
作家の読書道 第272回:野﨑まどさん
2009年に『[映]アムリタ』で電撃文庫賞のメディアワークス文庫賞の最初の受賞者となりデビュー、その後『Know』が日本SF大賞や大学読書人大賞にノミネートされるなど注目される野﨑まどさん。「キノベス2025」第3位にランクインした新作『小説』は、本を読むことをテーマとした長篇小説。読者の心に光をもたらす作品を書いた著者は、どんな読者なのか。その読書遍歴や小説家となった経緯などをおうかがいしました。
その3「理科の教師による課題図書」 (3/6)
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- 『竜の柩(1) 聖邪の顔編 (講談社文庫)』
- 高橋克彦
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――高校も家から近いところに通っていたのですか。
野﨑:墨田区の高校に進学しました。成績は悪いわけでもないが良いわけでもない、本当に真ん中くらいの高校でした。上を目指す意欲もなく、勉強しなくても入れるのはここ、みたいなところに入りました。
――高校時代の読書生活は。
野﨑:その頃ようやく本を読む環境が整ってきました。ある程度友達が増えるんですけれど、文芸部の友達がいたりして。僕は演劇部だったんで、文系文化に触れる土壌が揃ったんです。本を読むようになりましたし、舞台もちらほら観に行くようになりました。あとは、当時趣味にしていたことのひとつとして、親戚から譲ってもらったパソコンを触っていました。windows95が出た頃だったかな。僕が住んでいた墨田区は自転車で秋葉原まで行ける距離感なんですよね。秋葉原まで行くと、ついでに神保町まで行って本が買えました。それで毎日のように秋葉原、神保町、墨田というコースを辿って、書泉とかで本を買っていました。
――どのような本を選んでいたのですか。
野﨑:ミステリや伝奇小説に寄っていったんですが、それは親からの影響があったと思います。親から授けられて読んだ本に司馬遼太郎の他に半村良さんとかもあって、その派生で講談社のノベルスに流れて高橋克彦さんとか。それと、当時ノベルスで人気になってきた西尾維新さんですね。森博嗣さんはもう『すべてがFになる』が出ていたので、そのあたりをシリーズで読んでいきました。
ミステリは謎解きがかっちりしていますが、伝奇ものだとミステリの匙加減をぶち抜いてすごいどんでん返しをしてくれたりするので、それで伝奇も面白いなと思っていました。半村良さんの『妖星伝』はやっぱりすごく好きです。高橋克彦さんはミステリだと『写楽殺人事件』とかの系統になりますが、伝奇だと『竜の柩』というシリーズがあって、めちゃめちゃ面白いんですよ。新聞記者が古代の謎を追っていく話で、ラストに墓に埋まっていたのは実は......どこまで話していいのか分からないんですけれど。ものすごく飛躍したSF展開になるんです。しかも続篇があって、最終的に、その新聞記者の正体は......となって、もう何言ってるかよく分からない展開なんです。ものすごい飛躍で、すごく自由だなと思いました。小説って何をやってもいいんだな、ということをその頃に教わったように思います。
――エンタメを幅広く読まれていたんですね。
野﨑:どれも広く浅くになってしまって、結局半村良さんもまだ読めていない作品があるし、全部読み切った作家のほうがまれだと思います。一応作家読みもするんですけれど、慣性の推進力が失われてしまうという。
――高校で演劇部だったとのことですが、なにかきっかけがあったのですか。
野﨑:最初の2か月間はパソコン部に入っていたんですけれど、そこに演劇部が公演のチラシを作りにきたんです。その時に興味がわいてそのまま演劇部に入りました。裏方をやって、たまに役者をやって、という感じでした。お芝居も観に行くようになりましたが、結構お値段がかかる娯楽なのでそんなに頻繁には行けなかったです。
――ご自身で脚本を書いたりもしましたか。
野﨑:その頃から成井豊さんのキャラメルボックスや劇団☆新感線があったので、そういう非常に高品質で面白い演劇を観てしまうと自分に作れるとは全然思えなかったですね。別世界な感じでした。演劇部の中にはオリジナルの台本を作る人もいたけれど、僕はノータッチでした。
毎年、演劇部のインターハイ的なコンクールがあって、地区予選に出るんです。墨田区からだいたい7校くらい出て、採点で順位をつけられるんです。だいたいうちはいつも4番くらいで、近隣では両国高校の演劇がいちばん面白いんです。偏差値の高い人の作るエンターテインメントはやっぱり違うなと思いました。こっちとは考えている量が2倍も3倍も違う。プロになるとまた変わるんでしょうけれど、高校生くらいの頃だと如実に頭の回転の差が出るというか。受験の時にすでに演劇の闘いも始まっていたのだなと、一抹の悲しみをおぼえました。
――パソコンでは、どんなことをやって遊んでいたのですか。
野﨑:高校生の頃はインターネットが本格的に始まる前だったので、みんなローカルでプログラムを組んだりしていました。簡単なゲームを作って文化祭で来た人に遊んでもらったりして。その頃はパソコンを使えると結構なアドバンテージがありました。キーボードを打てるだけで重宝される時代ではあったので、字を書く上でも何かを作る上でも、良い方に働いたなと思います。
――高校時代、小説以外で、印象に残っている読書体験はありますか。
野﨑:当時、星野先生という理科の教師がいたんです。結構エキセントリックな人で、それこそ『小説』に出てくる教師の寄合則世みたいなキャラクター性のある先生だったんですね。その先生が自分にとって理系の恩師にあたるような立ち位置になりました。
その頃、漫画を読んできた流れで佐々木倫子さんの『動物のお医者さん』を読み、獣医は面白そうだと思ったんです。本当に、『動物のお医者さん』を読んだというだけのきっかけです。
――あれは名作ですよね。北大の獣医学部が舞台のモデルですよね。
野﨑:あれを読んで北大に行きたくならない人はいないですから。でも北大はとても狭き門なので、当時の自分の学力と照らして関東の私大を目指すことにしました。それでも獣医大は大人気で、進路指導でこの偏差値じゃ絶対無理、と言われました。2年生の時だったかな。
そうしたら星野先生が「獣医大に行きたいんだって?」と声をかけてくれたんです。「なら、推薦入試で小論文の一点突破だよ」って。それこそ『小説』で外崎真が高校の推薦入試でやったようなことを言ってきたわけです。「一点突破といってもどうしたらいいですか」と訊いたら「小論文っていうのは、感想文を書くようなものだ」と言って、先生に渡された本の感想文を書く、ということを1年半くらいやったんです。主にブルーバックスや科学啓蒙書の類を読まされる時期がしばらく続いたので、影響を与えられたと思います。
ブルーバックスは理論がそのままタイトルになっている本がいっぱいありますよね。都筑卓司さんの『四次元の世界』とか『不確定性原理』とか。そうしたものを、基礎から順番に読まされていました。進化論から始めて宇宙の原理とか、クォークについての本とか、読んだら読んだで面白くて。先生も感想文を書かせるよりも読ませるのが主目的だったんでしょうね。リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』のような、現代科学を標榜する上でベースメントとして押さえたい本を一通り読ませてくれた、いい先生でした。正直、「クォークの本を読んでも感想とかない」と思ったですけれど、それはそれで、ない感想をひねり出す訓練になりました。
――ものすごくいい指導だなと思いました。めちゃめちゃ勉強になりますよね。
野﨑:これで受験に落ちても財産になるだろうと楽しんで本を紹介してくれましたし、ありがたいことにそれで受験に通りました。
――小論文一点突破で、ですか。
野﨑:完全に一点突破でした。推薦入試に行ってみたら数学二問と小論文だけだったんです。数学も図形の問題で、わからなかったので定規で測って解きました。小論文は今思い出しても人生の中でトップ5に入るくらい完璧に書けたテキストだと思います。
――どんなテーマだったんですか。
野﨑:臓器移植の倫理観がテーマでした。その頃、遺伝子操作でカエルに人間の臓器を作らせることができるようになった、という科学ニュースがあったんです。それを移植することの倫理観についてどう思うか、という。
思い出すとあれが、何をどこまで書いたらどう受け止められるかという、読者に対する意識が強く働いた瞬間でした。耳障りのよい言葉は湧き出てくるけれど、美辞麗句に終始しては心の声という感じが出ないな......、などと考えながら書いていって。規定が800字だったんですけれど、800コマ目に「。」と書いた時に完璧だと思いました。結果無事受かりました。
――素晴らしい。
野﨑:進路指導の先生がいちばんびっくりしていましたね。