『展望塔のラプンツェル』宇佐美まこと

●今回の書評担当者●精文館書店中島新町店 久田かおり

 諸般の事情により11年ぶりに横丁カフェに戻ってまいりました。みなさんご機嫌いかがですか。11年分年を取った久田です。

 ちょうど超絶に誰かにオススメしたい本を読み終わったところだったのですよ、いや、ほんとめっちゃいいタイミング。まだ全然話題になってないようなのでここで声を大にして言いたい。これ、絶対に読むべしべし!

 一言でいえば、虐待を受けた子どもの物語である。出てくるのは最低最悪なオトナども。自分の子どもや家族に対してありえないような虐待を加える。この虐待のあれこれが本当にひどい。言葉を失うくらいにひどい。ひどすぎて吐き気がする。本の中に今すぐ入ってこの親だの家族だのをぶちのめしてやりたくなる。子どもにしたこと、そのままやり返してやりたい。同じ痛みを味わわせてやりたい。

 あぁ、思い出してもはらわたが煮えくりまくる。おかげで眉間にシワが残ってしまった、どうしてくれる。

 虐待を受けた子どもたちは身体と心にひどい傷を負う。身体からも心からも血を流す。ぼろぼろになりながら必死に生きている。そして悲しいことに身体の傷は癒えることはあっても、心への傷は消えない。決して消えない。

 テレビや新聞で知る悲しい事件。幼い子どもが虐待を受けた挙句、命を落としてしまう。その度に「児童相談所は何をやっていたんだ」とか「近所の人は気付かなかったのか」とか他人が勝手に憤り周りにいた人を責める。本当にそうなのか。被虐待児に差し伸べられた手はなかったのか。

 宇佐美まことが描くのは、そんな血を流しながら生きている子どもと、その子と関わることになった三人の物語だ。

 自分勝手で残虐なオトナも多いけれど、世の中にはひどい虐待を受けている子どもたちにそっと寄り添ってくれる他人もいる。その寄り添い方は人それぞれで、いろんなやり方があったりする。

 児童相談所職員の悠一は「仕事」として、自分自身兄からひどい暴力を受けてきたナギサは姉のような立場で、不妊治療に没頭するあまり自分を見失いつつある主婦郁美は観察者として目の前にいる被虐待児を見守る。彼らの関わり方はある意味それぞれに正しい。正しいのだけどとある瞬間に、それまで見えなかった全く別のとても大きな意味が明らかになる。

 それは作者による奇跡のしかけであり、眉間にシワを寄せ、歯を食いしばりながら読んできた読者への最大級の贈り物でもある。やられた、宇佐美まことすごいな、と思わず窓の外を見る。この空の下、今日もどこかで血を流しながらも必死で生きている子どもを思う。苦しいだけで終わっちゃいけない人生を思う。

 読み終わった後に、「読んでよかった」「もっと多くの人に読ませたい」と思わせる。実際、私はあちこちでこの本をオススメしているのだけど、今のところ一人くらいしか「読んだよ」という返事をもらっていない。残念だ。したたかにしなやかに生きる彼らの人生が希望の光となる瞬間をぜひとも味わって欲しい。

 だからこそここでもう一度言いたい。読むべし。とにかく読むべし。絶対読むべし!

« 前のページ | 次のページ »

精文館書店中島新町店 久田かおり
精文館書店中島新町店 久田かおり
「活字に関わる仕事がしたいっ」という情熱だけで採用されて17年目の、現在、妻母兼業の時間的書店員。経験の薄さと商品知識の少なさは気合でフォロー。小学生の時、読書感想文コンテストで「面白い本がない」と自作の童話に感想を付けて提出。先生に褒められ有頂天に。作家を夢見るが2作目でネタが尽き早々に夢破れる。次なる夢は老後の「ちっちゃな超個人的図書館あるいは売れない古本屋のオババ」。これならイケルかも、と自店で買った本がテーブルの下に塔を成す。自称「沈着冷静な頼れるお姉さま」、他称「いるだけで騒がしく見ているだけで笑える伝説製作人」。