11月18日(金)ぼくのミステリ・クロニクル

  • ぼくのミステリ・クロニクル
  • 『ぼくのミステリ・クロニクル』
    戸川安宣,空犬太郎
    国書刊行会
    2,970円(税込)
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 戸川安宣『ぼくのミステリ・クロニクル』(国書刊行会)は読みどころ満載の書だ。たとえば戸川安宣は一九七八年ごろから朝日新聞に書評を寄稿していて、一九八六年からは「ミステリーゾーン」という時評式のミステリーコラムの担当であった。朝日の担当者は東京創元社の本を取り上げてもいいと言ってくれたが、ポリシーとして自社の本は取り上げないと戸川は決めていた。あるとき原稿を渡した直後に、次の原稿を予定していた人が外国に行ってしまって穴があいたので次週も書いてくれと言われ、そのときはやむを得ず自分で作った本を取り上げたら、まだ書評が力を持っていた時代なので、その本が売れたということあったという。

 興味深いのはその先である。その後の「ミステリーゾーン」は4〜5人で担当したが、そのなかに早川書房の人が2人いて、「これが早川書房の本ばかりとりあげる」。どうしたものかと悩んだ結果、メインの本には東京創元社の本は取り上げないが、関連する本には東京創元社の本を使わせてもらうというスタンスにした、と戸川安宣はさりげなく書いている。三〇年ほど前のことだから、そのときの「二人の早川書房の人」はもう在籍していないと思うけれど、誰だったのだろうとつい考えてしまうのである。

 昔、東京創元社には、女性翻訳家は二人までしか使わないという不文律があり(これは厚木淳が言いだした決まりだったという)、深町眞理子、小尾芙佐の二人だけという時代が長く続いたこと。なかなか家に入れてくれない鮎川哲也の鎌倉の家に、強引に入ったら中はゴミ屋敷のようになっていて呆然としたこと──興味深いことが次々に飛び出てくるのだ。

 戸川安宣が東京創元社に入社したのは一九七〇年。驚くのはそのときですら編集部員が新入社員の戸川もいれて5人だけだったこと。さらにその年、二人が退社するので3人になる。その人数で、ディクスン・カー短編集、ハガード『ソロモン王の洞窟』の新訳などをやりながら、バルザッグ全集やリラダン全集の企画、さらには現代社会科学叢書をやっていたのだから、信じられない。当然、戸川青年も最初から戦力となって活躍する。出版社にまだ元気があった時代の、息吹が行間から立ち上がってくる。

 本書はもちろん、戦後ミステリー編集史として長く語り継がれていく本であることは間違いないが、海外ミステリーを愛し(本書後半の、日本探偵小説全集の内幕話を始めとして、鮎川哲也賞を創設するなど、日本ミステリーを発信した苦労話も興味深い)、本を慈しみ(本書の最後は、ミステリ専門書店に係わった1400日の回顧だ)、本とともに生きた男の生涯は、本を愛するすべての人に強い印象を残すに違いない。

 そんなことまで覚えているの、と驚くほど記憶力がいいことも特徴だ。私はただいまミステリマガジンに「書評稼業四〇年」という回顧録を連載中なのだが、記憶力がまったくないので毎回苦労している。そういう人間からみると、戸川安宣の記憶力は驚異だ。

 たとえば、小学生のころに読んでいた講談社の「少年少女世界科学冒険全集」に、原田三夫という日本宇宙協会の会長が宇宙ものの解説書を書いていた──とさりげなく出てくるが、そんな昔に(六〇年前だぜ)に読んだものを覚えているとは信じがたい。

 あるいは中高校時代に、中央公論社から「日本の歴史」「日本の文学」「世界の文学」「世界の名著」「日本の名著」「日本の詩歌」といろいろな全集が連発されていたが、その内容見本の表紙でモデルさんが全集の表紙と同じ色のドレスを着ていた──なんてことを覚えている中高校生が全国に何人いるのか。その内容見本が本書に掲げられているが、カラー写真ではないので、同じ色なのかどうか確認できないことだけが残念である。

 まだまだ書き足りないが、最後にいちばん印象に残ったことを書く。宮部みゆきには最初の段階と本になったのとでは違っているものがいくつもある、と書いたあと、戸川安宣は興味深い実例を紹介する。それはこんな話だ。

 東京下町を舞台にして、とにかく淡々と町に住む人たちの日常を綴っていく。300ページのうち250ページは何事もなく話は進んでいく。その日常の裏側で実は殺人が起きているんだけど、犯人は普通の顔をして日常の生活を送っている。最後の50ページで、それが判明したときに、その伏線が随所にあることに読者は気がつく──というストーリーをデビュー間もない宮部みゆきは考えたのだが、冒頭で殺人などの、読者をぐっと引っ張っていくものを書かないと誰も読んでくれないと編集者に言われ、書き直したという。

「宮部さんの構想通りの物語を読んでみたかったですね」

 と戸川安宣は書いているが、本当にそうだ。編集者のアドバイスでいい方向に変化した作品もたくさんあるだろうが、これに関しては最初の案通りの作品を読みたい。そして、書き直した、というのだから、その作品は違うかたちとなって刊行されたわけで、はたしてどの作品なんだろう、と考え始めるのである。