
作家の読書道 第265回:行成薫さん
2012年に『名も無き世界のエンドロール』(応募時タイトルは「マチルダ」)で小説すばる新人賞を受賞、以来さまざまなエンタメ作品で読書を楽しませてきた行成薫さん。幼い頃からエンタメを本から摂取し、10代の頃から音楽活動を開始していた行成さんが愛読してきた作家や作品、そして小説を書き始めたきっかけは?
その3「音楽活動と第3次ミステリブーム」 (3/7)
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- 『美味しんぼ(1) (ビッグコミックス)』
- 花咲アキラ,雁屋哲
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- 『アトポス (講談社文庫)』
- 島田荘司
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- 『うしおととら(1) (少年サンデーコミックス)』
- 藤田和日郎
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――高校時代の読書生活はいかがでしたか。
行成:それがまた大変革なんですが、高校3年間はほぼ本を読んでいないです。
高1の時にバンドを組んで、創作活動が作曲とか作詞のほうに向かっていったので、本はいったん横に置かれてしまいました。
中学時代、僕はバレーボール部だったんですが、3年生の時に試合であっさり負けて引退が決まったんです。そうしたら合唱部にスカウトされたんですよ。合唱部の顧問が音楽の先生で、授業で僕が高い声が出るタイプだと知っていたので、声をかけてきて。それで、その当時の同級生と一緒に、その後バンドを始めました。
当時流行っていたロック系って、Ⅹとか、結構声が高かったんですよね。女の子をボーカルにしてやっているバンドも多いなか、「お前、歌ってよ」って誘われて。中学時代にギターも始めたんですけれど手が小さくて全然弾けず、高校になってから弾けるようになりました。
――そして自分で作詞作曲もするようになって...。
行成:でも、みんなはコピーをしたいんですよね。僕はオリジナルをやりたいけれど、みんながついてきてくれないから一人でやっていました。同じクラスに宅録をやっているやつがいて、そいつと仲良くなって一緒に録音したりしていました。曲を作ってラジオに送ったりもしました。実際に送った曲がかかったこともありました。
――それで、本はまったく読まず。
行成:そうですね。高校は男子校で、僕は人文学科みたいなものがある高校に行きたかったんですが、親にも先生にも「もっと上を狙いなさい」みたいなことを言われて、間違って男子校の進学校に行ってしまって。 共学の高校に行って、文学好き女子と好きな本の話をしながら一緒に帰る、みたいな高校生活を送りたかったです(笑)。
――本以外のエンタメで、創作活動に影響があったと思うものは。
行成::高校を卒業した3月にプレイステーションで「ゼノギアス」を始めました。めちゃくちゃ世界観が作りこまれていて、面白かった。それをクリアした後に「ファイナルファンタジーⅦ 」を買ったんですが、その世界観というか死生観が自分の中のベースになっちゃいました。
――どういう死生観なんですか。
行成:人間とか生きとし生けるものが死ぬと、ライフストリームという星の中の意志みたいなものに取り込まれ、それがまた表に出てきて人や生物になっていくという。天国や地獄があるとかいう世界観より、そういう流れの中に人間がいるという考え方のほうが自分にはしっくりきました。遅い中二病みたいな感じでした。
――行成さんは格闘技もお好きですよね。それはいつ頃目覚めたんですか。
行成:小学校5年生くらい。新日本プロレスから入りました。小5の頃から、「ワールドプロレスリング」という新日本プロレスの中継が夕方の時間帯に放送されるようになったのでちらちら見るようになって、それと同時にケーブルテレビで昔の全日本プロレスの録画映像も見ていました。
本格的にドはまりしたのは中学生の頃で、 親が寝た後にテレビを見ようとしたら、「ワールドプロレスリング」が深夜に放送されていたんです。中3の頃だったと思います。その頃は闘魂三銃士時代で、武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の三人が活躍 していました。クラスでもプロレスブームが広がりました。僕は、自分が広めたと今でも思っているんですが諸説あります(笑)。中学校時代はよくプロレスの技をかけあっていました。まさかの後に小説を書くとは思いませんでしたが。
――『立ち上がれ、何度でも』(単行本版のタイトル『ストロング・スタイル』を文庫化の際に改題)ですね。他の格闘技もお好きでしたか。
行成:ボクシングも見ました。うちの母親はプロレスは嫌いだったんですけれど、なぜかボクシングは嫌いじゃないというタイプで。僕が小学5年の時にマイク・タイソンが東京ドーム に来たり、中学3年の時に辰吉丈一郎と薬師寺保栄が試合したりしていたのを、母も見ていました。
中学時代にパンクラスとかが始まりましたし、空手とか総合格闘技とかも一通り見たと思います。K-1の第一回大会があったのは中学2年だった1993年で、以降、2010年まで毎年見続けています。その影響で、24歳くらいから賞をいただく直前までキックボクシングをもやっていました。ちなみに令和2年から昨年まではボクシングもやっていました(笑)。
――大学は地元の大学に進まれたのですか。
行成:そうです。文系の人間科学系の学部に進みました。その頃はもう勉強に関しては燃え尽きていたので、のんびりできる大学を選びました。大学にはほぼ寝に行っていました。授業時間が唯一の睡眠時間みたいな...。
――授業以外の時間は何をやっていたんですか。
行成:コンビニの夜勤を週3、4でやっていました。それ以外は、友達とどこかに行ったり、人んち泊まって料理して帰ってきたり。
――あ、行成さんは『本日のメニューは。』など料理をモチーフとして小説も書かれていますが、その頃からもう料理が好きだったのですか。
行成:親が働きに出ていたので、小学校の頃から小腹が減った時は自分で何か作っていたんです。高校生の頃も、夜中お腹がすいたら夕食の残りをアレンジしたりして。大学になると一人暮らしの友達もできて、料理作れないっていうから行ってご飯を作ってみんなで食べていました。
――料理のセンスがあったんですね。
行成:僕らの世代は『美味しんぼ』ですよ(笑)。理髪店に『美味しんぼ』があって、行くたびに読み漁るんですよね。食べたことがないのに頭だけは肥えていく。今でもそんなに上手いわけじゃないですけれど、キッチンに立つのが普通という感覚です。
――音楽活動は。
行成:大学は軽音部に入っていましたが、まともに活動したのは2年くらいで、大学3年の頃に東京の音楽事務所のオーディションに引っかかって、研究生みたいな扱いでボイトレに通っていました。
――大学生時代、本を読む時間はありましたか。
行成:高校を卒業した後に家でも全エンタメが解禁になり、ゲームもできるしテレビも映画も観られるようになったので、エンタメ吸収元としての本というものの存在感は薄まった時期でもありました。
ただ、大学生の頃に第3次ミステリブームが来て、島田荘司さんとかを読むようになります。ようやく現代小説にたどり着いたんです。
――島田さんを読んだきっかけというのは。
行成:大学3年、4年の時、彼女がロンドンに留学していたんです。休みの時に遊びに行ったら、彼女がルームシェアしている日本人の子がミステリ好きで、それで借りて読んではまりました。島田さんのミステリでいちばん好きだったのは『アトポス』。あれも歴史が関わる話ですよね。
あとは京極夏彦先生。『姑獲鳥の夏』などの京極堂シリーズのノベルスから読み始めました。あわせて藤沢周平の『たそがれ清兵衛』などの剣豪小説にもはまっていました。
それと、友達に本をよく読む子がいて『三国志』の話などもできたので、その影響で『三国志』リバイバルが来ました。『グイン・サーガ』なども読みなおしの時期がありましたね。
――読み返すにしても時間がかかりそうです。
行成:『グイン・サーガ』はもう80巻近く 出ていましたから、これは読み終わらないなと思っていたら、本当に終わりませんでした(笑)。
――そういえばその後、漫画は読まれたのですか。
行成:高校から大学にかけてはまったのは『うしおととら 』と『ベルセルク』かな。やっぱりストーリーが面白くて、構造がすごくしっかりしている作品が好きでした。あとはなんだろう、ボクシング漫画の『はじめの一歩 』とか、『殺し屋1』とか。基本的に血なまぐさい漫画が多いですね(笑)。大人になってからは、映画のほうが多いかもしれません。
――映画はどういうものが好きですか。
行成:やっぱりストーリーと構造がしっかりしているものが好みなので、いちばん好きなのはクリストファー・ノーラン。頭を使わされる映画が好きです。
「マトリックス」とかだって、ただのアクションだと思ってみていると、めちゃくちゃ裏の設定がすごいじゃないですか。そういう作品にはまりがちです。自分が書いているものには直結していないんですけれど、そういうところからエッセンスを持ってきているとは思います。