『紅蓮の狼』宮本昌孝

●今回の書評担当者●忍書房 大井達夫

 天正18(1590)年、北条氏直に最後通牒を突きつけた豊臣秀吉は、21万といわれる軍勢で小田原城を包囲した。北条方の城は攻め立てられ次々と陥落するなか、智将・石田三成が攻略する武蔵忍城のみがどうしても落ちない。城主成田氏長以下主戦力が小田原城に詰め、城内には足軽百姓合わせてたった三千弱の兵力しかないにもかかわらず。なぜだ。

 2009年本屋大賞第2位となった和田竜『のぼうの城』は当店地元「忍城水攻め」に材をとった物語だが、実は「忍城水攻め」は過去繰り返し書かれて来た経緯がある。どれもオススメなのだが、不満がないではない。甲斐姫の描かれ方がステレオタイプに過ぎるような気がするのだ。美人で頭がよく武芸と乗馬に長けている17歳のお姫さまが屈託を抱かず蹉跌の味も知らず、ただただ敵を打ち据えていくのでは、胸のつかえが降りても物語が深まっていかないと思わないか。風野真知雄『水の城』近衛龍春『忍城の姫武者』で完全無欠の麗人として描かれる甲斐姫が、自分を打ち負かすような剛のものなら嫁に行きましょうなどと口走ると、なんだか嫌味で鼻につく。勝手にすれば、といいたくなる。

 「忍城水攻め」を私は、職業としての軍隊が成立し、土地とともに生きていく意志を過去に追いやり、権力者が中央集権的に国家統一を図ろうとした時代、弱者が一矢を報いた物語として読みたい。ならば、主人公は女子ども老人役立たずでなければならない。『のぼうの城』の成功は、男勝りの女性という、一周回った男性原理を中心に据えなかったことにあると思う。現在手に入る最も古く書かれた忍城作品は山本周五郎の短編「笄堀」(『髪かざり』に収録)だが、城主奥方である真名女の話として大変印象的に仕上がっている。山田風太郎『風来忍法帖』も然り。麻也姫は世界初の軍用犬を使った三楽斎太田資正の孫であり、忍城主氏長の娘ではなく若い妻という設定だが、特別な能力のないか弱さが逆に魅力的である。豊臣軍、北条風魔、流浪の香具師集団、忍城の姫と民衆が入り組んで戦う荒唐無稽な話だが、風太郎マジックに魅せられておとぎ話のような読後感を味わえる。

 絶版で入手困難だった『紅蓮の狼』はもう一ひねりしてあって、両親のネグレクトにより心に深く傷を負った甲斐姫は他人を寄せ付けない性格に育つが、後妻に入った三楽斎の娘北の方と、犬使い三楽斎が特に選んだ狼の周公との交流により徐々に心を開くようになる。心の癒しのために体を動かすうちに体術に秀でた姫になるが、豊臣軍を迎えるにあたって悩んだ末に選んだのは、剣聖・上泉伊勢守信綱に剣の手ほどきを受けることだった。辛い修行の日々、蹉跌と希望、そして師匠に対する淡く幼い恋心。おお。これだよこれ。

 昨年の「この文庫を復刊せよ!」に私は本書を推薦したが、その甲斐あってか見事復刊した。ならばいっそ、全作読み比べが関東武士の嗜みというもの。オススメでござる。

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忍書房 大井達夫
忍書房 大井達夫
「のぼうの城」で名を挙げた、埼玉県行田市忍(おし)城のそばで20坪ほどの小さな書店をやってます。従業員は姉と二人、私は社長ですが、自分の給料は出せないので平日は出版社に勤めています(もし持ってたら、新文化通信2008年1月24日号を読んでね)。文房具や三文印も扱う町の本屋さんなので、まちがっても話題の新刊平台2面展開なんてことはありません。でも、近所の物識りバアちゃんジイちゃんが立ち寄ってくれたり、立ち読みを繰り返した挙句、悩みに悩んでコミック一冊を持ってレジに来た小中学生に、雑誌の付録をおまけにつけるとまるで花が咲くみたいに笑顔になったりするのを見ていると、店をあけててよかったなあ、と思います。どうでえ、羨ましいだろう。