第16回 再び構成について

▼ここで再び構成について

 横道にそれた話を軌道に戻そう。これまで、インタビュー前・中・後と三段階で話を進めてきたけれど、各論については詳細を避けていた。と、いうのもインタビューに関しては、それぞれのやり方があるので一般論として語りにくいという点があったからだ。
 しかし、文字起こし以降のまとめ方など、重要な局面なので、そこを端折って語るとインタビューの要諦に触れずに終わる。だからここから、私的ではあるけれど、構成や語り口について触れて行きたいと思う。
 まずは構成からだ。
 構成=コンストラクションというものはインタビューに限らず、カキモノのキモである。小説やエッセイに「読ませる技術」という考え方が存在するが、その大半は構成がうまくできているかにかかっている。文が下手でも、この場合、インタビューだが、文字に起こされた内容がド外れて意味のないものでない限り、構成が緊密に考えられていれば読めなくはない。テレビドラマや映画のシナリオで考えてみればいい。起承転結がかっちり観客に伝わるものであれば、陳腐なセリフや設定、人物が要素内にあっても「ああ、そういうことなのか」と成立する。インタビュー構成も大きな視点では同じだといえる。構成は背骨なのだ。
 語られた内容をざっと眺めてみる。
 すると散漫であることに気がつく。
 縷々述べてきたように、インタビューは映画やドラマの撮影のように段取りを踏んで、予定通りにはいかないものだ。話者を乗せるために、本題以外の話もすれば、途中で脱線もある。そこで、整理が必要となる。
 構成にかかる前に僕自身だけで使っている言葉だけど「ランドリー」にかけるのだ。

▼構成の前に〈洗濯〉する

 ナマの素材である文字起こし原稿は先ほど言ったように様々な夾雑物が混じっている。これが意外に面白いものだから、下手をすると内容に引っ張られて〈主題〉を見失う。インタビュー前に考えていた、〈何を訊くのか〉が主題だといえるが、それを見失わないようにすることが必要だ。
 だから初手として着手するのは、文字起こし原稿を話題によって区切る作業だ。凝った小見出しではなく、「ナニナニの話題」というひと目見てわかるものにしておく。例えば、以下の話に「◯◯の話題」と入れたら適当か。

岸川 そう言えば、鎌田さんも編集者のご経験がありますね。
鎌田 小野さんは正統派の編集者でしょ。
小野 そうですかね。ぼくは一九七二年に岩波書店に入社。法学部出身だから、六法全書編集部ですよ。これにはくさったな。
鎌田 六法全書がスタートだったわけ?
小野 編集といっても、基本的には原稿は国会がつくるわけでしょう。官報を毎日見るのがいちばんの仕事。これも儀式みたいなもんなんですよ。国会やってないときは、法律は決まらないから、時間はかからない。ときに法律の誤植訂正があったりすると、それは落とすと困るから一応見るわけ。
鎌田 何人がかりの仕事ですか。
小野 そのときは十一人。四人が編集で、校正が三人。コンピュータになって消えた「貼り込み」という仕事がありましたね。ページごとに台紙を作って、清刷を貼る。あとで訂正がでると、その部分だけを切取って、新しく印刷したものを貼る仕事です。これが三人、あと製作者です。
(『雲遊天下』二〇一二春 ビレッジプレス)
 
 僕が冒頭に鎌田慧さんへ「編集者だったんですか」と振っているのだが、鎌田さんは小野さんへ質問をスルーパスしている。なので、僕の狙いでは「ここで編集者・鎌田慧」を想定していたのが外れたわけだ。そこで僕は「小野さんの新人編集者としての話題・六法全書」とテキストの頭に書いておいた。
 同じく『雲遊天下』の二〇一二年夏に掲載した元・講談社編集者である野村忠男さんへのインタビュー。

―野村さんは一九六四年に講談社へ入社されたんですね。東京オリンピックの年に。
「そうなんですね。留年して入社したんですよ。前の年の就職でちょっと考えちゃって」
―え? 考えちゃった、というのは?
「専攻が露文でね、大学入った頃はまだロシア語やるって聞くと『アカに思われるぞ』って警告されるような時分で。でも、六〇年安保の年を過ぎたら池田内閣で、高度経済成長へドンドンという感じになってた。僕が就職する頃は外国語は重宝されたんですよ」
―所得倍増計画の真っ只中で。
「ええ、商社や製造業が海外進出をスタートしてて。でも、僕がそういう仕事を出来るガラじゃないと思ってた」
―真面目そうですよ。
「いや、真面目の向きが違うとね(笑)。それでまあ映画が好きだし映画会社とか放送局とかいろいろ考えてましたが、けっきょく、一年留年することにして、それで講談社に入社したんです」
―そこで凄いなあ、とぼくなんか思いますね。
「大卒が少ない頃だし、どうなんでしょうねえ、社会が変わってるわけですしね。で、まだ出版社の志望者もいまほどじゃなかった」
―映画の夢は抑えこまれたんですか?
「ドラマをやりたいなあって考えて放送局も希望してたんですが、文化放送を選んでね。あそこはラジオだから(笑)」
―で、講談社?
「文学も好きでしたからね。あれ、『群像』って講談社から出してるのかっていう風でしたが」
―編集者として希望して入社出来るんですか。
「ええ。試験前に営業部希望とか出すわけです。他社だとまた様子が違いますが、講談社は希望して編集者になる」
―転属とかないんですか、その後。
「ないんですね。編集部内で異動はありますがね。で、入社して一ヶ月くらいですか、幼年誌『なかよし』で研修を受けました。キャッチを付けるとか、宣伝文句を書くとか」

 ここでも僕が考えていた話題である「野村さんの新人時代」はスタートで外れ、就職前の話になり、そこから会社選びになっている。新人時代の話題は後段でやっと触れられている。これをランドリーする。

 ★野村さんの就職前のこと
 ★講談社入社したてのこと
 
 この二項目が立つ。このようにドンドンと文字起こし原稿へ話題を選別し、見出しを立てる。すると脇筋と本筋が見えていく。見えたところで、本格的に構成にかかる。

▼事前構成でやると浅い場合がある

 以前に僕は「さいきんは原稿を作成しながら構成している」というようなことも書いた。確かに第一番目の原稿はそのようにしている。けれど、読み直すと「焦ってるな」と思えるところもある。それは事前の構成に沿って、原稿を書いているところに原因がある。
 あらかじめ構成を考えているものに、ナマな原稿をはめ込むと無駄が少ない。これは「コレコレこういう人に訊くのだから、回答を貰えばこう書く」という予断が働いていることに起因する。早くまとめてしまおうという誘惑に勝てず、脱線を捨ててしまう。するとゆとりのないものに読めてしまう。これは損である。
 ゆとりのないインタビュー原稿を読まされると、ただのレポートじゃないかと感じてしまう。インタビューは報告文ではない。ましてや調書でもない。まずは話者がいきいき語ることが、内容よりも優先されるものだと、僕は思っている。そこで僕は急ぎ足の事前構成版を終えたら、すぐさま事後構成に入ることにしている。
 そこで役立つのがランドリーされた小見出しだ。脱線話題を選び出して、事前構成へ肉付けしていくのだ。
 前に例示した鎌田慧さんと小野民樹さんへ話を訊いたものを、もう一度ここで引く。

岸川 ブレないひと、というテーマで、これから話をさせていただきたいと思います。ノンフィクションという分野は取材にかかる労力やお金を考えると割が悪い。若手もなかなか出て来ない。が、三月十一日の震災と福島原発事故以降はノンフィクションは再び注目されている気がします。そんな中、ずっとルポライターとして書き続けておられる鎌田さんに是非お話を伺いたいと思ったというのがきっかけです。そして、岩波の編集者として、鎌田さんの代表作「教育工場の子どもたち」や「六ヵ所村の記録」をつくった小野さんのお二人から同時にいろいろお話を伺おうと押しかけた次第です。
 まずはルポライター・鎌田慧さんと編集者・小野民樹さんの出会いというところから、ざっくばらんに伺いたいと思います。
鎌田 小野さんから、いきなり岩波新書の書き下しの注文が来たんですよ。
小野 一九七七年の春ですね。鎌田さんは、そのときすでに「自動車絶望工場」を書かれていて、いわゆる左翼ライターの中で骨のある人みたいに思われていた。いくつか本をもってきましたが、最初が「隠された公害」三一新書ですね。「死に絶えた風景」は洞海湾と筑豊、労働下宿に住み込んだ記録、いい造りです。装丁が辰巳四郎、口絵写真は東松照明なんだ。
鎌田 よく持ってるなあ(笑)。
小野 『逃げる民 出稼ぎ労働者』(日本評論社)のハタハタ漁の描写なんか力強くて腰の据わった文章です。感心した。後藤正治さんなんか、ぼろぼろになるまで読んだようですよ。
岸川 『ウラの社会を知る 革新のための常識』(KKベストセラーズ)っていう本もありますね。目次を見るとテーマとしては本当に多岐にわたってますね。
小野 この本には、その後の関心が全部入っているというところがある。初期の仕事を読むと、きちんと筋があって、それが広がっていく感じがありますよ。
鎌田 小野さん、よく持ってるよ。驚いた。

 ここで冒頭に語っているのは「お定まり」の挨拶だろう。でも、本対談でも実際に僕は口にしている。ただし「まずは〜」の部分は付け足しだ。なぜなら、冒頭で語った内容にお構いなく、話は進んでしまったのである。けれど、構成する際に「序」は必要であるし、読者に「さあ今回はこういうお話ですよ」と前口上する必要がある。なので、話の方向性はズレるのだけども、冒頭はそのままにしておいた。
 で、次に鎌田さんの発言が来るのだけども、ここはけっこう後で語られる。出会いの話題での発言だ。それを「つなぎ」にもってきて、小野さんが応じるところもくっつけておく。鎌田さんの初期作品についての話題がいきなりドンドン冒頭の挨拶直後にきているので、それと出会いのきっかけを繋げば交通が良くなるというわけだ。脱線をつなぎに使うと、対話が豊かになりやすい。これが成功しているかどうかはわからないが、自分はこうしたという具体例だ(いくつかの鼎談、インタビューはもしも叶うならば全文引用して、成功不成功を読者に仰ぎたいものだ。この原稿が本になるならば、是非そうしたい)。

▼構成の基本

 インタビューにおいても、どの原稿に関しても大事なのは「幹」である。構成において太い線をどれにするかを決めておかねば、読者に何の話かわからないまま提示することになる。だから、上の例のような下手くそな前口上を書くこともある。
 この幹が前もって分かっている場合とぶっつけで喋っていて発見される場合の2パターンある。後者の場合は文字起こし原稿でのランドリー作業で「お、これが構成の太いところだ」と判明する。簡単にいえば、頻出する話題が幹だとわかるわけだ。
 この幹にも天辺と根っこがある。天辺は結論である。根っこは話題の端緒である。通常のインタビューでは地面から順繰りに話が進み、天辺の結論に至るのだが、書籍などの場合は結論をポンと先に提示した方がいい場合がある。それは人物ドキュメント的なインタビューで、僕は一代記的なカキモノで使用している。
 インパクトで言えば、天辺=結論の前段階の「葛藤のある箇所」でスタートするのがいい。幻冬舎で出した『いのちの川』は話者の山崎充哲さんが倒れた場面から始めている。ひとり語りの形式のものなので、読者に「この人はどうなるのか?」というサスペンスを与えて、多摩川再生に賭ける姿を読ませていくほうが効果的だろうと思ったのだ。
 インタビューもまたドラマなのだ。
 幹が決まれば枝葉に移る。枝葉は幹にまつわる挿話や脱線箇所だ。話題が平板にならないように、読者に向かって「飽きないで! ここから先も面白いから!」とサインを送るのだ。うまくすれば伏線になりうるわけなので、ロングインタビューの場合は起伏のある話題を小分けにして配置するという方法もある。
 雑誌でのインタビューは字数制限が厳しいので乾燥したものになりやすいが、それを避けるためにランドリー段階で見つけた話題を短く切り詰めてでも挿入する。
 決して一本道のものにしないこと、これが僕にとってのインタビュー構成の要諦だろうか。