
作家の読書道 第272回:野﨑まどさん
2009年に『[映]アムリタ』で電撃文庫賞のメディアワークス文庫賞の最初の受賞者となりデビュー、その後『Know』が日本SF大賞や大学読書人大賞にノミネートされるなど注目される野﨑まどさん。「キノベス2025」第3位にランクインした新作『小説』は、本を読むことをテーマとした長篇小説。読者の心に光をもたらす作品を書いた著者は、どんな読者なのか。その読書遍歴や小説家となった経緯などをおうかがいしました。
その4「読書と創作に没頭した学生時代」 (4/6)
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――獣医大のカリキュラムってどんな感じなんですか。
野﨑:6年制で、1年目は一般教養や英語とかフランス語とかの科目があり、多少遊ぶ余裕もありました。その後はだいたい全員同じものを一律で学ぶ感じですね。ほとんどすべて必修科目で落とせない、という感じでやっていくことになります。
――そんな大学時代の読書生活はいかがですか。
野﨑:一人暮らしが始まったんです。大学は神奈川だったので最初は墨田から1時間30分かけて通っていたんですけれど、往復3時間かかるのが面倒なので母に相談したら「一人暮らしするべきだ」となり、安いアパートを借りました。『小説』で内海が暮らしていたような、白アリに食われてボロボロのアパートでした。
これが非常に自由というか。獣医大は6年制で、それはもちろん勉強するための6年なんですけれど、勉強が疎かだと時間が余ってしまい、それはそれで有意義に活用させていただきました。
ひたすらブックオフに通い続けたんです。幸運なことに、大学が神奈川の相模原市と東京の町田市の境にあって、そのあたりがブックオフの創業地なんです。そこを中心にチェーンとして広まっていくので、アパートから自転車で行動できる範囲にブックオフが15軒とか20軒とかあるんです。欲しい本を探すとどこかの店舗に必ずある状態でした。休日となると朝の10時に自転車に乗って、ブックオフ20軒を回って夕方の6時に帰ってきて、夜から朝まで本や漫画を読むことができたので大変幸福でした。
――その頃はどんな本を読んでいたのですか。
野﨑:そんなに幅が広がったわけでもなく、ミステリとかSFとかで好きな作家ができたらその人の作品をポツポツと穴抜けで読んでいくのを繰り返していました。大学の頃は時代小説は少なかったかな。伝奇も面白く読んではいました。その頃、新伝奇ムーブメントみたいなものがあって。『月姫』とか、アダルトゲームの『Fate/stay night』とかもそうなんですけれど、新しい伝奇を読むことが結構ありました。
アダルトゲームって、単純にHなもので売れているものもあるんですけれど、今も活躍されている作家さんが手掛けた、文章が強いものもあって。テキスト量が膨大なんですよね。小説だと20冊分あるようなテキストが1本のゲームに入っていたりするので、読み始めると結構かかりっきりになっちゃうことがありました。それで、しばらくエロゲーしかできない時期がありました。
あと、やっぱり漫画は手軽なのでひたすら読み続けていました。小中高を通して漫画読んだりゲームやったり小説読んだりと趣味が増えていって、大学時代はそれを全部やっているという感じです。時間があったらエンタメを消費していました。
――新たに開拓したジャンルはありましたか。
野﨑:大学の頃、新たにできた友達によって趣味が変わることもありました。妙に少女漫画を読み込んでいる友達がいて、お薦めの少女漫画を読み始めたらめちゃめちゃ面白かったんです。それで2年くらい少女漫画をずっと読んでいました。それはわりと、今の自分の作風に反映されている気がします。
主に読んでいたのは「LaLa」と「花とゆめ」の系列で、桑田乃梨子さん、わかつきめぐみさん、田中メカさん、マツモトトモさん、ギャグマンガでは立花晶さんとか。田中メカさんの『お迎えです。』はアットホームなコメディで大好きな作品でした。
CLAMPさんだと『X』とか『聖伝 -RG VEDA-』を読んでいた気がします。西炯子さんも。「ウィングス」という雑誌で描かれていました。『三番町萩原屋の美人』辺りを読んだ気がします。
他に有名どころだと緑川ゆきさんの『夏目友人帳』とか。これはアニメにもなりましたよね。緑川さんの漫画はその前から「LaLa DX」等で読み切りを追っていました。
だんだん読むものがなくなってくると、次第にBLを読むことが増えたんです。そこで面白いものを描かれていた方はやっぱり、どんどんメジャーになっていきました。今も第一線で活躍されているよしながふみさんとかヤマシタトモコさんは、その頃からめちゃめちゃ面白い漫画を描かれていました。
――ブックオフとはいえ書籍代も結構かかったのでないですか。
野﨑:アルバイトも少しはやったんですけれど、それこそ『小説』の内海修司と同じなんですが、バイトを増やして本を買いに行く時間が減るのは本末転倒で、それだったら食費を減らしたほうがいいなと思っていました。一応仕送りをもらえていたので、その中で食べる分のお金を確保してから本を買って、欲しい本があると食べる分がちょっとずつ減っていって...。ご飯を抜いて本を買っている時期もあり、わりとガリガリで過ごしていた気がします。
――蔵書の量も大変なことになりそうですが。
野﨑:それは近隣20軒のブックオフがすべて解決してくれました。川の流れのように買って読んでは売るという。移動が主に自転車だったこともあり、自転車に積める分が溜まったら売りに行っていました。それでも売りに行くのが面倒くさいんでどんどん溜まっちゃうんですけれど。
――さきほどSFも読んでいたとおっしゃっていましたが、具体的にはどんな作品ですか。
野﨑:そんなにマニアックなものは読んでこなかったです。瀬名秀明さんのSF系の作品とか、海外ではグレッグ・イーガンとか、J・P・ホーガンといったメジャーなところを、なんとなく押さえておこうかなという感じで。どれもそれなりに面白く読んだんですけれど、作家読みするには至らないものも結構ありました。ミステリでも、アガサ・クリスティーなんかは1冊読んでそれきりだったと思います。
――ミステリは、キャラクターで読ませるものとかロジカルなトリックのものとか、どういうものがお好きだったのでしょうか。
野﨑:キャラクターもののほうが好きではありますよね。新本格でもキャラに癖があるほうが好きでした。ただ、キャラもののミステリは好きではあったんですけれど、ライトノベルはそんなに多く読んでいなくて、流行ったものをちらっと読んでいるくらい。ラノベまでいくとミステリ部分よりもキャラが前面に出過ぎているものが多い気がしたんです。電撃文庫のうえお久光さんの作品はそのバランスが自分にちょうどよくて読んでいました。『悪魔のミカタ』とか。
――ご自身で創作はされていなかったのですか。
野﨑:その頃始めました。大学の頃に、インターネットで誰でもホームページを作れる、みたいな流れになってきたんです。日記だけ書く人もいましたが、自分はオタク趣味だったのもあって絵でも描いてみようかなと思い、へたくそな落書きから始めました。やってみればそれなりに上手くなるもので、デ・ジ・キャラットなどを描くようになって。黎明期で、なんだったら全員のホームページを回れる時代だったので、へたくそだろうがなんだろうか何か載せれば人が来てくれる時期でもあったんです。小さなコミュニティで楽しく描いていました。お絵描き掲示板なんかでイラストを描いているうちに、同人誌の文化が隆盛してきたのでコミックマーケットにも出るようになりました。
――イラスト集を出していたのですか。
野﨑:最初は二次創作の漫画を描いていました。ずっとデジタルで描いていたんですけれど、Flashという動画を作れるツールが流行り出したので、それを使って作っていた時期もありました。パロディと並行してオリジナル作品も作りました。、コミケにもFlashで作ったものをCDにして持っていっていました。
――そういうのって、どういう動画なんですか。
野﨑:ゲームみたいにテキストメッセージが出てしゃべったりとか。一発ネタで終わるものも多くて、どちらかというと小説というよりコントの台本に近かった気がします。掛け合いがあってギャグがあって、みたいな。
本当に趣味で発表しているだけの時期でしたが、時間はたくさんあったのでそれこそ毎日更新もできちゃうんですよね。そうするとアクセス数もすごく伸びるし、レスポンスも沢山もらえます。その繰り返しは物を作る上でものすごく役立った気がします。言葉選びなんかも気を使うようになりました。笑ってもらえるように、ちゃんとギャグが伝わるようにと結構深く考えてからテキストをアップロードしていました。
――その頃には、獣医さんになりたいという気持ちは薄れていたのでしょうか。
野﨑:4年か5年の頃には、これは少し違うのかな......と思っていました。