『画本厄除け詩集』井伏鱒二 金井田英津子

●今回の書評担当者●忍書房 大井達夫

  • 画本厄除け詩集
  • 『画本厄除け詩集』
    井伏 鱒二,金井田 英津子
    パロル舎
    28,292円(税込)
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 『プルーストとイカ』の著者メアリアン・ウルフの義母ロッテ・ノームは、孫たちに請われるままにその場に相応しい劇のセリフやト書き、小説や詩の断片を次々に暗誦して見せた。あまり見事に暗誦するので、ある日やっかみ半分でどうやってそんなにたくさん覚えられたの、と聞いた。その答えはこうだ。「いつか強制収容所に入れられても、誰にも取り上げられない何かが欲しいとずっと思っていたのよ」ロッテはユダヤ系なのである。

 私の父は終戦間際、北朝鮮と中国の国境近くで、敵軍にではなく自然環境相手に悪戦苦闘していてソ連軍に捕まりシベリア抑留者となって、最後はモスクワまで連れて行かれた。抑留生活では手書きの同人誌を作り回覧したが、見咎められて紙と筆記用具を取り上げられ、それが最も辛かったらしいと父の死後、抑留者仲間の方からいただいた手紙で知った。取り上げることのできるものはすべて取り上げられて、その後に残ったものだけで生きていこうとするとき、暗誦できる詩の一節もなければ切なくてやりきれないだろう。

 翻ってあなたはどうだ。暗誦できる詩があるか。私はあるぞ。中也の「ここが私のふるさとだ」、道造の「夢はいつもかへって行った」、藤村の「濁り酒にごれる飲みて」、寺山の「身捨つるほどの祖国はありや」、友部正人の「もともと歯並びは悪かったんだ」、四人囃子の「後はススキが揺れるだけ」、桑田圭祐の「今でも会いたい気持ちでいっぱい」。

 詩人の荒川洋二は、韓国の書店では詩集で小説と同じくらいの棚を作っていると嘆く。私たちはもっと詩集に親しむべきではないか。ならばこれはどうだ。風邪を引かないというから詩を書いたという井伏鱒二の、金井田英津子の挿絵が美しい『厄除け詩集』だ。

 言葉は身体化することができ、それによってより大きな内容の伝達手段となる。演説、歌と踊り、朗読、応援とブーイング。ソクラテスは文字でその考えを残すことに反対で、弟子のパイドロスが演説のためのメモを持っていたのを見咎めて罵倒した。カンニングしなきゃできない演説なら止めちまえ。反対には理由があった。何事にも理由があるものだ。要点はまとめることができるかもしれないが、それを棒読みしたところでヒトは納得しやしない。むしろ、理屈がむちゃくちゃでも、身体化された言葉のほうに人々は反応する。ちょっと古いが「戦闘しない自衛隊が活動している地域は非戦闘地域だ」なんて、シビレるじゃないか。事実熱狂した人もいたはずだ。どうかしてる、と私は思ったけれど。

 中世ヨーロッパでは、書見台に乗った書物を朗々と読み上げるのが読書の作法だったという。そういう観点で文章を鑑賞するのもまた一興ではないか。「人生別離足ル」が、「サヨナラダケガ人生ダ」ですぞ。紙の本を触りながら、声に出して御覧なさい。シビレますから。言葉の身体化が足りていないヒトは是非どうぞ。オススメです。

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忍書房 大井達夫
忍書房 大井達夫
「のぼうの城」で名を挙げた、埼玉県行田市忍(おし)城のそばで20坪ほどの小さな書店をやってます。従業員は姉と二人、私は社長ですが、自分の給料は出せないので平日は出版社に勤めています(もし持ってたら、新文化通信2008年1月24日号を読んでね)。文房具や三文印も扱う町の本屋さんなので、まちがっても話題の新刊平台2面展開なんてことはありません。でも、近所の物識りバアちゃんジイちゃんが立ち寄ってくれたり、立ち読みを繰り返した挙句、悩みに悩んでコミック一冊を持ってレジに来た小中学生に、雑誌の付録をおまけにつけるとまるで花が咲くみたいに笑顔になったりするのを見ていると、店をあけててよかったなあ、と思います。どうでえ、羨ましいだろう。