第272回:野﨑まどさん

作家の読書道 第272回:野﨑まどさん

2009年に『[映]アムリタ』で電撃文庫賞のメディアワークス文庫賞の最初の受賞者となりデビュー、その後『Know』が日本SF大賞や大学読書人大賞にノミネートされるなど注目される野﨑まどさん。「キノベス2025」第3位にランクインした新作『小説』は、本を読むことをテーマとした長篇小説。読者の心に光をもたらす作品を書いた著者は、どんな読者なのか。その読書遍歴や小説家となった経緯などをおうかがいしました。

その6「『小説』のきっかけとなった一冊」 (6/6)

  • 小説
  • 『小説』
    野崎 まど
    講談社
    2,145円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS
  • 走れメロス (角川文庫)
  • 『走れメロス (角川文庫)』
    太宰 治
    KADOKAWA
    398円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS
  • 最新版 指輪物語1 旅の仲間 上 (評論社文庫)
  • 『最新版 指輪物語1 旅の仲間 上 (評論社文庫)』
    J・R・R・トールキン,瀬田貞二,田中明子
    評論社
    1,320円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS
  • 春の心臓 (立東舎 乙女の本棚)
  • 『春の心臓 (立東舎 乙女の本棚)』
    イェイツ,芥川 龍之介,ホノジロトヲジ
    立東舎
    1,980円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS
  • 利己的な遺伝子 40周年記念版
  • 『利己的な遺伝子 40周年記念版』
    リチャード・ドーキンス,日髙敏隆,岸 由二,羽田節子,垂水雄二
    紀伊國屋書店
    2,970円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS

――新作の『小説』のテーマは小説ですが、書く側ではなく読む側がメインの話です。読書に魅了された内海修司は小学生時代に外崎真という読書仲間を得、さらに学校の裏に住む小説家の髭先生の書庫への出入りも許されて本を読み漁る。その後外崎は小説を書き始めますが、内海は彼をサポートしながら読むことに没頭する。やがて、「読むだけじゃ駄目なのか」という疑問にとらわれて......。小説とはなにか、小説を読むとはどういうことかに迫る内容です。これはテイヤール・ド・シャルダンの『現象としての人間』を読んだことがきっかけだったそうですね。お読みになったのはいつですか。

野﨑:読んだのは4年くらい前ですね。本を探す時に、著名な方のお薦めを頼りにすることがあるんです。立花隆さんとか養老孟司さんとか大森望さんとか。いっぱい読んでいる方って、ご自身の中に構築式があるので、その人を通して出てきた言葉はこちらも式を使う上で参考になるんです。この人がこういう調子で薦めるのものは名著なんだろうという気配を探るなかで、立花さんが講義録か何でシャルダンに触れていて、そこで引用された文章がちょうど自分が求めている感じの言葉だったんです。じゃあシャルダンの『現象としての人間』からいっとくか、みたいな感じで読んでみたら大変いい感じに当たりで、これで一冊小説が書けるんじゃないかと思いました。

――お持ちの『現象としての人間』にはびっしりと付箋が貼られていますよね。

野﨑:ひとつの付箋で短篇が一篇書けそうです。内容はシンプルで、宇宙のことや人間のことが端的に書かれてあるんです。なので、この本をもとに、人間のやっていることに関してはなんでも書けると思いました。ただ、後半は精神的な話になっていくので、食べるとか作るといった物理的なことより、精神的なことをテーマにしたほうが書けると思い、小説をテーマにしました。

――幻想的、かつ壮大な展開になっていく『小説』ですが、先述の『竜馬がゆく』のほかに、『走れメロス』や『指輪物語』といった実在の作品や、小泉八雲やイェイツ、さまざまな現代作家の名前も出てきます。こうした作家、作品はご自身の読書遍歴と関係はあるのですか。

野﨑:なくはない、くらいです。今回書くにあたって、そういえば読んだ、という程度のものを掘り起こした感じです。イェイツの『春の心臓』は芥川龍之介を読んだ頃に、芥川が訳したということで読んでいました。長い作品は読んでいなかったんですが、今回全集を買って読んでみたら、やっぱり面白いですね。

――小泉八雲と妻のセツが独自の文字を使っていたというエピソードも面白かったです。それは事実ですが、作中のその文字がオガム文字に似ていた、というのは野﨑さんのフィクションだそうですね。随所にそうした遊び心がありますよね。何か所か出てくる、意味不明なひらがなの並びの会話文も、実は解読できると聞いて考えてみたら、案外すぐ分かりました(笑)。本筋とはまた違うサイドエピソードも面白かったし、『小説』自体が小説を読む楽しみを体感させてくれる本でした。

野﨑:読者の皆さんへの信頼みたいなものがありました。いつもだったらもうちょっと、この謎が解けるようにとか、このエピソードの意味が分かるようにと考えるんですけれど、今回はもうそういうものは別にいいじゃないか、というのがあって。調べた人が楽しめばいいし、調べなくても分からないなりに面白く読めればいいじゃないか、と思いながら書きました。

――単行本は、最後の一行だけが最終ページにくるように調整されたそうですね。

野﨑:やっぱり、最後はなんか、格好よくしたかったので。

――格好よかったです。野﨑さんは覆面作家ですが、『小説』のサイン会を行ったそうですね。、顔が隠れる鬘をかぶって、髭先生のようないで立ちで登場されたとか。この記事の著者近影が、その時のお姿だそうですね(笑)。

野﨑:顔を出さないようにするにはどうしたらいいのかとamazonで被り物を探し、自分で電気工作をして目が光る装置もつけました。オンラインイベントでは髭先生のアバターも作りました。
そういうことをやろうとすると時間が足りなくて、仕事をしている場合ではなくなって...。小説を書くのと髭先生を作るのと漫画や小説を読むのとが自分の中ではシームレスになっています。

――『現象としての人間』のように、たまたま読んでみて当たりだった本って、他にありますか。

野﨑:そういうレベルで衝撃的な本というと、それこそ先ほど挙げたリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』とか、ダーウィンの『進化論』とか。生き方のポリシーに影響を与えるくらいの本でないとそこまでガーンとはこないので、人生で2冊とか3冊という感じになっちゃいますね。

――『利己的な遺伝子』はやはり、衝撃的でしたか。

野﨑:こんなに人間のことをおろそかにしていいんだ、と思いました。人間が特別だとかいったことは一切なく、人間は遺伝子の乗物であるという捉え方は爽快でした。視界がクリアになった気がします。
シャルダンも同じで、ひとつのことを科学的に考察するとすごくクリアになるなと思ったんです。小さい頃から読んでいたいしいひさいちさんも人間とか社会とか心というものに対してすごくフラットさがあると感じていたので、自分は人文的なものよりもサイエンス的なもののほうが基底にある気がします。

――ご自身の小説にもそういう生命観、人間観は現れていると感じますか。

野﨑:手癖で書くとそうなっちゃいますね。人間の感情やドラマに寄り添っていこうとしたら、もっとフィクショナルなエモーションを書かないといけないと思いますし、今後そういうものを書く必要とか機会に恵まれるのだとしたら、改めて勉強しなきゃいけないと思います。
『小説』でいただいた感想の一つで、「外崎が内海を救うために小説を書いたわけじゃなくて、書きたくて書いたところが野﨑さんらしい」と言われたんです。確かに内海を救うために書いたほうが感動的かもしれないと思いました。でも、作家は勝手に書くもので、読者も勝手に読むもので、人を救うために書くものじゃない、という感覚が自分の根底にあるので、自分の筆致となるとこの書きぶりになるのかなと思います。

――野﨑さんは小説執筆以外のお仕事もされていますが、執筆されている時の1日のサイクルってどんな感じですか。

野﨑:書いている時は、だいたい朝9時頃から近所のコワーキングスペースに行って、夕方の4時とか5時くらいまで書き、帰ってきてから家のことをして、夜にまたちょっと書く感じです。そのコワーキングスペースの隣に図書館があるので、図書館で調べてはコワーキングスペースで書いて、というのを繰り返しています。

――次の作品のご予定などはありますか。

野﨑:この間担当編集者と打ち合わせはしたんですが、あんまり進んでいない状態です。思いついてから時間があくと飽きてしまうんですが、かといって「書けたら面白そう」くらいの段階で見切り発車すると「やっぱり面白くなかった」と止めてしまうこともあるので...。もうちょっと頭の中で面白くなったところでスタートしたほうがよさそうだな、と思っているところです。もうちょっとかかりそうです。大変申し訳ありません。

(了)