『詩とことば』荒川洋治

●今回の書評担当者●未来屋書店宇品店 河野寛子

 昨夏から仕事の合間に歌の本を眺めだし、俳句、川柳、和歌へと身につくはずもない飛ばし読みの末、冬に入る頃には詩集を眺めていた。

 これがどうにもわからない。読めるのだけど読みにくい。乗れたかと思えば滑り落ち、なんとなくわかりそうだと思ってもなぜ急に叫びだすのか見えてこない。

 他の人も詩を読んでこんな感覚を持つのだろうか。

 とにかく自分には詩を読む筋肉がまだないことだけはよくわかったので、「次の機会に」と言い訳してまた書棚にリリース。

 それからしばらくして『詩とことば』を読んでみると、以前のわからなさが解けるように理解できたのだ。

 とくに日頃散文しか読まない人にこそわかる内容になっているのが本書の凄さだと思う。

 著者の荒川さんは現代詩作家という肩書で、詩人としてまた評論も手がけている。そんな荒川さんがこの本の中で詩はやっかいなもので、なじみにくいものだと言っている。そして、私が感じた詩のわかりにくさがどこから滲み出すのかを説明してくれる。

「詩のかたち」には幾つかあって、中でも「行分け」を述べたくだりでふと、先日付録で殺到することを懸念して垂れ紙を作ったのを思い出した。

  Vジャンプ7月号
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 これはあきらかに詩ではないし、わかりやすくするための行分けであって詩を書こうとしたわけではない。けれど本書ではこれも詩のかたちのひとつの行分けにあたると言う。この他にも、メニュー表や箇条書き、メモ書きなど、あちこちから例を引き合いに出し、どこからが詩なのかをバンバン提示してゆく。これが面白い。

 また歌についても触れている。人は曲が付けば平気でうたってしまうけれど、そもそも曲がないと歌をうたうことははずかしいでしょうと。カラオケの誤操作で曲を消された瞬間を思い出せばよくわかる、恥ずかしい。

 詩は曲もなく、さらに自分の書いたことばをそのままうたうのだから「はじめからはずかしい」ものだと。そして詩作家の立場での思いが綴られる。

  ぼくはうすっぺらな詩を書いているので、
  あまり人に読まれたくない。
  特に、きびしい目をもつ人には読まれたくない。

 詩を読む人は少ない。読まれないことはわかった上で、それでももし唐突に詩を「見せてください」といわれたらどうするか。

 腐ったものを渡すわけにはいかないから、そのときのために準備をするのだという。

 この時の準備はもちろん言葉であり、だからこそ

  そのために、ものを考える。言葉を吟味し、新鮮な、
  意味のあるものにしておく。それが心得であると思う。

 私はこの本のタイトルが「詩とことば」ではなく「詩のことば」だったら手にしなかったと思う。

 まさにこの点が書棚に手を伸ばしたキッカケかもしれない。

 現在なんとなく詩が向こう岸にあると感じる人へ。詩が自分と同じ岸にあるものなんだと気づかせてもらえる荒川さんの手引き書『詩とことば』。読んでみてください。

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未来屋書店宇品店 河野寛子
未来屋書店宇品店 河野寛子
広島生まれ。本から遠い生活を送っていたところ、急遽必要にかられ本に触れたことを機に書店に入門。気になる書籍であればジャンル枠なく手にとります。発掘気質であることを一年前に気づかされ、今後ともデパ地下読書をコツコツ重ねてゆく所存です。/古本担当の後実用書担当・エンド企画等