
作家の読書道 第272回:野﨑まどさん
2009年に『[映]アムリタ』で電撃文庫賞のメディアワークス文庫賞の最初の受賞者となりデビュー、その後『Know』が日本SF大賞や大学読書人大賞にノミネートされるなど注目される野﨑まどさん。「キノベス2025」第3位にランクインした新作『小説』は、本を読むことをテーマとした長篇小説。読者の心に光をもたらす作品を書いた著者は、どんな読者なのか。その読書遍歴や小説家となった経緯などをおうかがいしました。
その5「小説を書いたきっかけ」 (5/6)
――卒業後はどうしようと思っていたのですか。
野﨑:ライフプランとしては非常によろしくないんですけれど、コミックマーケットに出てそれなりに人気になってくると、食べられないことはない、みたいな感じになっちゃったんですよ。学生の頃はバイトするより全然実入りがよくて、それをやっていければブックオフにも行けるという素晴らしい循環となっていました。
なので、卒業後も2年くらいは同人誌で食べていました。そんなに贅沢ができるほどではないし、コミケでマンションを買ったみたいな作家さんには全く及ばないんですけれど、一人暮らしなら全然食べていけました。
コミケでもっと売れることを目指す手もあったと思うんですけれど、でもまあちゃんとした仕事に就くべきじゃないだろうか......という不安もあったので、2年くらいで一回足抜けして、それなりに働きはじめました。
――読書はずっと続けていたのですか。
野﨑:やはり物を作る時間が圧迫してくると必然的に摂取の時間が減ってきました。作るのも読むのも自分にとってはどちらも娯楽ではあるので、ずっと遊び続けていたのは間違いないんですけれど、割合は変わりました。
大学を卒業して、同人で食べている2年間は本当に完全なる自由、みたいな感じで、作っていない時間は読んで、あとは死なない程度にご飯を食べていればいい、みたいな。またその頃になると漫画喫茶がインフラとして整ってくるんですよね。2005年とか6年あたりですね。いろんなところに漫画喫茶ができて、ブックオフで買うよりも読書効率がものすごくよくなるんです。1000円払うと100冊読めるし、家に置いておかずに済むし読んだ後売りに行かないでいいしとなるともう、むさぼるように漫画を読めてしまいます。小説は買わないといけないものも結構ありましたが、それはそれでアパートでゴロゴロしながら読んでいればいいし。幸せの時期であったと思います。
――読むものに何か変化はありましたか。
野﨑:読むものの趣味はそんなに変わっていない気がします。ただ、哲学書や心理学の本に試しに触れてみたら面白かったので、それらを読んでいた時期があります。25、6歳の頃だったかな。難解だし疲れるので途中で止めるんですけれど、相当暇になるとまた読んで。
フロイトとかユングといった基礎的なところ、メジャーどころを押さえていくところから入りました。哲学もアリストテレスとかから始めて、ジャック・ラカンとかも多少読みました。ラカンは、ある程度理解したふりをしないと1ページも進まないから1回ざっと最後まで読んで全体の色彩を認識したほうがいい、と分かりました。ひとつひとつの概念を完全に把握するのは素人読みでは難しいなと......。その後も、たまにそういう分野に手を出してみるんですが、当たりを引くといい感じに発想が広がりました。
――小説を書き始めたのはどういうきっかけだったのですか。
野﨑:働いてはいたんですが、このままでは経済的に厳しいとなったことがきっかけでした。その頃にたまたまの流れもありました。毎年集まっているコミケの頃からの友達勢5人くらいと飲んでいる時に、「みんなで小説でも書こうよ」という話になり、その友達間では「ラノベがいちばん売れる」という固定観念があったので「電撃大賞がいい」となって。「よし、ラノベ書いて来年は電撃大賞に出そうぜ」と言っていたのに、結局僕しか応募していなかったんですけれど。
それと同時期に、母がガガガ文庫の賞に応募していたこともあり、その影響もあります。
――お母さんがガガガ文庫って、どういうことですか。
野﨑:僕が住んでいたアパートに突然実家から封筒が届いて、開けてみたらプリントアウトされた原稿だったんです。「これなんなの」と親に電話したら、「ラノベを書いてガガガ文庫ってところに送ったから」って。「なんでそれをうちに送ってくるんだ」と訊いたら、「おばちゃんが書いたと思われたらよくないかもしれないから、あんたの名前で送った」と。
その原稿を読んでみたんですけれど、それがまあステキな内容で...。海底に沈んだアトランティスの恐竜人類が放射能で攻撃してくるという話でした。それを他人の名義で送るわけですからすごく迷惑だなと思ったんですけれど、母でも書けるなら僕でも書けるだろうと思えたのが結構大きな転機でした。
――そして2009年、『[映]アムリタ』で電撃小説大賞のメディアワークス文庫賞を受賞してデビューされるという。
野﨑:デビュー作の『[映]アムリタ』がはじめて書いた小説だと言っているんですけれど、小学館のガガガ文庫の編集部だけは、前に自分たちが落とした原稿があるだろう、と思っているかもしれないです。
――『[映]アムリタ』が初めて書いた小説だったのですか。いきなり書けたんですか。
野﨑:締切が近かったので大急ぎで、ひと月くらいで書きました。西尾維新さんが好きだったので、最初に書いた小説は西尾さんの影響が色濃くあると思います。
書いてみたらそれなりに楽しくて、あとは通るも八卦通らぬも八卦でプロになれたらいいなと思って送りました。
――そしてプロになって。『[映]アムリタ』から始まる『舞面真面とお面の女』、『死なない生徒殺人事件 ~識別組子とさまよえる不死~』、『小説家の作り方』『パーフェクトフレンド』『2』は現在新装版が出ています。それぞれ単独でも楽しめますが、実はシリーズとなっている。それは最初から考えていたのですか。
野﨑:さすがに最初の1冊を出した時は全然考えていなくて。2冊目の頃にぼんやり考え始めて、4冊目くらいである程度明確にやっていこうかなと思いました。個別でも読めるように書いたつもりではあったので、最終的にシリーズにならなかったとしても黙っていれば誰にも何も言われないであろうし、損はないな、という感じでした。
――プロの作家となって以降の読書生活は。
野﨑:大学生時代とその後が恵まれてすぎていて、それ以降は仕事もしていたので時間が足りなくなりました。コミックマーケットにも出づらくなってしまいました。最近はあまり出られていないです。
――その後、日本SF大賞の候補となった『know』や、『バビロン』といったSFシリーズ、話題となった『タイタン』などを発表する一方で、テレビアニメ「正解するカド」のシリーズ構成と脚本、劇場アニメ「HELLO WORLD」の脚本と小説版を書かれたりもされていますね。
野﨑:やはり飽き症なので、黙々と本だけを書いて出していくことに耐えられないところがあります。作家をずっと普通にやっていくことに飽きてしまうんです。本を出すのが嫌いなわけではなくて、1回出したら別なことをしなければ、というところがあります。
――作品の巻末に参考文献がたくさん載っていたりしますが、毎回小説に取り組むたびに、いろんな文献にあたるんですか。
野﨑:他の人のほうがもっと調べて書いている気もします。自分はどうしても飽き症なのが出てしまって、本当に必要なことしか調べられないです。
――参考文献は、どうやって探していますか。
野﨑:図書館でキーワードを検索にかけて、回れる図書館の中で当たりっぽいと思えた本を抜いていく感じですね。最近は図書館横断検索といったものもあって助かっています。
自分の手に取れる範囲の中で選んでいるので、当たれていない文献もたくさんあると思います。それでもやっぱり、『小説』を書く時に当たったトールキンの『ファンタジーの世界 妖精物語について』のような、重要そうなものは古本屋を回ったり通販で買ったりすることもあります。
その本が参考になるかどうかは結構こっちの心持ちの次第でもあるので、自分が当たりだと思える引きができるかですね。