7月27日(金)真夏の二冊

  • 『蝶々夫人』と日露戦争 - 大山久子の知られざる生涯 (単行本)
  • 『『蝶々夫人』と日露戦争 - 大山久子の知られざる生涯 (単行本)』
    萩谷 由喜子
    中央公論新社
    1,944円(税込)
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  • ロンドン日本人村を作った男 〔謎の興行師タナカー・ブヒクロサン 1839-94〕
  • 『ロンドン日本人村を作った男 〔謎の興行師タナカー・ブヒクロサン 1839-94〕』
    小山 騰
    藤原書店
    3,886円(税込)
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  • 黒き水のうねり (ハヤカワ・ミステリ文庫)
  • 『黒き水のうねり (ハヤカワ・ミステリ文庫)』
    アッティカ・ロック
    早川書房
    1,188円(税込)
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 萩谷由喜子『「蝶々夫人」と日露戦争』(中央公論新社)という本を今年の始めごろに読んだ。大山久子の知られざる生涯、と副題の付いた本だ。駐イタリア公使夫人であり、オペラ「蝶々夫人」のプッチーニへの日本音楽の資料提供者で助言者でもあった大山久子の生涯を描いたノンフィクションである。この冒頭近くに、「蝶々夫人」よりも19年も早い1885年に、日本を舞台にしたオペレッタ「ミカド」がイギリスで上演された理由について作者は次のように書いている。

「それが可能だったのも、1885年1月から87年6月まで、途中、火災による閉鎖期間もあったものの2年余りの間、ロンドンのナイツブリッツ地区に、いわば博覧会のような正確を持つ人工的な日本人村が設置されて、日本から職人、軽業師、芸者、茶屋娘、相撲取りなどが送り込まれて実際に生活を営み、それぞれの風俗をイギリス人観光客の鑑賞に供していた、という背景があったからである」

 これは、幕末から明治にかけて海を渡っていった日本人の記録が好きな私には、とても気になる一節だった。何なんだ、その「日本人村」って? 小山騰『ロンドン日本人村を作った男』(藤原書店・2015年)を急いで購入したのは言うまでもない。こちらは「謎の興行師タナカー・ブヒクロサン1839-94」という副題が付けられている。

 早く読まなくては、と思うもののなかなか時間が取れず、ようやく読んだのは先週である。いやあ、面白かった。どうしてこういう優れたノンフィクションを私は読んでいなかったのか。しかも私のストライクゾーンど真ん中の本だというのに。

 この本の主人公は、オランダのアムステルダムに生まれたフレデリック・ブレックマンである。全体は、第1部「駐日英・仏公使館員時代」、第2部「軽業見世物興行師時代」、第3部「ロンドン日本人村・仕掛け人時代」という三部にわけられている。まず、ブレックマンは1859年、20歳のときに長崎にやってくる(長崎に来航するまでの詳細は不明)。そして横浜で、イギリスの初代駐日総領事オールコックに通訳として雇われる。ブレックマンがどこで日本語の能力を習得したのかは不明。のちにフランス公使館員になるが、ということは英語日本語フランス語すべてに堪能だったということだろう。1864年、池田使節団の通訳・案内人としてフランスに渡るのも、フランス語の能力を評価されていたからだろう。ちなみに、この一行がエジプトのスフィンクスの前で撮った写真は有名だ。あの中に、ブレックマンもいたのか。しかし人物が小さすぎて判別がつかない。もっとも、『レンズが撮らえた幕末維新の日本』(山川出版社・2017年)には、スフィンクスを訪れたのは35人のメンバーのうち27人と書かれているので、ブレックマンがこの写真にいるかどうかは不明。

 問題はこの先だ。現地でフランス製軍艦を購入することになり、紆余曲折の結果、その資金をブレックマンが着服してしまうのである。ブレックマンが逮捕されて入獄するのはその罪ではなく、まったく別の罪だという経緯は長くなるので割愛。出獄後にサンフランシスコに渡り、ふたたび日本にやってきて、今度は「軽業見世物興行師時代」が始まる。この時代、日本の軽業師たちが外国に多く渡ったことはここに書くまでもない。安岡章太郎『世紀末大サーカス』は高野広八の日記を元に、この時代の軽業師たちを描いたものだが、他にもたくさんいて、ブレックマンはそのうちの一つ、グレート・ドラゴン一座の支配人として日本で軽業師を集めてからアメリカに渡っていく。波瀾万丈の人生といっていい。

 これでもブラックマンの「冒険」はまだ終わらず、70年代後半から80年代にかけて英国各地で興行を続け、1885年、ロンドンで日本人村を始めるのである。その「日本人村」がどういうものであるのかはすでに書いた。本書で初めて明らかになったのは、その「日本人村」の総支配人タナカー・ブヒクロサンが、ブレックマンと同一人物であったということだ。ブレックマンは1894年、55歳のときにロンドン近郊で亡くなっているが、『ロンドン日本人村を作った男』は、その波瀾に満ちた生涯を、丁寧に、克明に、追いかけたノンフィクションの傑作だ。新刊のときに素早く読んで絶賛したかった。いま猛烈に反省している。

 先週読んだもう一冊は、アッティカ・ロック『黒き水のうねり』(高山真由美訳/ハヤカワ文庫・2011年2月)。昨年どなたかのツイッターにこの本のことが書かれていたので気になってすぐに購入したのだが、それからずっと積んだままであった。焦ったのは、そのアッティカ・ロックの新作が、エドガー賞の最優秀長編賞を受賞したという報道だ。おお、それなら急いでこちらも読まなければならない。その最優秀長編賞の新作は年内に早川書房から翻訳刊行されるらしいが、それまでには読んでおいて、あとは知らん顔をしていたい。ああ、その作家なら以前の作品も読んだなあと。

 というわけで、手に取ったら、こちらはとてもシリアスな小説だった。1980年代のテキサス州ヒューストンを舞台にする長編で、主人公は黒人の弁護士ジェイ・ポーター。冒頭は妻の誕生日に、ナイトクルーズを用意したらその船が安っぽく、いたたまれない気持ちになっているジェイの感情から幕が開く。ここから何が起きるかはいっさい書かない。一気読みしたという事実だけを書いておく。ただし、採点は◎ではなく、○印にとどめるけれど。