
作家の読書道 第265回:行成薫さん
2012年に『名も無き世界のエンドロール』(応募時タイトルは「マチルダ」)で小説すばる新人賞を受賞、以来さまざまなエンタメ作品で読書を楽しませてきた行成薫さん。幼い頃からエンタメを本から摂取し、10代の頃から音楽活動を開始していた行成さんが愛読してきた作家や作品、そして小説を書き始めたきっかけは?
その4「ブログと作家デビュー」 (4/7)
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――大学卒業後は、ミュージシャンとして活動を続けられていたわけですか。
行成:大学時代に入っていた事務所を退所して、卒業単位を取り終えてすぐロンドンへ行き、大学卒業した後の夏にロンドンから帰ってきて、東京に出ました。最初の事務所の講師が移籍した音楽事務所に誘われて、インディーズでライブ出たりCD作ったりなどの活動をしていました。
その間、平日は派遣社員として働いておりました。そこでITの知識をつけて、29の時にSEとして正社員になりました。
僕の中で29って区切りの歳だったんです。28までは若者で、29からは大人というイメージがありました。なので28までに芽が出なかったから諦めようということで、就職をしました。その会社が、結構、出張が多くて忙しいところで。
そこで転機になったのが小説を書き始めたことでした。僕は20代の中盤からブログを始めていたんですが、就職後出張が多くなって、その移動時間を埋めるために長編小説を書きはじめたんです。 ブログを始めた時、コンテンツのひとつとして短編小説も載せていたら、ブログの読者でリアルでも友達になった人に本をプレゼントされて。それが町田康さんの『屈辱ポンチ』で、「文章が似てるね」って言われて渡されました。僕はああいう文体で書いていたわけではないんですけれど。
町田さんも音楽をやってらっしゃるので、リズムとかテンポが文章から伝わってくる。で、悪い意味ではなくて、一見ふざけているような感じじゃないですか。小説ってこんなに自由でいいんだと思いました。もともと自分が小中学校時代に読んできたのは格調高い歴史小説とか明治大正昭和の文豪が書いたものだったので、小説って難しいものだというイメージがあったんです。でも町田さんの小説を読むと、話し言葉のように書いてあったので、ぶっ飛びました(笑)。
――ご自身がブログに短篇小説を書き始めたのは、もともと物語を作るのが好きだったからですか。
行成:なんというか、小説を書いたりすることに気構えみたいなものがなかったんですよ。中学校の時に夏休みの宿題で創作文を書くこともあったし、お話を作るということに関してはなにも抵抗がなかったんです。
で、町田さんを読み、自分ももっとやってみようと思って書いていくなかで、また「文体が似てますね」と言われたのが伊坂幸太郎さん。それで読んでみたのが『アヒルと鴨のコインロッカー』で、大はまりしました。
――それまで地元仙台の大人気作家、伊坂さんを知らなったのですか?
行成:たぶん、伊坂さんが『ゴールデンスランバー』で本屋大賞を受賞されたりして注目されていた時期だったんじゃないかなと思うんですけれど、まったく知らなかったんです。文体が似ていると言われてはじめて、「あ、仙台の人じゃん」っていう感じで(笑)。
それで『アヒルと鴨のコインロッカー』を読んだら、地元の動物園とかが出てくるんです。その後映画化もされていましたけれど、ロケ地の大学キャンパスが僕の母校なんですよ。
ということで、栗本薫以来の作家読みをはじめ、それで、自分もこういうものを書いてみたいと思ったんです。
――で、書いてみたわけですか。
行成:そうですね。短篇を何本か書きつつ、長篇も何回かチャレンジしたんですけれど、全然お話にならなくて。
その頃、インターネット上だけでやりとりしている小説好きの友達が、よくお題を出してくれたんです。その人に向けて長篇を書くことにして、一章書いたら送って読んでもらって、また一章書いたら送って...という流れで書きあげたのが、『名も無き世界のエンドロール』でした。
――2012年に小説すばる新人賞を受賞したデビュー作ですね。
行成:『アヒルと鴨のコインロッカー』のような、テンポがよくて、最後に怒涛の伏線回収がある小説を書いてみたくて、自分なりに「アヒルと鴨」をベースに、オリジナルの話と組み合わせてリミックスするようなイメージで書いたものです 。あの構造を使いつつ、プロットも何もないまま一章書いてはその人に送っていました。映画の「レオン」と組み合わせたラストのワンアイデアだけはあったんです。あのラストシーンを書きたいと思って書き始めて、なんとか最後まで書きったら、「せっかく書いたんだからどこかの新人賞に出したらいいじゃん」と言われて。「どの賞に出せばいいと思う?」と訊いたら「たぶんエンタメだと思うよ」と言われ、自分はエンタメと純文学の区別もついていなくて調べてみたら、小説すばる新人賞がいちばん応募数が多かったので、そこに決めました。
――応募数多いと競争率も高いとは考えなかったのですか。
行成:いや、まさか受賞するなんて思っていないじゃないですか。今の自分のレベルで一次や二次を通過したら、今後趣味として投稿していくのもいいかなと思ったんです。一次で落ちたらたぶん才能がないんだろうから、投稿はこれでやめて、完全に自分の趣味として好きにやっていこう、って。
――そしたら受賞の知らせがきたという。
行成:噓でしょ、と思いました。でもそう思いつつ、過去の受賞作とかも読んでいたので、意外と受け入れてもらえるんじゃないかという気もしていました。村山由佳さんの『天使の卵』や朝井リョウさんの『桐島、部活やめるってよ』、天野純希さんの『桃山ビート・トライブ』などを読むなかで、三崎亜記さんの『となり町戦争』を読んだ時、こういう世界観が通るんだったら、『名も無き世界のエンドロール』もはまるかもしれないなと思いました。日常っぽいけれどなんかと違う、みたいな、ちょっと浮いた世界観が僕自身も好きでした。
――そして、デビューを果たして...。
行成:そこから3年間、本を出せていないんです。書けなかった。やっぱり全然力不足の状態なのにワンアイデアで受賞しちゃって。技術も何もないのにポテンシャル採用されてしまった感じです。
勤め先でものすごく忙しい部署にいたので、会社に言って別の部署に回してもらったんです。そうしたら、そこがシステムが全然築けていなくて、僕が一から作らなきゃいけなくなって。誰がどういうことをするとか、こういう依頼がきらたこうする、といったことを一から作っていたら、むしろすごい激務になっちゃったんですね。勤務先も遠くなったので家に帰ってくると11時12時の世界で、そこから小説を書いて朝4時くらいに寝て、みたいな生活を送っていたら身体がついていけなくなったので、退職することになりました。
――いつ辞められたのですか。
行成:受賞して3年経った頃、2作目の『バイバイ・バディ』が出る直前です。あれは会社を辞めて一気に仕上げました。当時の編集さんにめちゃくちゃ尻を叩かれまくって書きました(笑)。