第269回:前川ほまれさん

作家の読書道 第269回:前川ほまれさん

2017年にポプラ社小説新人賞を受賞した『跡を消す 特殊清掃専門会社デッドモーニング』を翌年刊行してデビュー、昨年『藍色時刻の君たちは』で山田風太郎賞を受賞した前川ほまれさん。看護師でもある前川さんが、小説家を目指したきっかけは? その読書遍歴と来し方についてたっぷりおうかがいしました。

その7「複雑さを書いていく」 (7/7)

  • 藍色時刻の君たちは
  • 『藍色時刻の君たちは』
    前川 ほまれ
    東京創元社
    1,920円(税込)
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  • 七瀬ふたたび (新潮文庫)
  • 『七瀬ふたたび (新潮文庫)』
    筒井 康隆
    新潮社
    605円(税込)
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  • パプリカ (新潮文庫)
  • 『パプリカ (新潮文庫)』
    康隆, 筒井
    新潮社
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  • 臨床のスピカ
  • 『臨床のスピカ』
    前川 ほまれ
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  • セゾン・サンカンシオン
  • 『セゾン・サンカンシオン』
    前川 ほまれ
    ポプラ社
    1,964円(税込)
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――昨年山田風太郎賞を受賞された『藍色時刻の君たちは』は、はじめてポプラ社を離れ東京創元社さんから出した長篇でしたね。

前川:東京創元社さんはかなり早い段階で声をかけてくださったんです。ミステリの出版社という印象が強かったんですけれど、「ぜひ好きなように書いてください」と言ってくださいました。

――東北の街に暮らす3人のヤングケアラーの高校生の物語です。家庭の事情も、ケアに対する本人の意識も三者三様ですよね。彼らは東日本大震災に見舞われますが、その後、大人になった姿も描かれていく。

前川:デビュー当時のインタビューでも、自分の出身地が被災したのでいつか震災のことは書きたいと言っていたんです。でもどう書いたらいいか分からなくて。
どこかで村上龍さんが、自分は二つのテーマをくっつけるのが好きだということをおっしゃっていたんですよ。それを思いだして、その時に興味があったヤングケアラーと、震災というものをくっつけてみよう、と。やはり東京創元社さんなので、自分はミステリを通ってきたわけではないけれど、ちょっとミステリ風くらいな感じにもなるかなと思いました。

――ヤングケアラーに興味があったのはどうしてですか。

前川:自分が関わる患者さんの周辺にヤングケアラーの人がいることが続いたんです。入院してきた患者さんのご家族がほぼヤングケアラーみたいな役割を背負っていたりして。自分の中でわりとホットなテーマだったので、一回書いてみたいというのがありました。もちろん、実際に会った方々のことをそのまま書いたわけではないです。

――ヤングケアラーと聞くとすぐ「行政に助けてもらったほうがいいのでは」と思ってしまいますが、本人たちの心情はすごく複雑ですよね。作中、彼ら個々人の思いも丁寧に描かれていて、いろんな立場、いろんな苦しみや葛藤、さらにはいろんな思春期の思いがよく伝わってきました。

前川:やっぱり複雑さみたいなものを書きたいというのがありました。彼らはサポートが必要な状況ではあるんですけれども、やはりそれぞれに状況も違うし、言いたいこともある。そのあたりはあんまり安直化しないように意識しました。「ヤングケアラー」=「かわいそう」というだけではない、当事者の声を大切にしながら書いた記憶があります。

――いつか震災を書きたかったというのは、どういう思いがあったのでしょうか。

前川:自分が住んでいた地区は海辺の地域が壊滅していて、結構被害が大きかったんです。でも自分はその時に東京にいて、何もできなかったという葛藤がずっとありました。ボランティアにも行けなかったし。自分が育った街が波にさらわれていく様子を見ているだけという無力感みたいなものがずっとありました。それを昇華、じゃないですけれど、なにか折り合いをつけるために書きたいという、個人的な思いが大きかった気がします。
ただ、もうすでに震災関係のノンフィクションはたくさん出ているので、小説として被災者の「つらさ」を全面に描くよりは、それでも生きていく登場人物たちを描きたい気持ちが先行しました。悲しい現実も文章にしてしまうと嘘くさくなる気がして、それよりはひたむきに頑張ったり、立ち直るために心にひとつ線を引こうとしている人々を書きたかったんです。

――そんな『藍色時刻の君たちは』で山田風太郎賞を受賞されて。

前川:はい。もうあれは奇跡が起こったとしか言えなくて...。授賞式で自分が学生の頃から読んできた作家さんたちとお話しできたということがもう、単純に嬉しかったです。

――選考委員の方々ですね。

前川:貴志祐介さんと、夢枕獏さんと、恩田陸さんと、筒井康隆さん。筒井さんは自分の作品を推してくださったそうで、めちゃくちゃ感無量です。中学校の図書室に『七瀬ふたたび』とか『パプリカ』とかの文庫があって、自分も読んでいたので。

――新作の『臨床のスピカ』は、患者の治療計画の中で動物を介在させる療法を題材にされていますよね。東京のとある病院で動物介在療法が導入されることとなり、ゴールデン・レトリバーのスピカと、スピカのハンドラーの凪川遥が働くようになる。凪川は以前この病院で働いていたこともある看護師です。彼らと出会う患者や、患者の家族のさまざまなエピソードが綴られる一方で、凪川がハンドラーとなるまでの物語や、彼女が抱える家族の事情が盛り込まれていく。

前川:2022年くらいからちょこちょこ書いていました。最初は短篇の予定だったんです。それで書いたのが第一章の部分で、結局長篇にすることになりました。『藍色時刻の君たちは』と執筆時期が被っていたので、少しずつ書いていって、『藍色~』を書き終えた後で最初から手直ししていきました。

――第一章は、スピカと横紋筋肉腫と診断された少女とその家族の話ですよね。長期入院のストレスをためこんだ少女が、スピカと触れ合う時間だけは活き活きとしている。そもそも、動物介在療法という題材を選んだのはどうしてだったのですか。

前川:確か、最初は「動物に関する話」という提案をいただいたんだと思います。そのなかのひとつに「アニマルセラピー」というのがありました。「アニマルセラピー」という言葉自体は和製英語で、医療現場では動物介在活動や動物介在療法と呼ばれていることも知りました。ただ、自分は動物介在療法に関わったこともなかったので、そこからいろいろ調べていきました。
『セゾン・サンカンシオン』や『藍色時刻の君たちは』を書いていた時期に比べ、コロナ禍の日々を客観的に見られる状態になっていた時期だったんですよね。それもあって自分は人と人との距離、心理的な距離みたいなものを書きたいんだなと、途中で気づきました。

――一人一人の患者さんの状況や、周囲との関係性も丁寧に書かれていますよね。犬が人間を癒してくれるような、単純なハートフルな物語ではない。

前川:自分の勝手な印象なんですけれど、「病院に犬がいる」というパッケージだけで、犬が全部解決してくれるイメージが先行しそうだな、というのがあって。そうではなく、もっと掘り下げて、犬が寄り添うことで人は良くも悪くもどう変化していくのかを書きたかったんです。やっぱりハートフルなだけの話には絶対にしたくなかったです。ある種の厳しさとか悲しみも入れつつ、登場人物たちが行動を起こしていければいいかな、と思いながら書きました。

――確かにどの章も厳しさを描きつつ、最後はすごく前向きな気持ちになれます。読者が突き落とされたような気持ちになって終わる話ではないんですよね。

前川:そうですね。自分は突き落として終わるような話も好きなんですけれども(笑)、この小説は「寄り添う」がテーマのひとつだと思うので。読んだ人が、そばにスピカがいてくれるような読み心地になってくれればいいなと思って書きました。明るいハッピーエンドとは言わないですけれど、少しは光が見えるような終わり方にしました。

――やはり実際に医療現場に関わっている方だから書けるリアリティがあるんだなと感じました。現場のことや病気の症状についても、登場人物の心情についても。

前川:何かしら痛みを抱えている方々と接する機会が多いので、その時に感じたことは、もちろんそのまま書くことはできないですけれど、キャラクターに乗せて書いていけたらと思っています。

――読者を突き落とすような話もお好きとのことですが、ご自身でも書いてみたいですか。

前川:はい。バッドエンドの話も結構好きで、ホラーも書きたいです。でも今ホラーがブームになっているので、ブームが終わった頃にひっそりと書きたいです(笑)。

――最近もホラーは読んでいますか。ご自身だったらどんなホラーを書きたいですか。

前川:背筋さんとか雨穴さんの作品を読みましたが、よりリアリティがあって怖いですよね。
自分は民間伝承が結構好きなんです。たとえば小松和彦さんの『憑依信仰論 妖怪研究への試み』はフィールドワークで憑依現象をロジカルに解き明かしていて、すごく好きな本ですね。なので、そういう民間伝承にまつわるものをいつか書いてみたいです。

――現在も、お休みの日はずっと書いているか読んでいる、という感じですか。

前川:休みの日はほぼそうですね。でも子供が二人いるので。この前も学校開放の役員をしましたし、公園で子供とサッカーをしたりもするので、そういうこともしつつ、時間を見つけて書いている感じです。

――今後のご予定は。

前川:「小説 野性時代」で不定期にジェンダーの問題を書いています。それとは別に、書き下ろし長篇にも取り掛かっています。「やまゆり園」の殺傷事件が自分の中でものすごくわだかまっていることの一つなので、自分なりに書いてみたいなと思っていて。もちろん事件をそのまま書くわけではなく、現代と近代を交互に描こうかなと思っていて...。イメージでいうと、『藍色~』でヤングケアラーと震災を合わせたように、別々の出来事を合わせた感じの話になるのかな、と。
どちらも単行本になるのはまだ先です。もともと自分は出せても1年に1作くらいなので、じっくりと、納得いくものを書きたいなと思っています。

(了)