
作家の読書道 第269回:前川ほまれさん
2017年にポプラ社小説新人賞を受賞した『跡を消す 特殊清掃専門会社デッドモーニング』を翌年刊行してデビュー、昨年『藍色時刻の君たちは』で山田風太郎賞を受賞した前川ほまれさん。看護師でもある前川さんが、小説家を目指したきっかけは? その読書遍歴と来し方についてたっぷりおうかがいしました。
その3「アルバイトと読書だけの生活」 (3/7)
――それで仕事を辞めて、手あたり次第に本を読み始めたわけですか。
前川:そうですね。辞めたら辞めたらで「なんで自分は辞めたんだ」と、自己嫌悪にはまってしまって。地元を出る時も家族や周囲に大きなことを言って出てきたくせに、みたいな気持ちでした。それでモグラみたいな生活を送っていたんです。アルバイトに行って、帰ってきたらずっと家で本を読んで、またアルバイトに行って、というだけの生活を送っていました。
そのモグラ時代に、小説にすごく救われたんです。小説さえ読んでいれば嫌な自分も忘れられたし、何かに夢中になれるし、何かいいことをしているような気分になる。今でも結構思い返すんですけれど、あの時期に、1冊の本で救われるんだと実感する経験をしました。
――本は買っていたのですか、借りていたのですか。
前川:その時は人間関係を完全に絶っていたし、掛け持ちでアルバイトして、電気代や家賃や食費以外はお金を使わなかったので、その分古本屋や新刊書店で本を買っていました。単行本は高いので、ほぼ文庫でしたけれど。
その頃に先ほど話した太宰治を読んだり、三島由紀夫や中上健次といった有名どころの面白そうな本を手あたり次第読みました。三島由紀夫は『仮面の告白』なども読みましたがやっぱり『金閣寺』がすごく印象に残っているし、中上健次は『十九歳の地図』とかいろいろありますけれど、自分は後期に書かれた『千年の愉楽』をすごく面白く読んだ気がします。記憶が曖昧なんですけれど。
村上龍さんもたくさん読みました。デビュー作の『限りなく透明に近いブルー』なども読むなかで、いちばん強く印象に残っているのは『コインロッカー・ベイビーズ』です。もうなんか、どのページをめくってもずっとヒリヒリしているというか。自分の中の価値観というか綺麗ごとみたいなものを全部文章で破壊してくるような、衝動みたいなものが詰まっている本だと思いました。当時、相当夢中になりました。
――有名どころを選んだのはどうしてだったのでしょう。
前川:長年書店に置かれているということは、何かあるんだろうなという気がしました。面白い面白くないは別にして、何か物語にパワーというか、読み継がれる理由があるはずだと思って。なのですごくニッチな作品よりは、ベストセラーとなっている本を読んでいたと思います。
ネットで有名な本を調べるとタイトルが出てくるので、あらすじも読まずにそれをメモして本屋さんに行って買ったり、本屋さんで平積みになっている本や、夏に各社がやっている名作フェアみたいなものから面白そうなものや装幀がいいものを選んで片っ端から読んでいったという感じです。
――ああ、装幀も大事ですよね。どんな装幀が好きでしたか。
前川:作品の中身が見えないような、抽象的なものが好きでした。たとえばボリス・ヴィアンの『日々の泡』とか。ぱっと見どういう話か全然分からなくて、お洒落な感じで。海外文学はわりと装幀に惹かれたものを買っていたような気がします。
――『日々の泡』は新潮文庫ですね。同じ本が『うたかたの日々』のタイトルで早川書房からも出ていますけれど。
前川:そうです、自分が買ったのは黒っぽい表紙の新潮文庫でした。あれは肺の中で水蓮が育つという悲しい話で、衝撃を受けました。
海外文学は他に、ジョン・アーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』とか、カフカの『変身』とか。カフカは全部理解できるとは思わなかったんですけれど、とりあえず名作と言われているので読もうと思って。
カポーティも、『カメレオンのための音楽』を装幀に惹かれて買って読んだら面白くて、『冷血』も有名な作品なので買いました。
『冷血』は圧倒されました。あれは実際に起きた一家四人惨殺事件を追ったノンフィクション・ノヴェルですよね。そこから、殺人事件を追ったノンフィクションとかにも手を延ばすようになった気がします。
――殺人事件を追ったノンフィクションといいますと他にはどのようなものを。
前川:わりと後になって読んだ作品ですが、清水潔さんの『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』とか、最近だと木寺一孝さんの『正義の行方』とか。あとは殺人事件に限らず、当事者たちの生の声を集めた本などは定期的に読むようになりました。
――読書に没入していた時期も、やっぱり自分には書くのは無理だなと思っていたんですか。
前川:小説を書こうとはまったく思わなかったですね。たぶん10代の頃に書こうと思って書けなかったことが奥底にあった気がします。
あと、当時は本当に自分に何も自信がなかったというか。自己肯定感が低めだったし、何かをやろうという気持ちがあまりなかったです。だから、最低限本は読もう、という状況でした。