第九回 肩書のないひとたちに訊く

▼市井のひとへのインタビューのこと

 僕は昨年春から「月刊宝島」でルポルタージュを書くようになった。不可抗力というのか、昨年、ちょっとだけ在籍した編集事務所で自分の稼ぎをあげねばならず、旧知の編集者Oさんに相談したところ、誌面を提供してくれたのがきっかけだった。
 ルポルタージュの編集者としては働いたことがあったが、書くとなると初めてだ。ガミガミ書きなおしを命じたこともある自分が、逆の立場になるとは思いもよらなかった。この仕事のおかげで、毎月、特定の著名人以外のインタビューを行うようになったのだった。
 短い期間を振り返ると、こういう稼ぎをしているひとたちに会った。
 地面師、元機動隊員、元公安警察官、詐欺師、盗撮専門家、医療恐喝常習者、違法コピー商品製作者、元原子力発電所労働者、元格納容器設計者、財務省キャリア、環境省ノンキャリア、文科省キャリア、中核派活動家、元革マル・シンパ雑誌記者、大手新聞記者、衆議院議員秘書、参議院議員私設秘書、大手ゼネコン設計技師、地震予知研究員、農薬開発者、堆肥生産者、農業従事者、元化学プラント設計者、化学消火隊員、陸上自衛官、サイバー担当警察官、ハッカー、医師、医療過誤専門弁護士、テレビディレクター、新右翼活動家、手配師、沖縄基地反対運動家、多国籍軍事企業勤務者、精密兵器開発者、養鶏家、養蜂家、放射能検知器開発者などなどだ。
 この中の多くは名刺もなく、肩書きもないひとたちが含まれている。会う算段がついて向き合ったときに、なんという職業になるんだろうか、このひとは? という思いが何度かよぎったものだ。その際、蘇る言葉があった。編集者のかけだし時代に師事した、当時、洋泉社社長だった石井慎二さんに言われたものだ。
「何で食ってますか、って必ず訊くんだよ。肩書きは信じちゃいけない。飯の種が大事なんだ」
 僕はルポライター事始めにあたって、この言葉を胸に刻んでひとに会うことにしたのだった。

▼アウトローへのインタビュー

 アウトローって書いて怒られそうだなと、キーを打ちつつビビってはいるが、他に思いつく名称もない。僕が会った、法の埒外で食っている男たちへのインタビューについてここでは書く。
 昨年の震災で儲けまくった闇商売のひとへ取材してこいと言われた。二〇一一年の十一月の半ばだったろう。まだ、十月に手術した直腸が完治せず、タラタラ血が尻から流れている時だった。
 ボヤキになるが、その八月の半ばに下血があった。寝間着の下が真っ赤に染まったほどで、慌てて検査を受けた。その結果を待っている最中にマンションの天井から、大量の汚水が降り注ぎ、家財と原稿データを失ってしまった。仮住まいとしてホテルへ退避していると、今度は所属していた編集事務所が新聞沙汰の問題を起こした。おかげで編集事務所を退職せざるを得なくなり、無職に逆戻りした直後に二度手術を受けたのだった。完全にグロッキーになっている最中に、闇商売の突撃ルポとなったのだ。
 プロのルポライターがどうやって闇商売と接触取材するかは知らない。僕の場合は、実父が詐欺師なので、ことのほか簡単に接触できる。父の仲間だった男たちはいまだに現役なのだ。そこでひょいひょいと電話をかけて、震災でボロ儲けしたひとを知らないかと、盗品故買を生業にしているDさんに訊ねてみた。
「なんだ、あんた。まさか、お父さんの真似をしようってんじゃないだろうね」
 Dさんは「お天道様を拝めなくなるよ」と僕を諭した。僕はこれこれの事情でと説明した。すると入道じみた容貌魁偉なDさんはにっこり笑い、数日のうちに五人の闇商売の男たちに引きあわせてくれた。
「なんで食ってますか」
 僕は愚直に質問をする。震災の夜、一夜にして組織的な闇屋を仕立てて被災地に乗り込んだ一団の一人、Rさんはちょっと髭面をヒクつかせて「お、おう。そうね、人様が欲しがってるのを売ってるよ」と答える。
 相手がどういう筋合いのひとでも、気後れせずに、「お喋りしましょうか」くらいのスタンスで僕は話を訊くようにしている。もっともRさんの背後に一人、お目付けらしき無言のジャージ男がいたので、僕はそれなりにビビってはいたのだけれど。
「欲しがってるのを〈売りつける〉んじゃないんですか? おにぎりを二〇〇〇円で売ってたって聞きましたけど。〇が多いですよ」
「んなもん、食えるか食えないかの時に金の価値なんてねえべさ」
「買うひとはいたんですねえ」
「当たり前だ。腹が減ってるんだ、金があれば買うべよ」
「いい度胸ですよね、被災地のひとから袋叩きにあっても仕方ないでしょ」
「度胸は生まれてからずっと飯並みにつけてきたんだ!」
 僕はいじめられっ子の経験が長い。拙作『半ズボン戦争』でも書いたが、相手の歓心を買う癖が小学生時代についてしまった。だから、つい、相手の琴線を探してそこをくすぐってしまう。Rさんの時も右の次第だったが、それから会ったロシアからガイガーカウンターを密輸していた若い衆にも同じようなことを言った。
「すげえな、ロシア語も出来ないのにあっちに渡って買い付けてくるってさあ!」と、僕は金髪の青年へ感嘆の言葉をかける。「どうやって渡ったわけ」
「そりゃあ、密輸船が出てるわけよ。漁船なんだけど、船の先っぽに二〇ミリを据えててさ。おっかねえの」
 まだ一〇代と言ってもおかしくはない、稚気の抜けない笑顔を持ったBくんは褒めれば褒めるほど、多少は話を盛ってるきらいはあったけれど、饒舌に語ってくれた。
 この取材で付き添ってくれたDさんもまた、倒壊した建材をアジアへ売りさばいて引退資金にしたのだった。別れの際にDさんと飯を食った。
「あんたさ、裏の商売の連中のさ、気分っていうのかね。褒められるってことをくすぐったのは傍で見てて巧いと思ったよ」
「はい」
「でもね、気になったんだよ」
 Dさんとはトンカツ屋のカウンターに横並びに座っていたのだが、やおら向き直って僕の顔をのぞき込んで続けた。
「そういうのは商売、まあ俺たちも人様騙して飯食ってるけどさ。なんだかあんたがやってるのはズルい気がしたなあ。スイッと会って、相手の気持を良くしてさ、喋りを引っ張りだしたらペコリだもんね。なんだかさ、詐欺より卑しい感じもしたんだよ」
 僕は数秒、Dさんのテラテラ光る紅い顔を眺めていた。肚の中ではズシンと重い錘が落ちる感じがしていた。

▼自分が何をしているか、を胸に訊く

 Dさんは日本を離れ、稼いだ金で東南アジアへ引っ越していった。僕はというと、ヒリリと痛む尻を抱えて、取材へ出かける日々が続いていた。〈詐欺より卑しい〉という言葉の意味を肌でも理解していたが、それを目に見えて変えていくという方法もわからず、とにかく「自分が何をしているかを忘れるな」と心に据えて外に出ていた。
 その後に会ったひとで驚いたのが財務省キャリアのBさんで、「インタビューはマラソンしながらでどうかな? 嫌なら取材は断るよ」というものだった。僕は売られた喧嘩みたいに感じてBさんの条件に応じた。
 早朝の皇居前で落ちあい、トレパンにTシャツ姿の大物官僚と並走した。僕はジャージではなくジーンズにシャツ姿。靴だけはスニーカーだ。
「あ、あの、では、録音も回せないので、あれなんですけど」
「いいよ。内容のチェックしないから。こっちは匿名で気楽だからね。さ、質問は?」
 相手は六〇近いのに息切れ一つしない。僕は既に一〇〇メートルも走ると顎が上がっている。
「え、えーっと、消費税をあげるという話ですけど、ハア、ハア、あれは、もともと」
「どうしたどうした? 質問がハッキリしないと答えられないんだけどね!」
 この調子で一時間のインタビューを行った。答えにくい質問をこちらがするとBさんはスーッと先へ走っていく。僕は追いかける。もう無茶苦茶だった。でも僕は取材するルポライターって「そういうもんなんだろうなあ」と思っていたので、インタビューを終えて汗だくで帰途についても恨みはなかった。喋ってくれればなんでもやってやろう、というものだけが、自分の強みだと感じていた。

▼スカイプでのインタビュー

 この調子でいまも取材をやって記事を書いているのだが、さいきん便利になったと驚くようなインタビューの機会に恵まれた。それはスカイプというインターネットでのテレビ電話でのインタビューだ。
 「別冊宝島」での軍事モノでアメリカ国防総省周辺で開発している技術者へインタビューを行わねばならなくなった。僕にペンタゴンの知り合いはいない。どうすべ、と悩んでいると同級生で元自衛官の尉官がいる。森という男だ。彼は退官して外国の軍事企業に再就職している。森に急いで連絡をとって、ロボット兵器の開発者を紹介してくれと無理強いしてみた。
「俺が通訳できない場合はな、お前、英語で喋るんだぞ。それでいいつうんなら手伝ってやる」
 そう釘を差されて、紹介されたのがニューハンプシャー州で海のロボット兵器を開発しているオーレン・エベリットさんだった。日時だけ森から連絡が来た。迷惑かけるなよ、約束の時間も時差があるからな、と僕を鼻から小僧扱いだ。けれど、英語でインタビューなど初めてだ。以前にフローラン・エミリオ・シリというフランス人映画監督へインタビューした際は通訳もいた。今度は一発勝負で孤軍奮闘を余儀なくされる。とにかくアンチョコが必要だと、せっせと質問事項を英作文して、部屋で、便所で、風呂で読み上げる練習をした。どうせ下手なんだから、ゆっくり相手が理解できるまで、根気よく質問すればいいと、最後には肚が据わった。
 さあ、本番。
 僕は画面の向こうの優しいクマさんっぽい外国人エンジニアに「ハロー」と声をかける。
するとオーレンさんの返してきた「そっちは寒い?」という言葉が日本語に聞こえた。一瞬、急性バイリンガルになったのかと疑ったが、それは違うようだ。
「キシカワさん、あんたナガサキにいたんだって。モリに聞いたよ。ワタシは佐世保にいたんだよー」
 僕は軽くずっこけた。さんざん森に脅かされて訓練していたのに、相手は日本語ペラペラじゃないか......でも、助かったな。
 それから九〇分近く、最新兵器の製作秘話をたっぷり訊けた。用意した英語のメモも結果は役にたった。やはり技術的な単語は英語でないとダメな箇所もあったのだ。
 このスカイプでのインタビューは海外ネタで強力に役に立つと思った。その後も数回、利用して記事に役立てている。