第13回 映画界の長老とゲータレード

■思い出す話たち④ 新藤兼人篇

 これまで一番長くお話を聞いて、それを文字に起こしたひとは新藤兼人監督だ。昨年亡くなられたあとに、ひっそりと『作劇術』(岩波書店)で行われたインタビューMDを聞き直した。
 この本を企画し、自ら聞き手になってフィニッシュまで持っていったのは小野民樹さんだ。当時はまだ岩波書店に在籍中で、あれは本が出る二年前の正月だったか、「新藤さんで脚本のみに絞った聞書をやりたいが、君もどうだい」と誘われたのだった。それから小野さんは企画を練ったのだと思う。その年の暮れに再度、企画の話が出て「そろそろ来年から話を聞こうか。まず挨拶に行こう」と誘われたのだった。
 新藤さんに挨拶に行ったのは明けて翌年二月の事だったと思う。御茶ノ水の総合病院に入っていた監督を小野さんに連れられて訪ねた。小野さんと新藤さんは長年の付き合いの裏付けがあるので、企画のことは簡単に言う。
「まあシナリオ全部読んでそれについて訊きますから」
 それに新藤さんもニコッと笑って返事する。
「そうですか、そんなに良いのなんかありますかね」
 僕は病室の端っこでモジモジして、暫く二人のやり取りを聞いていた。頃合いだなと思ったのか、小野さんがやや唐突に紹介を始めた。
「ああ、このひと、今回のインタビューに加わって貰うんで連れて来ました。佐藤(忠男)さんの子分です」
 驚くべき簡潔な紹介である。
 新藤さんの眼は鋭い。豊かな白髪と秀でた額。その下に光る大きな眼。やや猛獣じみた鋭さがある。僕は病室に入った時からビビっていた。
「ああ、そうですか。よろしくお願いします。佐藤さんは真面目だね」
 新藤さんは僕へ向かいそう言って、口元だけで笑った。口元だけだ。思わず背筋がピンとしてしまった。口跡は柔らか。早春の光を浴びた浴衣姿の監督も朗らかな印象だ。なのに眼光はやっぱり鋭くて、僕は更にビビったものだ。
 それからは新藤兼人全シナリオ読破に従事し、どういうポイントで訊くかを小野さんと話し合い本番になった。とにかく小野さんは「多くの著作があるからね、そこで語り終えたものは拾わないよう、極力、シナリオに絞っていこう」という方針を固め、注意していた。たくさんの本で自身を語っている新藤さんから、話していないことを掘り起こすというのは至難の業だと、僕は内心怯えた。だが、その著作の多くを手がけた小野さんが傍にいるのだから、なんとかなるだろうと言い聞かせて本番に向かったのだった。
 インタビューは毎週木曜あたりの朝から昼にかけて行われた。新藤さんの自宅のある乃木坂で小野さんと落ち合い、ダイニング・テーブルを監督と三人で囲む。決まって新藤さんは入り口ドア側を背にして座る。その傍らに僕、対面に小野さんが座る。位置的に監督の左手にある書棚に僕は、つい、目を奪われる。西田幾太郎やカント、徳田秋聲があるんだなあ、とよく分からないが感心してしまう。
 基本はシナリオの成り立ちから訊くスタイルで進められた。話題は当時の映画会社の状況などへも広がり、戦前の映画史に疎い僕は仕事を忘れたお客さん状態だった。
 初日、録音したMDを聞きなおすと、僕はハッとした。前半部は僕が通り一遍のことを伺っている。新藤さんは丁寧に答えてくれているが、その内容は、既に著作にあるものが大半だ。ところが後半、話も尽きたかにみえたところで小野さんが話題を広げる。すると先輩監督や美術監督の素顔がスルスルと出てくる。聞き終えた僕は「ああ、僕の役割は潤滑剤みたいなものだな」と理解できた。二対一のインタビューは刑事映画よろしく、ボケとツッコミが必要だったのかと感じたものだ。
 それからは僕は自分の役割がみえたので、リラックスして新藤さんと話ができるようになった。やや怖くてオッカナビックリだったのが薄れ、監督の風貌も観察できるようになった。新藤さんが顔以外に特徴的なのは拳である。小柄な身体なのに拳がでかい。建物を解体する際に使う鉄球みたいな感じがした。それと、これを敢えて書くのはバカみたいだが監督が用意してくれた飲み物が必ずゲータレードであることは忘れられない。
「ゲータレードっすか、監督好きなのは」
「あなた、監督、監督って言ってくれるんだね。おかしいね」
「いや、監督ですし」
「ゲータレードは親戚が送ってくれるんですよ。美味いですよ、飲んでください」
 映画界の長老格とゲータレード。
 『羊たちの沈黙』などで知られる撮影監督のタク・フジモトと新藤さんが親戚だと知って、これもアホみたいだが、ゲータレード好きが腑に落ちた。
 閑話休題。
 その年の夏から冬にかけて膨大な文字起こし作業が続けられた。ベタ起こしは結構、楽しく出来た。
 しかし、次の整理が難航した。とにかく話題が多い。時系列順に話を訊いているのだけど、全体を見通すと構成が必要だと思い知らされる。中盤の大映時代に置いたほうがよさそうな内容が見つかったり、人生論的な話題なので、別項目を設けたほうがよかったり。シナリオの構造について建築物に喩えて語られているが、バージョンがその日によって違うので、どれが読者にピンとくるフレーズか選ぶのにも手間取る。毎日、原稿整理のことで頭がいっぱいになるとは思いもよらなかった。結果、小野さんへ渡した原稿はどうも生煮えで、ベタ起こしよりは少しマシ、くらいの出来だった。これは小野さんも承知だったのか、手厳しい批評もないまま、受け取ってくれた。そこから更に小野さんの密な原稿整理があり、完成になっていった。
 とにかく参加したはいいけれど、僕は本当に役に立ったのか、新藤さんが一席設けてくれた打ち上げの時も考えこんでしまった。ロングインタビューは難しい。『作劇術』が面白い作になっているのは小野、新藤の両人の力だ。
 聞き手・まとめ手としては大変に残念な仕事ぶりであったけれど、個人的には得をした。特に新藤さんの影響で徳田秋聲を耽読するようになったのは大きい。
「秋聲はねえ、これはもう些細なことから書いていて、つまらないねえ。つまらないけど、まあ、なんと言いますか、これが淡々と止まずに書かれると凄いんですね。凄みがありますね。つまらないけど」
 こういう徳田秋聲紹介は文学史では余り聞かない。つまらない、つまらないと言われると読みたくなる。だって「それが凄い」と言われているんだから。僕は徳田秋聲に飛びついて「新所帯」などの短編から『仮装人物』『あらくれ』『爛』を読んだ。つまらなくなかった。栄養になった。けれど、新藤さんの徳田評が当たってるとも思った。
「創作というのは自分の経験、自分自身でもいいでしょう。そこから広げていく。自分の実感、見た、聞いた、感じたことをですね、そこから始めていくことで根が張っていけるということがありますね」
 この新藤さんの言葉と徳田秋聲の創作が重なり、僕は自分の書きたいもののヒントを得た。新藤兼人は僕にとって巨大な師である。監督にとっては変な若造だったかもしれないけれど。