第五回 カンがないと編集もインタビューもダメ

▼カンを働かせる資料読み

 ここまでインタビューの前段階の話をさせてもらっていた。この準備段階最後の項目が「インタビュー相手の資料を読む」だった。まあ、「資料を」と言っても公式なプロフィールを出しているひともいるが、まったくそういったものがない方だっている。そういうことで「相手をよく知ろう」という感じで話を進めていくことにしたい。
 まず、著名人に関して。彼らには公式プロフィールというものがちゃんと用意されている。本人が用意していなくても、ネットでウィキペディアなんかがあり、そこそこの情報を得ることができる。
 ここでもしも、相手に著書があったり、作品がある、(ラジオやテレビ)番組に出ている、ブログを書いている、というようなことなら全てに目を通しておくべきだろう。で、「徹底的に目を通すのです!」とは僕は言わない。本にするようなロングインタビューや長年ファンであったということでまとめるものなら、頑張って予習復習はやっておくだろう。
 けれど、雑誌ものであったりすると時間がない。じゃあどうするべきか。
 カンを働かせるしかない。
 僕の大先輩である編集者は「勘がないと編集もインタビューもダメだな」と言っている。 では僕の場合を書いてみる。
 まず、対象者の一番古い発言や作品を探す。雑誌なら大宅壮一文庫に。書籍なら国会図書館へ行け、だ。フリー初仕事になった『文藝別冊 鈴木清順』(河出書房新社)でもこの手法に頼った。渡哲也、高橋英樹、川津祐介、和泉雅子ら俳優陣と監督やスタッフに訊くとなれば、映画作品を観ることは基本だった。一度観ていても別の発見――監督側の見方や俳優の身になって考えられる演技など――が必ずあるのでメモも用意しておく。
 他は著作だ。鈴木清順監督の著作はあるので読みなおしておく。俳優陣にもある。川津祐介のダイエット本も読んだ。和泉雅子の冒険記にも目を通す。そして雑誌は映画雑誌を読む。活躍していた時代のものを大宅壮一文庫まで京王線に揺られて探しに行った。行き帰りの金しか使えないという、コピーすら頼めない懐具合の頃だ。「キネマ旬報」「映画評論」「映画芸術」という映画本位のものから「平凡」「明星」あたりのファン雑誌、「週刊読売」「週刊朝日」という割合映画を取り上げることが多い週刊誌を漁り、メモを取った。最後の仕上げはここ一年の発言をネット検索と雑誌探しで埋める。それでもスキマはある。スタッフで照明関係のひとなど作品情報以外に他の発言はあまりない。
 情報不足には必ず陥るものだ。

▼情報不足を利用して効果的な質問を

 ここでカンを動員することに決める。彼らが何を考えていたかを類推しても仕方がない。外れていたら、インタビュアーのほうがオタオタしかねないからだ。勘を使うのは、「スキマを逆用して効果的な質問を考える」というとこだ。京王線の車窓から暮れる街を眺めながらコクヨノートに書き付ける。
 和泉雅子の場合は映画以外を訊くとトンチンカンになる。ではなぜ「俳優から一線を引いたのか・引くことが出来たのか」は訊くことにしよう。
 渡哲也の場合は黄金期の日活からニューアクションに変化しようとする前夜だ。その頃のことと、彼が主演だったテレビシリーズ「大都会」「西部警察」の脇役に江角英明や藤岡重慶が顔を出していたのは日活が縁なのか。それと「アート系には渡哲也は出ないが、清順映画にいま出てくれと言われたら?」を加えよう。
 高橋英樹の場合は現代劇中心の日活でのこと、後年の時代劇俳優への歩みを清順映画と関わりがあるかないか判らないが「とにかくぶつけてみよう」と。
 音楽担当の山本直純の著作やエッセイには具体的な清順映画のことは少ない。「けんかえれじい」の異様でバカっぽいテーマはどうして生まれたか、それと山本の代表作である「寅さん」シリーズの音と関係があるか。
 と、昔と今を考えながら質問を探していくのだ。どう出るかわからない、というものであっていい。そのほうがいいとも思う。資料でわかることを訊いても、読者は「へえ、そうなんだ。やっぱりね」と思うくらいで、驚きはない。つまりインタビュアーが理解できることを訊いても話はつまらないということ。それよりも「不明な点」を訊くということが面白いやりとりになる可能性がある。

▼駆け出しインタビュアーの戦果は?

 右に挙げた質問がどうだったか、未整理のMDから拾ってみよう。

岸川「和泉さんは日活での活躍以降は別のジャンルへ積極的に向かわれてますが、俳優業は魅力が無いですか」
和泉雅子「いいえ(笑)、そんなことないですよお」
岸川「犬橇探検のようなチャレンジをなさって、てっきり俳優業は辞められたのかと惜しく思ってました。個人的に。金を稼ぐ仕事は現在は?」
和泉雅子「わたしは好きなことは好き! という熱中するタイプなんです。お金を稼ぐ仕事は別にありますよ。三原橋の割烹のワガママ娘っていうんでしょうか(笑)」

 稀代のコメディエンヌ(金語楼劇団出身で水の江滝子にスカウトされて日活へ)である彼女は駆け出しインタビュアーを優しくいなした結果になっている。

岸川「『大都会』や『西部警察』に江角英明さんや藤岡重慶さんなどの日活俳優陣が出演なさっていますね」
渡哲也「ああ、やっぱりね。石原(裕次郎)が当時一緒に働いた仲間を大事にしていたからでしょうね。我々も息が合うのが一番だから、楽しく仕事ができます」
岸川「倉本聰『時計』での渡さんの演技を拝見するとアート系の映画出演依頼もあったんじゃないかと思うんですが」
渡哲也「あの映画が公開された頃(一九八六年)はそういうのが退潮してたからなあ」
岸川「ATG(アート・シアター・ギルド、日本のミニシアター系映画の草分け)の盛り上がりがなくなった頃だったんだ。では、もし清順映画にいま出演を、とオファーがあれば?」
渡哲也「そりゃ嬉しいですね。私も北野さんの映画(『BROTHER』)にも出していただけたので。清順監督の新作は興味津々です」

 渡哲也へのインタビューは思いの外、長いものになったので緊張が続いた。石原事務所関係のアルバイトや継父と渡の父親とが造船関係で知り合いであったお陰でインタビューは贅沢な形で行われた。ただ、僕のツッコミ具合が中途半端。彼の演技に関しての話が浅くなったのは失策もいいところだと思う。
 高橋英樹へのインタビューは、駆け出しの割にほぼ成功だった。三代目尾上松緑との師弟関係のことなども聞けたのは大きかったと思う。かえって高橋のほうが勢いが凄く、気圧されているのが聞き返してみてわかる。
 山本直純に関しては後にとっておきたい話もあるけれど、以下のやり取りになった。

岸川「山本さんはクラシカルだけど、ジャズやポップスをガンガン混ぜてますね。八木正生さんの東映映画音楽の洒落た感じも演歌調プラス・ジャズみたいだけど」
山本直純「佐藤勝にしたって、シャンソンみたいな音楽入れたりしてるだろう?」
岸川「はい中平康『街燈』なんかですね」
山本直純「まああの頃は社を横断してさ、映画音楽をやってた若い物が『ああいうの書きたい』『そういうの下書きあるから回そうか』とか言って交換してたの。だって七日で撮影、すぐ公開って時分だもんな」
岸川「『けんかえれじい』のテーマとか無茶苦茶な歌詞で(笑)。威勢がいいですね」
山本直純「喧嘩だもんね、それに清順さんだしなんだって赦してくれるだろうってさ(爆笑)。あれだって他社の仕事してる仲間と喋ってて浮かんだんだ。きっと」
岸川「『きっと』って」
山本直純「覚えてられないんだなあ(笑)。山田洋次映画とはまた別のね、大車輪製作時代の落とし子なんですよ」

 後述するけれど山本直純インタビューは二日越しになった。ノリに乗ってくれたmということもあるけれど、ある意味、僕が捕まってしまったのだった。とてもいい思い出になっている。
 さて、最後に鈴木清順御大へのインタビューだ。進行も最後の最後にわざととっておいたインタビュー。それまで俳優や関係者に訊いた話を存分に活かすつもりで伺ったのだが。

岸川「......と、松竹時代、ご一緒だった篠田正浩さんと井上和男さんが仰ってましたけど。五族協和ってのをどこかで信じてらしたんですか」
鈴木清順「そうね。そういうのを日本国は信じてましたねえ」
岸川「いや、監督ご自身では」
鈴木清順「監督ご自身では、って馬鹿丁寧だなあ(笑)。そういうことにしておきましょうや。他に質問ありますかあ」
岸川「はあ、そうですねえ」
鈴木清順「呆れてますねえ(笑)」
岸川「ははは」
鈴木清順「はははは」

 聞き返して「はははは」って一緒に笑ってんじゃねえ、縁側のご隠居との会話かよ、と十一年前の自分に激しくツッコんだ。はぐらかしの仙人、などと異名を取る監督にたっぷり一時間半、優しくソフトにいたぶられるようなインタビューだった。完敗ということもある。いやまあ、駆け出しとはいえ、だらしのない始末だ。