第八回 編集者にインタビューする

▼ベテラン編集者へのインタビューを考案

 僕が参加しているミニマガジン「雲遊天下」でリニューアルがこの春に行われた。ずっと書いていた『好きなことをすれば、ひとは死ぬ』という不吉な題名の私小説を書き続けていたのだが、自分も〈食える〉書き手にならねばという思いもあって、連載を一度やめることにしたのだった。
 じゃあ、次はどうするかと考えた。
 自分はモノカキになって五年、編集者としては十一年になっている。専業になるために時間を得る仕事を探してみたが、そんな都合の良いことはままならず、手に職でもある編集業を続けることにしていた。ホンネを言えば、書物というものが僕の偏愛対象であることもあって、別れるに惜しい気がしたのが真相だ。
 考えあぐねて寝転がり、花田清輝の古本をパラパラめくった......そういえば、小野さんや鎌田慧さんが言ってたな。講談社に変わった編集者がいるって。ちょっと面白いかもしれない。僕は手に持っていた花田の『俳優修業』(講談社)を机において、小野さんへ電話した。
「やあ、野村忠男さんって言ってね、面白いんだね。講談社文芸文庫をやったひとで、ノンフィクションも文芸もやっててさ。ほら、映画評論家の今村太平と付き合いがったんだよ。山小屋作ってあげたりしてね」
 小野さんに情報をもらうと、僕は雑誌の五十嵐編集長へ電話をした。
「あのですね、僕も五年目のモノカキで売れてないわけですし、どうかなあ、そういう僕が書物の修業をするという」
 と、モヤっと提案してみた。編集と書き手としての修業だという意味合いで『書物修業』という題名をつけた。

▼野村忠男さんという文学侍

「えー、小野さんにご紹介を頂きまして、お手紙を出した岸川真です。お電話したのは雑誌のインタビューを受けて頂ければなあと」
 僕はとても苦手な電話でおずおず話し始めた、すると受話器の向こうから、キビキビっとした語尾を持つ声が返ってきた。
「はあはあ、小野さんがねえ。まー、ぼくなんかがべらべら語ってもいいことあるんかなあ、なんてねえ」
「いやでも、僕は講談社文芸文庫が出たときに佐田稲子の小説をタイマイはたいて買って、大江健三郎のも手に入れたんですよ。高校生の頃ですけど」
「そうですねえ、まあちょっと会ってみましょうか。そこでご相談しましょう」
 ネバネバでノロノロな僕の説得にもなってない口説き文句をキビっと受ける姿の見えぬベテラン編集者。会うと決まると余計、緊張が残るのだった。
 約束の日、僕は少し早めに有楽町・交通会館地下の喫茶店へ足を運んだ。すると、パッと天井へ向けて手を伸ばす老紳士がいる。初夏に合うシアサッカー地のスポーツジャケットに帽子。シャツも軽い綾織のものだ。まさに紳士な感じのひとだった。
「岸川さんでしょ、わかったわかった」
 僕は野村さんの前で急に吹き出した汗を拭いながら、なるだけ気持ちの悪くないような微笑を浮かべてみた。
「正直に言うとねえ、この本ね、ここにあることをそのまんま書いてもらえれば、大丈夫なんですよ。あんまり岩波にいた小野さんほど話題がないんですねえ。大きな会社だし、つまらんのじゃないかなあとね」
「いやいやいやいや」僕は慌てて野村さんを制した。「そんなことないです、ないですよ。講談社文芸文庫の創刊についてやセレクションについて、それに大出版社の編集部の話は僕みたいな涙も枯れるようなものを書いてる貧乏人には貴重なんですよ。今村太平のことや花田清輝全集のこともあるし」
 僕はここで終わってはいけないとしゃにむに頼み込んだ。完全にシドロモドロであったけれども。
「そうですか。はあ、野溝七生子を知ってますか。彼女の作品はちょっと早すぎるというか、題材も思い切ったものだったんですねえ。『眉輪』(展望社)というのが戦前に書かれた歴史小説なんですがね、これが良かったんで『山梔』(講談社文芸文庫)を入れて......花田清輝と野溝さんは知り合いで、花田さんは憧れてたようですね」
 野溝七生子は『山梔』一冊を読んだきりで、他の長編作品があるとは知らなかった。短篇集があるが、値が張っていて買えたものではない。
「僕は長崎出身というのもあって仲町貞子の短編が好きでして、どういうわけか彼女から夫だった北川冬彦を経由して野溝七生子を知ったんですが」
「野溝さんは戦後はひっそり学校の先生をしていて派手に作家活動をなさらなかった。けれど『眉輪』はいい。仁徳天皇の一族の話で幽玄で血なまぐさいもので。早かったんでしょうねえ」
 ひょっこり過去の作家の話から盛り上がり、インタビューも受けてくださるということになったのだった。

▼いざ本番、話は膨らんでしまう

 七日後に野村さんと銀座のルノワールでお会いした。またも軽そうな麻ジャケットに淡い色のスラックス姿というお洒落ぶりだ。
「よく歩くんですよ。神保町シアターで映画を観て、そっから銀座まで歩いてきたり」
「健脚ですねえ」
「まあ癖ですねえ。いちいち電車に乗るということが頭に浮かばないんですね」
 とかなんとか喋りながら、僕は出たばかりの「月刊宝島」を手渡す。野村さんは眼鏡をかけ直して「ほうほう」とページを捲る。
「何部出てますか?」
「読者層はどの層ですか」
「カラーは多いけど、勿体無いように見える場所もあるね」
「広告費は少なそうだけど、意識的?」
 と、矢継ぎ早に質問が出る。どっちがインタビュアーかわからない。
「野村さんは雑誌をおやりになってますね」
 既にiPhoneの録音スイッチを入れている。年代順に話を伺うこともなかろうと考えた。話題があちこちに飛んでも野村さんの自然な喋りに任せた方がいい。
「ええ、『現代』にいました。田原総一朗とはその頃に知りあって、たまにやりとりしてますが、彼はどうですか。岸川さんとしてどう思いますか」
 またも逆質問だ。野村さんはどうやら根っからの好奇心の塊=編集屋らしい。僕がさいきんの田原のメディアと一般視聴者とのズレ方を「痛々しい」と言うと笑っていた。
「元は岩波映画で羽仁進の助監督だったんですよね。なんでそこからああなったのか」
 と、僕が言うとすかさず答えが返ってきた。
「そりゃあね、『現代』編集部には食客みたいにルポライターが居座ってたりしてたんですよ。当時の話だけど。その時にいっつも元気にやってくるのが田原さんでね。僕らは彼を〈近江商人〉って呼んでたんだ。売り手よし、買い手よし、世間よしみたいな感じでね。だから書き手としての意地悪さがなかったからテレビで成功したんでしょうねえ」
 話はそこから佐木隆三に行き、『復讐するは我にあり』(講談社)での打ち合わせになった。編集の話になると熱が徐々に入ってくるのが分かる。
「まあ、ニュー・ジャーナリズム的なね、カポーティのセンで行きたかったんでしょう。僕としてはドストエフスキーのセンで行ったほうがいいような気がしたんだけど、担当でもなかったですからね......だからこそあれだけのベストセラーになったんだと思うな」
 頼んだコーヒーは両人共に飲み干して、矢継ぎ早にお冷を飲んではお喋りをする。
「書き下ろしっていうのは、やっぱり野村さん、編集者と作家の二人三脚なんすか」
 この頃には口調もくだけてしまっている。
「岸川さんは、編集者と相談しないの?」
「はあ、書き上げてから持ち込んでいくというのがパターンでして。担当がいても簡素なものをやって書いていきますね」
「はあ。わたしらの場合は題材をぶつけることもあってね。流行作家となった渡辺淳一に安楽死を書いてみろとか。書いてみろ、とは言いませんけどね」
 それから大庭みな子、渡辺淳一の書き下ろしについての話題に移る。もう時間は予定をオーバーしているが、熱気を失いたくない。この際、分載覚悟でどんどん伺おうと肚をくくった。こうなると訊く楽しさは倍増だ。

▼完全に喋りきれば流れも決まる

「そんな書き下ろし作業は夢だなあ、いいなあ、いいなあ」
 と、僕がバカ面で羨ましがっていると「そう思いますか」と野村さんは笑う。定年過ぎの男ではなく、若々しい編集者の姿形になっている。僕は青年野村忠男を幻視した。
「葛西善蔵とか嘉村礒多とかね」
「ええ、彼らは好きですね。人格は破綻してるけど」
「けどね、彼らは夭折した。もしも長命を得たとしたら、彼らはあのままではいかんと思うんですね。やはり一本は当てて、生活に余裕を持つことが必要です。そこで見えてくる世界を題材にして作家の幅を広げていくのが、肝要なんですよ。涙も枯れる生活を綴ってばかりではいけないと思う」
「痛いですねえ、僕はその涙も枯れるようなものばかり書いてるので。そこを脱して別の世界を広げたい。尾崎士郎や獅子文六、今東光的に私小説的なものも書けば、娯楽も書けるという風になりたいんですが」
「ノンフィクションを書いてるわけだから、梶山季之みたいなのもあるでしょうね」
 話がいつ終わるともしれないが、流れは講談社文芸文庫のこと、そして花田清輝全集へと話題が移った。細かいノートもなしに当時の編集作業を記憶している野村さんの頭の強さに舌を巻いた。
 ふと見ると窓の外はオレンジの光線に満たされていた。既に夕暮れ時になっていたのだった。野村さんへお代わりのコーヒーをすすめるが「いや水でいい」と言う。話もスローになり、大方の話題が今村太平に移った頃だった。
「青年時代に映画というキラキラした世界を知って、その謎を解き明かしてくれたのが今村太平だったんですよ。僕が就職しちゃって疎遠になったけども、岩波の『図書』で読んだ随筆で元気さを失っていない。むしろ若々しいので嬉しくなって、再会を果たしたんです」
 僕の眼の前に座り、水を飲む野村さんの姿は編集者から映画青年に変化していた。パーソナル・ヒストリーを扱うインタビューというのはこういうイマージュを見ることになる。
 喋りという行為が過ぎ去ったと思われる時を戻し、話すそのひとを若返らせる。振り返って語るということの不思議さ、大げさに言えば不可視の力の強さをインタビューは教えてくれる。
「いやあ、今日はなんだか学生時代からこれまであっちこっちに喋っちゃって、僕は楽しかったけれども、まとまりますかね」
「ええ、いいものにまとめたいと思います」
 そう会話を交わすと、野村さんはスイッと風のように姿を消してしまった。