『新小岩パラダイス』又井健太

●今回の書評担当者●丸善書店津田沼店 沢田史郎

 さて皆さん。原始共同体的青春文学三部作、というのをご存知ですか? なに、知らなくったって恥じるこたぁありません。人間誰だって、知らないことはあるものです。ましてやこの三部作は、僕が今、不意に思いついただけなんですから。

 という前置きはともかく、その三部作を実際に書き出すとするならば、まず何を差し置いても『哀愁の町に霧が降るのだ』(椎名誠、三五館)のエントリーには、めったに異論は出なかろう。但し、次の二作品が難しい。『異国トーキョー漂流記』(高野秀行、集英社文庫)や『東京ゲスト・ハウス』(角田光代、河出文庫)、或いは『東京バンドワゴン』(小路幸也、集英社文庫)なんかを挙げる人もいるだろう。やや変化球気味ながら、『かかし長屋』(半村良、集英社文庫)もお薦めだ。コミックだったら『めぞん一刻』(高橋留美子、小学館)と『ツルモク独身寮』(窪之内英策、小学館)が個人的には不動のツートップである。

 要するに、超個性的なキャラクターが神様のイタズラで一つ屋根の下に集まって、慌ただしくも陽気な共同生活を営んでいく。そこには日々笑いあり、涙あり、そして芽生える友情あり。「夕立に 取り込んでやる 隣の子」、「椀と箸 持って来やれと 壁をぶち」。そんな風に支え合って暮らして行く庶民の話が、大好きなのだ。この度紹介する『新小岩パラダイス』も、まぎれもない原始共同体的青春文学の傑作だ。

 主人公は、会社が倒産して恋人にも逃げられて、所持金も底をついた正志君。ふとしたきっかけで思いがけず辿り着いたのは、新小岩にある古ぼけた一軒家。住人たちが《枝豆ハウス》と呼ぶその家では、デビューの見込みが無いギタリストとか、緑色の髪の毛をした美容師の卵とか、マツコ・デラックス風の迫力オカマとか、アニメおたくのイギリス人とか、ロシア語教師のグラマラスブロンド美女とか、とにかくまぁこれでもかっ!? ってぐらいに個性的な面々が、ハウスシェアをしながらビンボー暮らしを愉しんでいた。

 藁にもすがる思いで彼らと寝起きを共にすることにした正志君だが、幾らハウスシェアの共同生活とは言え無収入では暮らしが立たない。新宿でアルバイトを探している内に、高給保証、幹部待遇の甘い言葉に流されて、とある事務所に就職するが......。

 読後久し振りに味わった爽快感を、どうにかして皆さんにも分けてあげたい。毎日あくせく働いてチマチマと生活に追われている自分のちっぽけな生き方を、「これはこれで意外に結構愉しいじゃん」と素直に肯定する気になれる。お金は無いよりはあった方がそりゃ良いけどサ、無けりゃ無いなりに、素敵な生き方ってあるんじゃないか?

 試しに枝豆ハウスの規則を幾つか紹介してみよう。曰く
《ホワイトボードに書こう! その日あったプチハッピーを!》
《ボロは着てても心は錦野。空に太陽がある限り幸せ》
《二杯目からは発泡酒。酔ったら酒は皆一緒》

 ね? 金は無くても何だか愉しそうな生き方でしょ?

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丸善書店津田沼店 沢田史郎
丸善書店津田沼店 沢田史郎
1969年生まれ。いつの間にか「おじさん書店員」であることを素直に受け入れられるまでに達観致しました。流川楓君と身長・体重が一緒なことが自慢ですが、それが仕事で活かされた試しは今のところ皆無。言うまでも無く、あんなに高くは跳べません。悩みは、読書のスピードが遅いこと。本屋大賞直前は毎年本気で泣きそうです。読書傾向は極めてオーソドックスで、所謂エンターテインメント系をのほほ~んと読んでいます。本屋の新刊台を覗いてもいまいちピンとくるものが無い、そんな時に思い出して参考にして頂けたら嬉しいです。