2月9日(金)フランス陸軍士官ブリュネのこと

  • ラ・ミッション 軍事顧問ブリュネ (文春文庫)
  • 『ラ・ミッション 軍事顧問ブリュネ (文春文庫)』
    佐藤 賢一
    文藝春秋
    1,069円(税込)
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 そうか、ブリュネはふたたび箱館に戻ったのか。

 佐藤賢一『ラ・ミッション』(文春文庫)のラスト近く、フランス軍事顧問団ともども戦場を離脱することを、ブリュネが榎本武釜次郎に告げるシーンがある。箱館沖に停泊しているフランス軍艦コエトローゴン号の艦長に、軍事顧問団の乗船を依頼する手紙を書いた直後である。

 敗色濃厚な局面とはいえ、さらに、ここまでで十分です、もう離脱してくださいと榎本から言われたとはいえ、そんなにすんなりと戦場を離脱しただろうか、というのが長年の疑問であった。

 なにしろブリュネはただの軍事顧問ではない。国からの帰国命令に反し、榎本軍と行動をともにした義の人である。たとえば、綱淵謙錠が『乱』(中公文庫)の中で、敗戦後、監獄に送致された榎本武揚が、五稜郭に同行する報酬としてブリュネが二十四カ月で八万両を請求したと証言していることに、敢然と反論していたことを思い出す。滅びゆく幕軍と運命をともにして五稜郭の戦いに参加した侠気の人、フランス軍士官ブリュネに対する限りない共感が、その背景にあることは想像に難くない。

 綱淵謙錠は史実そのものに歴史を語らせる歴史小説を書き続けた作家だが、史実をどう読むのかという問題はある。この大作の底に清々しいものが一貫して流れているのは、滅びゆく者に対する哀惜の念が物語の強い芯となっているからなのだが、ブリュネの報酬に対して、聞き取った人間の書き間違いだと熱く反論するくだりは、『乱』の白眉といっていい。

 そういう人間が、これ以上軍事顧問の出る幕はないという局面になったとはいえ、すんなりと戦場を離脱するだろうか。

 この『乱』の中に、ブリュネのスケッチがいくつか収録されているが、その中では「江戸近郊・王子の茶屋」と題したスケッチが好きだ。川では裸の子供たちが水遊びに興じ、のどかな日本の風景が的確に描かれた一枚で、いまはなき古き良き日本の風景が立ち上がってくる。 『函館の幕末・維新 フランス士官ブリュネのスケッチ100枚』(中央公論社・1988年)という本には、日本に来る前、メキシコに従軍したときのスケッチもあり、これも驚くほどうまい。写真機のない時代では、情景を正確に素描する能力は、陸軍士官にとって必須のものだったようで、帰国後、少佐→大佐→師団長→少将と出世したように、ブリュネは軍人としてきわめて優秀だったようだ。

 ここまで書いてきて、綱淵謙錠は『乱』の中で、ブリュネが箱館を離れたことをどう描いていたのか、気になってきた。遙か昔に読んだ小説なので、細部が思い出せない。そこで調べてみたら、いやはや、驚いた。そういう場面がないのだ。

 そもそも歴史小説の大傑作『乱』は、著者の死によって未完となった長編で、五稜郭の戦いの前で終わっているのである。それでも単行本は二段組七百ページ(文庫本は五百五十ページ上下2巻)という大作で、あと五章あれば完結していた、というのが私の推測である。五稜郭の戦いに三章、その後始末に一章、エピローグに一章。それで五章。

 しかし現実には、その前で終わっている。ならば、五稜郭の戦いの末期、もう敗戦が濃厚になった時、戦場を離脱するブリュネの姿はどこで読んだのか。実は、この五稜郭の戦い自体は数多くの小説で描かれている。だからたぶん、それらの小説で読んだものを『乱』で読んだと錯覚していたものと思われる。

「軍事顧問ブリュネ」と副題のついた佐藤賢一『ラ・ミッション』では、この箱館戦争にもう勝つことは出来ない、ならばあとはフランス公使に停戦の仲介をしてもらうしかない──というのがブリュネの計画で、そのために彼は戦場を一度離脱するという筋立てになっている。しかし江戸に戻ってもフランス公使はブリュネと面会もしてくれない。そこでブリュネは再度箱館に戻るが、すでに戦いは終わっていた──というのが、『ラ・ミッション』が教えてくれる「ブリュネその後」である。

 これがどこまで史実に則しているのか、知識の少ない私には判断できない。佐藤賢一が資料探索に熱心な作家であることは編集者から聞いている。驚くべき挿話もあるが、ここには関係のないことなので紹介しないものの、そういう作家であるから、一度戦場から離脱したブリュネが仲介もうまくいかず再度箱館に戻ったという経緯は、あるいは史実に基づいているのかもしれない。しかしこの『ラ・ミッション』の素敵なラスト(いくらなんでもこれだけはここに書けない)を一方に置けば、このブリュネUターン説は著者の創作 かもしれないという気もしてくる。いったいどっちなんだ。

 そうか。佐々木譲に『武揚伝』(中公文庫)があったか。急いでこれを引っ張りだし、五稜郭の戦いのくだりを確認してみた。すると、ブリュネが五稜郭を離れるとき、榎本武揚の部下が「さすが西洋人は、このような場合、割り切りが早いのう。おれは、あの面々は半分は義勇軍なのだと思っていたが」「よくもまあ,てのひらを返したように」と言うシーンが出てきてびっくり。しかも、もっと驚くのは、ブリュネが去ったあとも五稜郭に残ったフランス軍士官がいたこと。マルラン軍曹とフォルタン伍長だ。この二人は最後まで武揚軍と運命をともにするのだ。ちょっと待ってくれ。それでは、ブリュネの立場がない。

 はたして真実はどっちなのか、いまの私には判断できないが、ブリュネが箱館を去ったのは仲裁役を見つけてくるためであったという『ラ・ミッション』のほうが私は好きだ。綱淵謙錠の熱い弁論が強く記憶に留まっているので、『武揚伝』のブリュネ像にはついていけないのである。

 佐藤賢一『ラ・ミッション』は、2013年から2014年にかけて「オール讀物」に連載され、2015年に文藝春秋から単行本になっている。「軍事顧問ブリュネ」と副題のついたこの長編を、どうしてそのとき、読まなかったのか、自分でも理解できない。ブリュネだぜ。それが文庫になって、2017年12月に書店の文庫コーナーに並んで、ようやく気がついた。

 つまり今回書いたことは、「未読本シリーズ」の第3回なのである。