
作家の読書道 第275回:加藤シゲアキさん
小学生の頃から芸能界で活動するなか、2012年に『ピンクとグレー』で小説家デビューをはたした加藤シゲアキさん。『オルタネート』で吉川英治文学新人賞を受賞し、同作と『なれのはて』で直木賞の候補になるなど、作家として着実に前進中。多忙な生活のなかでどんな本と出合ってきたのか、なぜ小説を書こうと思ったのか。読書遍歴とその背景をおうかがいしました。
その3「聖書で解釈の面白さを知る」 (3/7)
――中学時代の読書生活は。
加藤:仕事が忙しかったので本を読む時間がなくて、国語の教科書を読むくらいでした。ただ、聖書との出合いがありました。
学校では毎朝、礼拝があるんです。そこで新約聖書を何ページか読むわけですよ。僕、本当に、聖書に書かれていることの意味が分からなかったんですよ。
たとえば、ある主人が三人のしもべたちにタラントという単位のお金を預けて旅にでるんですね。しもべの二人はそれで商売を始めるなどして儲けを出して、もう一人はお金を地面に埋めて隠しておいた。そうしたら、主人が戻ってきた時、三番目のしもべを叱るんですよ。僕は商売なんて儲かるか分からないし、そんなギャンブルみたいなリスクをとるより、いったん隠しておいてもよくない?って思ったんです。
その後、聖書の授業があって、解説を受けるわけです。タラントというのはタレントの語源で才能という意味なんだ、と。才能は土に埋めるのでなく、それを活かしたり、勝負したりすることを神は後押ししているのだ、と。「なるほど!」と思いましたね。
それが自分にとって、いわゆる本の読み方を知っていくスタート地点なんです。たぶん僕がちょっと批評が好きなのは、その時に、分からなかったことが解説によってめちゃくちゃクリアになるっていう体験をしたからなんです。
聖書は、人生初のメタファーとの出合いでもあったと思う。高校生の時に『ダ・ヴィンチ・コード』がめちゃくちゃ流行って、僕も読んだんです。すると多少、そこに出てくる暗喩が分かるんです。参考文献(聖書)がすぐそばの引き出しに入っているから(笑)、読みながら確かめるのが楽しかったですね。そのあたりから、僕の考察好きみたいなところが始まった気がします。
――人間の機微が分からなかった少年は、聖書の教えをどんなふうに感じたのでしょう。
加藤:ぜんぜん分からなかったんです。世界中ですごく多くの人がこの宗教を支持しているってことが不思議でした。聖書の先生もごく普通のおじさんで、この人が神を信じているというのが不思議というか。生徒もほぼクリスチャンはいないし、なんなら寺の息子の仏教徒もいましたし。毎朝8時10分に礼拝に集まって、聖書を読んで、賛美歌を歌って、一体なんだろう、って。それでもやっぱり、自分の中に神を冒涜してはいけないという感覚が自然発生するんですね。僕には理解できないなにかがあるんだろうな、と思っていました。
今になればなぜ人々の支持を得てきたのかは分かるんですけれど、その頃はまだ人の機微が分からなすぎて理解できなかったんですよね。その頃の自分はまだ、人生に迷ってもなければ、悩んでもなかったので。
――さきほど『ダ・ヴィンチ・コード』を読んだとおっしゃっていましたが、話題作はわりと読んでいたのですか。
加藤:そうですね。中学生の頃に「ハリー・ポッター」が出てきて、そのあと『世界の中心で愛を叫ぶ』、いわゆるセカチューのブームが来て、そして『ダ・ヴィンチ・コード』ですね。ベストセラーがたくさん出ていた時期でした。
――青山学院は渋谷にあるから、周辺には映画館や書店もたくさんあったのでは。
加藤:たくさんありました。音楽をよく聴いていたので毎週HMVに通って、その途中に書店もあるから寄っていました。映画館にもめっちゃ通っていました。昔、廃館寸前の映画館があって、本当は絶対駄目だけど時効だから言ってしまうと、R15指定の映画も潜り込ませてくれたんです。だから「バトル・ロワイアル」も普通に観られました。普段からゲームをやっている子供にとっては、グロテスク描写もわりと大丈夫でしたね。
書店も多いから、自然といろんなカルチャーにハマっていきました。
――よく利用する書店はありましたか。
加藤:ビックカメラがある東口側が通学路だったんですよね。青学から当時はまだあった青山劇場を通って宮下公園に抜けて駅に行くルートを通ると、ビックカメラの別館のところに前は文教堂があったんです。文教堂は広かったし、漫画も豊富だったからわりとそこに寄っていました。CDとか楽器を見たい時は桜丘のほうにも行くんですけれど、そこにも本屋さんがふたつくらいありました。TSUTAYAができてからはそこにもよく行きました。
NHKで仕事をすることも多かったので、ずっと渋谷にいるんですよ。一回家に帰ってまた来ることもあるから、体感で週8くらい渋谷にいました(笑)。
――高校時代、他に印象深かった読書体験は。
加藤:古典というか、太宰治とか三島由紀夫の小説は高校生の時に読んでいたと思います。
衝撃的だったのは、高1の時の金原ひとみさん綿矢りささん事件ですね(笑)。おふたりが芥川賞を受賞したんです。自分とほとんど変わらない年齢の人で、小説の賞を獲る人がいるんだと驚きました。なんとなく、小説の賞って60歳くらいの人が獲るものだと思っていたから、「超賢いじゃん」って。SAPIXのαクラスを思い出すわけですよ(笑)。でも綿矢さんも金原さんもαクラスにいた人たちと雰囲気が違う。金原さんなんてパンクだし。もう、「嘘だろ」って感じでした。その週だったかな、スノーボードに行くことになっていて、みんなお金がないから夜に集まって深夜バスを利用したんです。深夜は車内で喋っちゃいけなくて、でも興奮して眠れなくて。それで、読書灯をつけて受賞作の『蹴りたい背中』と『蛇にピアス』を読みました。『蛇にピアス』は僕にも理解できて、「かっけえ!」と思ったんですけれど、『蹴りたい背中』がぜんぜん分からなかった。まだ人間の機微が分かっていないから、背中蹴られたくないなあ、みたいな感想で。「俺は賞を獲る小説が分からないのか」と思いました。でもその時に、憧れが生まれたんだと思います。自分がなれるとは思わないけれど、小説家って格好いいなって。今では綿矢さんの小説も、楽しめるようになりました。
――絵本やストーリーを書いて以来、文章を書くことはしていなかったのですか。
加藤:仕事が忙しかったこともあるけれど、向いていないと思っていたんだと思います。国語の成績が悪いし、自分は文系じゃないんだと思っていたし。中3から選択授業が始まるんですけれど、それも文系の授業は避けていました。
でも、高1でデビューしてからは、大学で理系に進んだら仕事との両立は不可能だという感覚があって。文系に行くしかない、というのはぼんやりありました。それで高3の時に国語表現という授業を選択して、それが今に繋がっています。
――文章を書く授業だったのですか。
加藤:そうです。僕は文章の定型を教えてもらおうと思ったんですよ。法学部に行くことになると思っていたので、論文の書き方とか、フォーマットを習いたかった。でも、そういうことはなにも教えてもらいませんでした。今思えば、全部大喜利だったんです。「自己紹介を面白く書く」といったテーマを毎回渡されて、それを何日までに書いてくるという授業でした。めちゃめちゃ暇だなと思ったんですけれど、それでも他の授業の時に文章を考えたりしていましたね。やっぱり書くことが先天的に好きだったんでしょうね。そうして書いて提出したら、先生が褒めてくれて、花丸をつけてくれたりするんです。無愛想な先生だったんですけれど、花丸なんだ、と思って。誰かが自分の文章を読んで興奮してくれるなんて嬉しいじゃないですか。それまで蓋をしていたわけじゃないんですけれど、そこでまた書くことが喜びになったんでしょうね。