
作家の読書道 第275回:加藤シゲアキさん
小学生の頃から芸能界で活動するなか、2012年に『ピンクとグレー』で小説家デビューをはたした加藤シゲアキさん。『オルタネート』で吉川英治文学新人賞を受賞し、同作と『なれのはて』で直木賞の候補になるなど、作家として着実に前進中。多忙な生活のなかでどんな本と出合ってきたのか、なぜ小説を書こうと思ったのか。読書遍歴とその背景をおうかがいしました。
その2「文系というより理数系」 (2/7)
――漫画は読んでいましたか。
加藤:「少年ジャンプ」を読んでいました。あの商店だけは日曜日の夕方に「ジャンプ」を入荷しているな、みたいなことが頭に入っていました。ちょうど『ONE PIECE』』が始まったくらいの頃だったかな。『HUNTER×HUNTER』とか『るろうに剣心』もあった。
小学生の頃は「コロコロコミック」を読んでいました。ミニ四駆やビーダマン、ハイパーヨーヨーとかデジモンとかの世代ですね。あと、僕はポケモン直撃世代です。
そういう意味ではコンテンツがめっちゃ多い時代でしたね。今の子供もそうだろうけれど。インターネットが始まる時期で、うちの父親はそういうのが好きなので、はやくから家にパソコンがありました。僕は小6の頃、受験勉強をしなくちゃいけない時期なのに、それでストーリーを書いていました。文章を書くのが趣味だったんです。
――どんなストーリーを書いていたんですか。
加藤:ゲームシナリオみたいなものですね。まさに『ONE PIECE』』や「ドラクエ」みたいな、仲間を集めていくストーリーでした。仲間は人間とは限らなくてサルがいたりして。当然書き上げられなかったんですけれど、でもずっとちょこちょこ書いていました。
――受験勉強は大変でしたか。
加藤:今思えば大変だったと思います。でも、辛かった記憶は全然ないんですよね。
同じアパートに同級生が5人いて、家族ぐるみで仲がよかったんです。そのうちの一人が私立中学に行くって言いだして、「しげちゃんも受験しようよ」って言われて「いーよー」って言って。親が共働きで送り迎えが難しいこともあり、その友達とは同じ塾には行かなかったんですよね。その子は日能研に通って、僕はSAPIXに通いました。その頃SAPIXはまだそこまで注目されていなくて、でも結果は残している、という感じだったのかな。どうせやるならという感じでSAPIXに入りました。
大阪で灘塾に通っていた頃は、成績はトップのほうにいたんです。でもSAPIXに行ったら、成績順に下からABCDEの順番でクラスがあるんですが、僕は下から2番目のBだったんです。「俺こんなアホになってるの」と思いました。学校の勉強はできたんです。テストなんて10分で終わって暇そうにしているから先生に「答案用紙提出して外に遊びに行っていいよ」と言われていました。でも塾で下から2番目のクラスになって、「俺こんなにできなくなってたんだ」と思って、そこからクラスを上げるために勉強するのが楽しくなりました。もともと問題を解くのは好きでしたし。
――相変わらず理数系が好きでしたか。
加藤:理科が一番得意でした。理科だけは全国で100位に入ったことがあって、改めて自分は理系だなって自覚しました。それで勉強を続けて、最終的にEクラスまで上がったんですよ。その上にαクラスというのがあるんですが、それはもう絶対に無理。αクラスに行く人はもう、人間の作りが違うっていう感じでした。
国語は全然できなかったですね。授業では国語を教えるというより、こういう設問の時はこうやる、みたいな問題を解くコツを教わるんですけれど、それもまったく分からなかったです。漢字はできるんですよ。でもやっぱり、人間の機微を知らないから国語の面白さが分からなかったんだと思います。
小6の4月に事務所に入ったら、いきなり仕事が忙しくなって塾に行けなくなったんです。ドラマに出たり、沖縄行ったりハワイ行ったりと楽しい仕事しかなくて、そうしたら塾のクラスが一気にEからBまで下がったんですよ。正直、心の中でちょっと下に見ていた奴に抜かれたりしたんです。子供の1か月間の成長ってすごいですよ。本当に一瞬で抜かれました。会社の仕事は楽しかったけれど、楽しいことがあるとアホになるんだなって思いました(笑)。
それで、せっかく勉強してきたのにもったいないという感覚が生まれて、ちゃんと勉強しよう、となりました。そもそも中学受験をやめる選択は自分の中になかったんですよね。仕事は楽しかったけれど半年間休むことにして、夏くらいから家庭教師を付けて、赤本みたいな問題集で過去問を解いていく時期に入りました。
――中学受験で青山学院を選んだのはご自身ですか、それともご家族の助言があったのでしょうか。
加藤:家族は何も言わないんです。全部お前がやりたいようにやれ、という家なんです。ただ、私立中学で芸能活動ができるところがほとんどなかったんですね。青学にしたのは、芸能活動ができることと、電車で一本で行けるところ、あと大学付属というところがいいな、と思ったので。勉強は嫌いじゃないけれど、付属に行ったほうが後々ラクだろうと考えたんです。そういう性格なんですよね。夏休みの宿題のページ数を日数で割るのが趣味みたいな人なんです僕は(笑)。
――計画的に行動するタイプなんですね。
加藤:ちょっと計画がずれても、そもそも日数で割る時に数日のバッファを設けておくので、帳尻が合うんです。本当に計画が崩れた時はそこからページを割り直すんです。
夏休みに父方の岡山の祖父の家に帰ると、従兄は怒られてしぶしぶ勉強していたけれど、僕は朝起きて自分からさっさとその日の分の宿題を片付けていたのを憶えています。そのほうが後で楽しくカブトムシを採りに行けるって思っていました。雨が降って遊びに行けない時は、今日のうちに明日の分もやってしまおう、と考えていました。