第四回 インタビューを依頼する

▼依頼と約束のこと

 僕は電話が苦手だ。編集者としても、ルポライターとしても致命的なことだけど、本当だから仕方がない。元来があがり症のうえ、子供の頃は吃音気味であったので、余計なことでビクビクしている。よく知り合いから「お前と電話で話していると、イラッとくる」とか「小物感があるよな」などと言われるのは、そのあたりに起因するのかもしれない。
 苦手だからといって仕事であるので避けられない電話。インタビューのスタートである依頼状を送ったあとは、この電話が控えているのだ。
 依頼状は、ハガキや封書で送るのが一般的だろう。最近だとメールが多いように思う。依頼状には基本、以下のことさえ書かれていればいい。

① 企画の趣旨
② 話す内容と時間
③ 出版など発表の媒体と発表になる日どり
④ ギャランティ
⑤ 〆切日

 ふつう、依頼者が無機質に書くことはないと思う。相手への思いを前段階で書いておきたいのが人情だろう。④を意識的・無意識的に避けて書くひともいるけれど、謝礼のことは書いておくのが筋だろう。
 この依頼状を送って中一日か二日おいて、電話をいよいよかける。依頼状がしっかりしていれば、相手も了解しているので話は早い。依頼状に漏れがあるとギャラなどでツッコまれ、あたふたすることになる。そうなると警戒されてしまい、話はなかったことになる。
 前に例を出した「文藝別冊 鈴木清順」(河出書房新社)で依頼状に不備がなかったけれど、断られかかったことが何度かあった。こういうこともツキモノだ。
「うちの◯◯は過去のことは話さない方針なんですよ」
 なんて数軒の事務所から言われた。
「え! でもですね、監督を語るうえで◯◯さんの出ている作品を外すとなると致命的でムックを読むファンの方々も『あれれ、なんでインタビューがないんだろう』って言うに決まってるんですよ」
 などと粘ってみた。するとおおかた「ちょっと待って下さいね」と電話が保留になり、しばらくして「では、◯◯も喋っていいと言ってますんで」と返事が来る。芸能人などは事務所を介しているので、とにかく必死でくどく決意をもってかかるべきだと感じた。

▼依頼でのトラブルあれこれ記

 別の雑誌でのインタビュー依頼で一方的に怒鳴られて終わったケースもある。
「え? なに? ああ、依頼書読みましたよ。でもね、語るべきことはないの!」
 いやもう、この時は吃驚した。幾つか粘りの返答を行ったが、ガーンと怒られて電話を切られてしまった。理由がよくわからないのが、また困ったものだったのだが。さすが養老先生、『バカの壁』(新潮新書)をぶっ壊すような勢いだなあと感心した。僕はこう見えて(どう見えてだ)、ネチネチした性格なので、このことは忘れまじと思い続けている。断られた話ついでに、すごい例も書いておこう。
 泉谷しげるさんのことだ。この方はミュージシャンであるが、メビウスなどのバンドデシネ系の絵も描ける才人である。俳優の分野でも成功している。たまたま雑誌の取材で依頼をして電話をかけるとご本人が出てしまった。これは珍しい事態。
「ああ、依頼のハガキ読みましたよ。でもねえ、よく昔の『宝島』とかほじくってきたねえ。俺はメビウスとか大好きでさ............」
 と、話は弾む。かれこれ一〇分は喋った。
「でねえ、いまドラマとかで忙しいからスケジュールはけっこう、大変だと思うのよ。俺が管理してないからさ。マネージャーと相談して欲しいんだけど、〆切近づいたら、過去の発言をうまくやってまとめてくれていいから。ほんとに」
 ええええ! である。いや、その後、かなりな大物がこの傾向を持つことを知るに至ったのだが、この頃はウブな駆け出しだ。そんなのアリかとビビってしまった。
「こんなことを言われたと編集部に言うと、駄目だと言われてしまう。そうなったら仕事がなくなって、滞納している家賃も払えず、電気も......」
 などと気を回しまくって、ついにスケジュールの調整がつかずに、過去の発言をまとめて原稿にしてしまった。だが、これも技術がいる作業。どうも継ぎ接ぎの原稿の出来。編集長はコラージュしてると見ぬき、僕はこの時、一回ペナルティとなった。
 大物はいる。ホントにいる。世の中での評価ではなく、人間が大きいという意味での大物だ。そういうひとは、スケジュールが難しかったりすると「任せた」と言う。この時には絶対、最後まで逃がさないようにした方がいい。最近でもさる政治家に申し込んだ際にこういうやりとりがあった。
「まあ、僕が書いたりしてるのが考えの全てだし、時間ももったいないからね。そちらが良ければ適当にまとめて下すっていいですよ」
「いやいやいやいや」
 と、僕は「いやいやいやいや」式ディフェンスを反射的に行うようになった。意を尽くして説得していくとしつこいのが嫌になって、「じゃあ、やらない」とか意外な方向の反応が返ってくるのが大物。だから、わけのわからない呪文じみた「いやいやいやいや」と応えるのだ。すると、「じゃあ日取りは?」とかになるので、ホッと一息になるのである。

▼謝礼のこと

 カネのことは言いづらい。
 だけど先に言っておかないとあとで揉めたりする。嫌なことは先にやれ、だ。
 僕の場合、超金満メジャー誌(あるのかそういう媒体は)で仕事をしたことがないから、堂々と「○◯円です!」などと断言したことがない。おおよそ「薄謝で申し訳ないのですが」という切り出し方になる。
「え? 安いなあ。安すぎるなあ。いや、それは安すぎってものですよ。薄謝ってホントに薄っぺらくない?」
 こう言われたこともある。本当の話、二〇〇四年日記に書いている。とある若手社会起業家なのだが、三〇分ほどいびられるように謝礼についての話を聞かされた。
「......そういうわけで、お断りしますよ」
「そうですか、ちなみにお幾らならオーケーですか」
「二五万円かなあ」
 実業家など実社会の成功者相手で、雑誌や書籍の世界に疎い相手の場合はこういうことがまま起こる。彼らの講演料は五〇万円が相場だったりするわけで、喋る=講演=インタビューというような図式になっていたりする。防御策として、僕はこういった方々への依頼状には「上記にお名前のある登場者、全員一律、◯◯円にてインタビューを受けていただいております」と書いている。一律というのが大事だ。差をつけてはいませんよ、というこちらの姿勢と雑誌や本の懐具合が伝わるわけだから。でも、いつかはバーンと「◯◯万円ですよ!」といってみたい気もする。拝金主義みたいに思われるかもしれないが、この十二年、「ごめんね、ごめんね」と言い続けた反動はある。

▼時間設定は大事だよ

 インタビュー時間の相場というものがある。雑誌であれば一時間。贅沢に二時間というものだろう。ヘタをすると三〇分というのも一五分というのもある。この一年僕が主に書かせてもらっている「月刊宝島」(宝島社)で、山本太郎さんに行った二〇分というのが最短記録だろう。なんせインタビュアーが後ろにつかえている状態で、質問消化というような内容だった。
 インタビューを承諾してもらったあとに、「どのくらいの時間ですか」と訊かれる。何を訊きたいか、がハッキリしていて、媒体の発表ページ数などが明快であれば時間は読めてくる。僕の経験上、1ページが四百字詰め原稿用紙三枚程度の雑誌であれば、見開きだけなら「三〇分から四〇分」でいい。4ページなら一時間は欲しい。粘って七〇分。6ページ以上10ページ以下であれば二時間とちょっと欲しいものだ。
 短すぎるとまとめるのに「話が足りない!」という事態を招く。これはわかりやすい。問題は長すぎた場合だ。まず「いろいろ内容があって編集しづらい!」ということになる。書籍ならじっくり長期戦でまとめられるが、雑誌ならば〆切もキツい(僕の場合)ので的確な時間を指定すべきだろう。雑誌の見開き程度のインタビューは直線的であるべきだ。余剰が多いとコンストラクションを損じて、何を伝えたいかわからなくなる。書籍であるとかロングインタビューなら、この余剰というかNGカット的な要素はものすごく大事になるのだが......。
 インタビュー時間が長すぎると、まとめた際にオミットした箇所を、インタビュー相手による原稿チェック段階で指摘されて「あれを入れてくれないと!」などと注文を受ける。その指摘が尤もならいいのだけど、時間があってテーマ以外のことで、相手の思い先行型の発言の場合はインタビューの構成を崩してしまいかねない。で、削ったり足したりで混乱してしまう。更に悪い事態は、インタビュアーと受け手の間に確執を生んでしまうことだ。
「あんたはわかってない!」
「いえ、この場合はですね............」
 などというバトルに入ってしまうと、えてして内容に妥協が出てダメになる。
 だから時間というのは、慎重に考えるべし、だ。