
作家の読書道 第266回:君嶋彼方さん
2021年に第12回〈小説 野性時代 新人賞〉を受賞した『君の顔では泣けない』(応募時のタイトルは「水平線は回転する」)が話題となり、映画化も決定した君嶋彼方さん。ホラー文庫から広がっていった読書遍歴は? ドラマ好き、映画好きでもある君嶋さん、好きな映像作品や脚本家、監督についても教えてくださいました。
その4「文芸サークル、就職、デビュー」 (4/7)
――山本さんの『ブルーもしくはブルー』を読んだ後、自分でも書き始めたのですか。
君嶋:最初は思ったことを形にする程度で、掌編みたいものをチラシの裏に書いていました。きちんとした小説を書こうと思ったのは大学生の時です。どこのサークルに入ろうかなと思って調べてみたら文芸サークルがあったので、自分も一応お遊びで小説っぽいものを書いていたからちょっとやってみようと思って。そこから自分も小説を書くことをちゃんと意識し始めた感じがします。
活動としては、年に4回くらい合同誌みたいなものを出すので、みんなそこに向けて小説を書くんです。書きあげたら、それで合評会みたいなことをしていました。
――そういう時って、かなりディベートするんですか。
君嶋:そうですね。今振り返ると、結構きちんとしたことをやっていたなと思います。やっぱり読むのが好きな人が集まっているので、みんな目が肥えているんですよね。目が肥えていたら小説が上手に書けるかはまた別なんですけれど(笑)、すごく参考になる意見があったなと思います。でもやっぱりみんな、褒めるよりはどうしても批判のほうにいきがちなので、なにくそと思うこともありました。
4年間の活動で年4回合同誌に書くと、16作書くことになりますよね。もちろん短いものも含めてですけれど、そこで基礎的な力はできたと思います。やっぱり、最後まで書き上げられる人って少ないんです。1回前篇を載せて、「後篇に続きます」と予告しているのにいつまでたっても書かない、みたいな人が結構いました。最後まで書く力はそこで結構作れたんじゃないかなと思っています。
――どういう作品を書いていたのですか。前に、自分と似た人物は書きづらいとおっしゃっていましたよね。
君嶋:大学生の話は書いたことがなかったです。いつも、OLの話とか、主婦の話とかでした。女性主人公が多かったのは山本文緒さんに影響されていたからかもしれないし、やっぱりドラマを見ていると、そういう主人公が多かったからかもしれません。ドラマを見て女の人たちの日常に関する知識を吸収した、というのはある気がします(笑)。
――文芸サークルでは、本の情報を交換して読書の幅も広がったのでは。
君嶋:そうですね。やっぱり教えてもらうことがすごくありました。その中で僕がいちばんはまったのが長嶋有さんです。先輩から教えてもらった『夕子ちゃんの近道』を最初に読んで面白いなと思って、そこから他の作品も読み漁りました。長嶋さんも著作があまりないのでその当時刊行されているものはすぐ読み終わってしまって、寂しいなと思っていたんですけれど。
当時、サークルでは舞城王太郎さんと西尾維新さんがすごく流行っていました。みんな西尾さんの文体を真似したがるんですよ。あとは森見登美彦さん。僕一人だけ長嶋有さんっぽい文体にしようとして大失敗していました。やっぱりそんな簡単には真似できなくて。
長嶋さんは本当になんでもないことをとても情緒的に書く人ですよね。ドラマの「すいか」もそうですけれど、なんでもないことを面白く書けるってなかなかできることじゃないよなと思っていました。何か物語を書こうとする時、たいてい派手で分かりやすい展開に持っていきがちで、もちろんそれをしっかり書けるのはすごい才能だけど、なんでもないことを書いてしかもちゃんと面白くて響く、というのがすごいなと思っていました。僕もそういうものを書いてやろうとしたんですけれど、無謀でした。
――長嶋さん作品の中ではやっぱり『夕子ちゃんの近道』がいちばん好きですか。
君嶋:そうですね、そこから入ったので、やっぱりいちばんかな。「猛スピードで母は」も「サイドカーに犬」も(ともに『猛スピードで母は』所収)、『パラレル』もすごく好きでした。
――その頃、ご自身の中で自分の作風がエンタメなのか純文学なのかといった認識はありましたか。
君嶋:実はいまだにわからなくて。ただ書きたいものを書く、という感じでずっときているので、正直そんなに意識はしていないです。読んでいでもその線引きは難しいなと感じるので、自分の中で答えは出ていないです。
――新人賞の応募も始めたのですか。
君嶋:大学在学中から応募し始めました。僕に長嶋有さんを薦めてくれた先輩が「なにか賞に出してみれば」と言ってくれて。それほど小説家になりたい気持ちはなかったんですが、先輩に言われて出してみる気になり、ネットで調べたんです。それで、なぜ選んだのかは憶えていないんですが、小説すばる新人賞に出しました。それが結構いいところまでいったんですよ。最終選考の一個手前くらいまで残っていました。その時に大賞を獲ったのが朝井リョウさんの『桐島、部活やめるってよ』だったんです。僕、朝井さんと同い年なんです。
――あ、平成元年生まれですよね。
君嶋:そうです。なにかのインタビューを読んだら朝井さんにリア充感を感じて、やっぱりちょっと悔しいっていうのがありました(笑)。そこからちゃんと小説家になりたいって思い始めたのかもしれません。
部誌にも書いていたのでたくさん応募作が書けるわけではなく、そこからは応募先は小説すばる新人賞一本でいきました。でも、それ以降はずっと箸にも棒にも引っかからずでした。
そこから社会人になったんですけれど、すごく激務だったんです。今は転職してふたつめの職場にいるんですけれど、ひとつめは僕、テレビのADをやってまして。
――ADさんってめちゃくちゃ大変なのでは。
君嶋:ある帯番組のADだったんですけど、曜日ごとに班が決まっていて、僕は火曜日の班でした。そうすると前日の月曜日の朝8時くらいに出社してそこからずっと仕事して、翌日火曜日のオンエアが終わった後もいろいろやらなくちゃいけないので、結局帰るのが夕方の5時くらい。その間、ほぼ寝ていないんですよ。というのが週に一度必ずありました。
――それ以外の曜日もいろいろやることはありますしね。
君嶋:小説を書く暇も、本を読む時間もドラマを見る時間もなかったです。ちょっと時間ができても疲れていて気力が湧かないし、集中できなくて。
僕、もともとはドラマを作りたかったんですよね。でもなかなか志望通りの番組にはいけなかった。それと、2年目くらいの時に同じ職場の人と結婚したんです。2人で同じ職場にいるのはどうなんだということもあり、妻と話して、思い切って僕が転職することにしました。
転職先は、自分の時間が自由になる、ホワイトそうなところにしようと思って。就業時間が9時5時の職場に転職しました。今はそれから10年経ったんでちょっと偉くなってちょっと忙しくなったんですけれど、最初の頃は本当にまだ外が明るい5時に帰っていました。
それで生活が落ち着いてきたので、久々に小説が書きたくなって。その時は新人賞に投稿することは頭になくて、文学フリマに出したいなと思ったんです。いきなり一人で出すのはハードルが高かったので文芸サークルの人たちに声をかけて、合同誌ではなくそれぞれ出そうということになりました。文学フリマは1年に2回ありますが、僕は年1回出していました。4年くらいそれが続いたんですが、一緒にやる人も一人減り、また一人減り、結局僕しか残らなくて。それに正直、そんなに売れなかったんですね。1日10冊売れればいいほうでした。でもたまにSNSを検索すると、「君嶋彼方さんの本がすごくよかった」みたいな感想があって、小説を書くのって楽しいなと思っていました。
そうしたら妻が、お前は本当にそれでいいのか、と。「昔は小説家になりたくていろいろやっていたんじゃないのか」と言われまして。それで「確かに...」となって。久しぶりにもう一回投稿してみようと思っていた頃に、文フリに出した短篇集を知り合いが読んでくれたんですが、その中の一篇が『君の顔では泣けない』の短篇バージョンだったんです。
――『君の顔では泣けない』は、高校生の頃に身体が入れ替わってしまった男女2人の30歳の時の話と、彼らの高校時代からの話が交互に語られていく構成ですよね。
君嶋:短篇で書いたのは、30歳の時の話だけだったんですね。その知り合いが、「30歳の時だけじゃなくて、彼らが今までどういうふうに過ごしてきたかもすごく気になるから、長篇にもなりそうだよね」みたいな感想を言ってくれたんです。確かにそれは面白そうだと思い、膨らませて長篇にして、因縁の小説すばる新人賞に送ったんですけれど、二次くらいまでいって駄目でした。
それで、どうしようかなと迷ったんですが、ぜっかく久々にそれなりの長さのものを思いっきり書いたので、このまま駄目にするのはもったいないなと思って。そこから改稿していきました。
それで別のところに投稿しようと思って調べたら、KADOKAWAの〈小説 野性時代 新人賞〉 の締切が近かったんです。そこに応募して駄目だったら別のものを新しく書こうと思っていたら、最終選考に残ったという連絡をいただいたんです。
前に小説すばる新人賞に出してるけど大丈夫かなと思ったら、やっぱり未発表作品ですかと訊かれたので正直に言いました。改稿する前のものを応募したこととか、短篇バージョンを文フリに出したこととか。「じゃあナシですね」と言われたらどうしようと思ったんですけれど、言わないで後からバレた時のほうがもっとまずいことになるなと思いました。そうしたら「社内で相談します」みたいな答えが返ってきてすごくドキドキしてたんですが、結果的に「改稿したものであれば大丈夫です」と連絡が来たのでほっとしました。
「最終選考は何月何日にありますので、お電話をとれるようにしてください」と言われ、指定された時間帯が平日の午後だったので、その日は休みをとって家で一人で悶々としていました。ただ悶々とするのは時間の無駄だなと思って次の作品を書いていたんですけれど、当然、まったく筆は進まず(笑)。3時から選考会で、4時半くらいにかかってきたのかな。「おめでとうございます」と言われて、まじかと思って。
電話をくださったのが文庫の担当編集になってくれた方なんですけれど、すごく淡々としていたんです。割と冷静に事務的な話をして終わって、「あれ、そんなに喜ばしいことじゃないのかな」と思った記憶がすごく残っています。その後一緒にお仕事をしていくうちに、もともと淡々とした方だってわかりました(笑)。
事務的な話をして電話を切って、速攻で妻に電話したらケーキを買ってきてくれたんですが、自分が食べたいからといって3個買ってきたんですよ。妻が「いいことがあったからお祝い」と言って3個のケーキの写真をインスタのストーリーに挙げたら、みんな妊娠と勘違してました(笑)。