは思い上がりでした。
一人で営業するようになってから、僕、結構頑張ったんです。ばんばん営業して、ドアノックで新規開拓して。そうした結果どうなったかというと、仕事はとれるけど、僕が一番遅くまで会社にいる割に、誰よりも給料をもらえてないという状況になるんです。みんなはしっかり早く帰って、年功序列でいい給料をもらっている。あるとき、新規で100万円規模の仕事とってきたところ、会社から特別報奨金が出ると言われまして、こりゃきっとすごい額がもらえるぞと思って期待してたら5000円振り込まれたんです。あれだけ頑張って5000円か、と。当時は会社の仕組みもよくわかっていなかったので、それなりに落ち込みました。まだまだ古い体質の会社だったので、ゴルフコンペの手伝いに行って全テーブルのウイスキーの水割りを作ってまわって来いと言われまして。でも僕は酒を飲まないから分量が分からなくてグラスにウイスキーを半分くらい注いでしまって「馬鹿野郎!」って怒鳴られたりして。全部が辛かった。
先輩たちのことを「センスがないのかな」と思った僕が馬鹿だったと気付きました。やれないからやらないのではなく、力の抜き方をわかっているから無理をしないんだ、って。気づいた瞬間、これを何年も続けるのは厳しいなと思ってしまいました。仕事しなかった月には一円ももらえなくていいから、頑張った月は歩合で欲しいと思ってしまったんですね。
 作家業だけで生きていけるなんてみじんも思っていなかったし収入面でなんの安定もしていなかったけれど、もう続けられないと思って2年ちょっとで会社を辞めました。

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