【今週はこれを読め! ミステリー編】謎、語り口、キャラクター、三拍子揃った『イン・ザ・ブラッド』

文=杉江松恋

  • イン・ザ・ブラッド (文春文庫)
  • 『イン・ザ・ブラッド (文春文庫)』
    ジャック カーリイ,Kerley,Jack,和代, 三角
    文藝春秋
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 ちょっと気が早いけど断言してしまおう。今年の翻訳ミステリーで、もっとも優れた謎解きの構造を持つ作品はジャック・カーリイ『イン・ザ・ブラッド』である。いわゆる「本格」ファンの人は読むといいです。読んだ印象を一口で言うならば、実力者がプレイするオセロゲームを見ているような感じかな。ある一手が起点になって駒がぱたぱたと裏返り始めて、わずかな時間で趨勢が決まってしまう。あの醍醐味を、本書では味わうことができるのである。

 本書はカーソン・ライダーとその相棒ハリー・ノーチラスの刑事コンビが活躍する連作の第5長篇にあたる。二人が属しているのは、アラバマ州モービル市の警察署だ。カーソンはもともと警察官志望ではなかったが、精神病理者や社会病理者の犯罪捜査に対して特殊能力があることが認められて登用された。彼がコンビの頭脳なのだが、組織になじまない危なっかしい性格をしているので、世慣れた先輩警官のハリーが補佐役を務めている。ちなみにカーソンは白人だがハリーはアフリカ系である。本書『イン・ザ・ブラッド』では、二人が人種混合コンビであるということが重要な意味を持ってくるのだ。

 優れたミステリー作品の常として、物語のはじめは混沌に満ちている。二人がモービル湾で釣りをしているところに、手こぎ舟が流されてきた。無人かと思ったが、その中には衰弱した赤ん坊が乗せられていたのである。
 カーソンたちはボートが流され始めたと思われる場所を特定するが、そこにあった建物は火事で消失し、しかも身体を銛で貫かれた死体が残されていた。捜査に現れた保安官とその助手は人種差別主義者らしき態度をむき出しにした嫌な連中で、次第に物語にはきなくさい臭いが立ちこめ始めるのだ。

 この赤ん坊と火事場の死体を巡る事件が縦糸となって話は進んでいく。もう一つ、白人優位主義者から多大なる支持を集めていたキリスト教説教師がSMプレイ中の事故と思われる状況下で死亡する事件が起き、コンビは上司から命じられて嫌々ながらその事件も捜査を担当することになる。こちらも人種差別の要素が濃厚だ。そのために、カーソンたちはたびたび危険な目に遭わされることになるのである。

 本書のもっとも素晴らしい点は、謎の播種が完了した後の展開である。前半部で読者が立てた予想はことごとく裏切られることになる。特にキャラクターの描き方がよい。登場人物にはいくつも顔があり、容易にその素性を掴ませてくれないようになっているのである。こうした書き方はイギリスの作家ミネット・ウォルターズが得意とするものだが、カーリイも負けてはいない。謎解き、犯人当ての楽しみとはすなわち、登場人物表を見て「こいつが怪しいのではないか」と睨んだ見立てがあっさりと覆される快感にあると改めて認識させられた。先入観、思い込みの強さを逆手にとって、カーリイは読者を翻弄するのである。

 最後に大ネタが一つ仕掛けられているのもいい。カーリイのデビュー作『百番目の男』は、おそらくそれまでのミステリー作家が誰も試したことがないであろう奇想天外なトリックを有する作品である。そういう「ワンアイデア」の作家として見られてしまうことの多かったカーリイだが、実は第二作『デス・コレクターズ』以降は一つのネタに頼るだけではなく、構図がきれいに逆転するプロットを精緻に組み上げ、物語の全体像の完成度を上げる方向に作風を転じていた。本書は、その路線における最高傑作と言っていい。

 また、主人公カーソン・ライダーの人物像にも注目していただきたい。

 実は前作『ブラッド・ブラザー』まで、カーソンには大きな秘密があった。実兄が精神病理の殺人犯として拘禁状態に置かれており、それを暴かれることを彼は怖れていたのである。しかし前作でその状態には一応の終止符が打たれた。兄という弱点が解消された後で、カーソン・ライダーというキャラクターがどのように描かれるか。その興味で本書を手に取った人も、間違いなく満足させられる趣向が準備されている。ああ、どこまでいっても危なっかしいカーソン・ライダー。保護欲をそそられるぜ! 守ってやりたい主人公ランキング急上昇中だ。

 謎、語り口、キャラクター、三拍子揃った完成度の高い作品として、お薦めする所以である。おもしろいですよ。

 ところで、本格ミステリ作家クラブが結成10周年を記念して、2000年代に日本語に翻訳された優れたミステリーを選出したことがあった。そのとき作家・評論家から成るメンバーが選出したのが、ジャック・カーリー『デス・コレクターズ』だったのである。

 表彰の日、もちろん本人は来場しなかったが、編集者によって受賞のメッセージが代読された。その中の一節を、今でも思い出す。

 ----私の体は海を隔てたこちら側にいますが、心は本格ミステリ作家クラブのみなさんと一緒にいます。

 目の青い(たぶん)同志、心強い味方が海外にいることを、日本のミステリー・ファンはもっとも自慢に思っていいのである。

(杉江松恋)

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