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第4章

A店のデッドリミットサスペンス。 迫り来る店卸し書類の提出期限に 絶体絶命!
 果たして俺の運命は!?

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小関 智弘
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俺はどしゃぶり (光文社文庫)
『俺はどしゃぶり (光文社文庫)』
須藤 靖貴
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 話の枕としては少々唐突に過ぎるかも知れないが、人は何故、「忘れた振り」などという無意味な行動をとるのだろう? 例えば何か面倒なことや辛いことが控えている時、「忘れた振り」をして事を先延ばしにしたところで、何の解決にもならないことは自分が一番よく分かっている筈なのだ。無論、俺も分かっていた。9月30日という期限を前に、俺がどんなに迫真の演技で「忘れた振り」をしようとも、時の神様は忘れてくれない。仮に時の神様が忘れてくれても、きっと本部は忘れてくれない。そう、第1章でもチョロッと触れたが、店卸し絡みの数々の書類の提出期限が、気付けばほんの数日後に迫っているではないか!

 これまで何度か述べてきた通り、店長職の引き継ぎと言っても名ばかりで、俺は殆ど何の教育もされないままに着任した。その上、これまで在籍した各店舗でも店卸しなど毎度店長に任せっきりで、自分はひたすら棚に没頭していた。そんな過去の所業が見事に祟って、初めて店舗責任者として迎えるこの度の店卸し、はっきり言ってチンプンカンプン。総務部、経理部、営業部、商品管理部と、内容によって提出先が違う何枚もの書類を期日までに仕上げて送るなど、到底俺にこなせる仕業ではない。

 マジで本気で真剣に、どうしようかと頭を抱えていたのだが、純平君がみるみる内に全て片付けてしまったのには驚いた。こと店卸しに関しては、純平君は"店長の片腕"と言うよりも完全に"両腕"。「凄えな、オイ」、「よく解るな、オイ」、「何で知ってんだ、オイ」、「次も頼むぞ、オイ」と、恐怖の"オイオイ店長"と化した俺に純平君がアッサリ言ってのけるには、「前の店長も、その前の店長も、本っ当に何もやらなかった人なんで、僕がやるしか無かったんですよ」。ウ〜ム、ここなんだよな、地方の小規模店舗の泣き所は。

 店卸しに関して純平君が一から十までやってのけたのは、ナルホド前任者が"何もやらなかった"お蔭だろう。が、そういう上司の下で今まで過ごしてきたからこそ、棚の作り方や商品知識について純平君は大きく出遅れたのではあるまいか? A店の惨状が、その何よりの証拠だろう。

 俺が過去に在籍した幾つかの店では、最も少ない所でも5人の社員がいたから、入社以来12年間、何か解らないことがあっても解ってる人間が必ず居た。迷ったり悩んだりしても、訊いて回れば何とかなったし、中には何を勘違いしたか俺を次期店長と勝手に見込んで、事在るごとに"上に立つ者の心構え"を講義してくれた大先輩までいた。稀に誰も経験したことが無いような事態が発生しても、皆でワイワイ話し合えば、三人寄れば文殊の知恵で結構どうにかなるのが常だった。その上、比較的都心に近い場所ばかりだったから各社の営業さんや編集さんと会う機会も多く、そういった方々から思わぬ情報や知識を伝授して貰うこともしょっちゅうだった。逆に後輩の指導に関しては、"俺一人で育てている訳じゃない"が故に、その成長に責任を感じることなど殆ど無かった。自分のスキルアップだけ考えていればそれで良かった。

 つまりは俺はこれまでの12年間、書店員として実に恵まれた環境で育てて貰ったのだと、今更気付いた訳である。ところが、だ。A店の場合、社員は俺と純平君の二人しかいないのだ。

 そういった境遇で"本っ当に何もやらなかった人"を上に戴いてしまった場合、本来先達の薫陶を受けて伸びてゆくべき後進が、まともな教育を受けられないという由々しき事態が発生する。本人のやる気や吸収力の問題は勿論在るが、狼に育てられたアマラとカマラは、保護されてからも遠吠えの習慣が消えなかったと言うではないか。っつーことは、今後純平君が育つか否かは、実に全く俺次第。今まで"自分が伸びること"にばかり一生懸命だったが、これからはどうもそれじゃマズいらしい。正直少々面倒臭いしプレッシャーが無くもないけど、十年前の俺より遥かに素直で前向きな純平君が、やっぱり今のまんまじゃ不憫である。純平君、青は、藍より出でて藍よりも青し! 頑張ろうぜ。

 と、ここで名著を1冊思い出したんで、是非とも紹介しておきたい。小関智弘さんの『仕事が人をつくる』(岩波新書、赤750)は、旋盤工として50年のキャリアを持つ著者が、様々な分野のベテラン職人10人に取材した聞き書き風ノンフィクション。「ものづくり」一筋ン十年というプロ中のプロたちの言葉からは、現場の熱気や厳しさがビンビン伝わってくるだけでなく、業種を越えたヒントや励ましがてんこ盛り。

《どんなに自動化されても、ロボットに知恵はないですからね。機械を使うのは人間なんだから、使う人間の心構えが色に反映するんだよ》ってのは、染色の職人さん。

《仕事が楽しいなんて、きれいごとだ。楽しんでやっているうちは、そんなのは仕事じゃない。真剣にやっていれば、仕事は苦しいものです》ってのは歯科技工士さん。

《機械科の人間ならもっとシャキッと、カッコよくしなさいと。女に惚れられるんじゃなくて、男が惚れるように歩けと》ってのは、研磨仕上げのマイスター。

グッと来る言葉やハッとさせられる文章はまだまだ枚挙に暇が無いが、中に一つ、こんな言葉も載っている。曰く

《自分を超えるような職人を育てられないようじゃ、半端職人だ》

それなら俺は純平君を、俺を超える本屋さんにしてみよう! とかって、1年ぐらいでアッサリ抜かれたりして......。

 話、戻す。兎にも角にも純平君の八面六臂の活躍で、店卸しの後始末は無事に済んだ。ホッとした。っつーか、正確に言うとホッとしたかった。せめて暫くの間だけでも。だが勿論、日々大量に届く荷物は待ってはくれず、押し出される返品は引きも切らず、棚に出さなきゃいけない商品と棚から引っこ抜いてきた商品は、バックヤードどころか遂には売り場の通路まで侵食し始めたではないか!!

 はっきり言おう。この状態は、既に本屋ではない。何の秩序も法則も無く、空いたスペースに不規則に積み上げられてゆくダンボールの山、また山。どこに何があるのか誰も分からない混沌振りはもはや倉庫と呼ぶことさえも憚られ、本屋でもなく倉庫でもないとしたら我がA店は一体何だ? と訊いたところで当然答えられる者など一人もいない......。着任当初も「酷え店だ」と思ったけれど、更に悪化させてないか、俺?

 しかも、である。こんなに追い込まれているにも関わらず、どういう訳か小人さんは一人として出て来てくれず、人件費削減で返品に回れるのは、バイト君一人が一日せいぜい3時間。そして何よりキツいのは、カテゴライズもへったくれも無い支離滅裂ごった煮的棚の、修正を任せられる人材が一人もいないという現実。「俺こっちやるから、その間にお前さんあっち頼むわ」ってなタッグマッチが一切不可能な孤立無援の四面楚歌は、さしずめ"一人リニューアル状態"。こんなんじゃ、店が潰れる前に俺の方がくたばっちまう......。

《甘ったれるなっ! ガンダムを任されたからには貴様はパイロットなのだ! この船を守る義務がある》
《い、言ったなぁ》
《こう言わざるを得ないのが現在の我々の状態なのだ。やれなければ今からでもサイド7に帰るんだな》
《やれるとは言えない......。けど、やるしかないんだ》

とかってガンダムごっこで現実逃避などしてみたが、よくよく考えてみると、実はこういう展開、俺は結構嫌いじゃないんじゃなかろーか? 例えば古くはウォルター・マッソー、テイタム・オニールの『がんばれベアーズ』。或いはチャーリー・シーンの『メジャーリーグ』にエミリオ・エステベスの『飛べないアヒル』、ジョン・キャンディの『クール・ランニング』に邦画だったら本木のモッくんと竹中直人の『シコふんじゃった』。そう、落ちこぼれの独立愚連隊が友情とチームワークで困難を乗り越えてゆくストーリーが、俺は何より好きなのだ。

 小説だったら、例えば須藤靖貴さんの『俺はどしゃぶり』(光文社文庫)なんて如何だろう? とある高校に新設されたアメリカンフットボール同好会。集まったのは一人残らず運動音痴のデブとガリ勉、ってな設定。『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子、講談社)みたいな"持てる者"たちの活躍も確かに胸が踊るけど、『どしゃぶり』の主人公たちは、「好きだ」という以外センスにも才能にも無縁の凡人ばかり。何しろ彼らの目標ときたら、「一度で良いからタッチダウンを決めてみたい」というレベル。そんな"一寸の虫"たちが見せる"五分の魂"を、話のついでながら力強く推しておきたい。

 っつー訳で、書店界のモリス監督こと俺は、脇目も振らずに本と棚を相手にひたすら格闘し続けた。孤独な闘いであったが、そもそもは俺自身の段取りのマズさから招いた事態だ。「認めたくないものだな。自分自身の、若さ故の過ちというものを(若くないけど)」などと呟きつつ、朝から晩まで働いた。そんな折に、とある編集者さんからメールが届く。

《WEB拝見しました。本当に色々と大変そうで......こりゃ飲むしかないっすね!!》

ってなお誘いはまぁ脇に置いといて、目からウロコだったのは次の一言。曰く

《自分のことを振り返ると、中学生までは30坪くらいの地元の本屋が私と本を繋ぐ唯一(といっていいです!)の場所でした。丸善も紀伊國屋もアマゾンも知らなくて、『りぼん』や『ジャンプ』を待ち焦がれて買いに走った本屋さんで、私は本の愉しみを知ったんですよー》

 と言われてみれば、俺も確かにそうだった。家から徒歩数分のそれこそ"30坪くらい"の名も無き本屋で、平気で数時間は立ち読みしてた。その店のおばちゃんは「座って読むと邪魔だから、立って読め」と、今から思えば、子供らの読書をオバちゃんなりに応援してくれていたのだろう。そこで俺は、どこの何てシリーズだったか忘れたが、例えば「織田信長」や「ライト兄弟」の伝記に夢膨らませたり、「シートン動物記」や「ファーブル昆虫記」を読んで将来は獣医になろうと決意したり、或いは当時始まったばかりの『ズッコケ三人組』シリーズ(ポプラ社)にハマッたり、気付いた時には、物語が無いと生きて行けない体質になっていた。

 そして思うのは我がA店。ここは確かに田舎だ。配本も少ないし、売り上げも小さい。が、近隣の少年少女にとっては、"生まれて初めて入った本屋"がウチなのだ。と言うことは、だ。その子らが本を好きになるのも嫌いになるのも、俺の店作りにかかっていると、下手すりゃそういうことにならないかい? こりゃあ責任重大だけど、俄かにモチベーションも上がってきちゃったよ。

 売り場面積も売り上げも巨大な都心の店で、目を回すような数を売って注目されて、自分のコメントが帯になったりパネルになったりして全国で展開される。そういうのが書店員の醍醐味だと、いつの間にやら考えていた。幸いそういう経験もこれまで散々させて貰った。それはそれで楽しかったし、無論勉強にもなった。けどね、全く異質の、例えば旗艦店に居た頃の俺には想像も出来なかったような種類のやり甲斐も、この商売には在るのかも。こんなこと言っても、かつての俺なら負け惜しみとしか受け取らなかったと思うけど、A店に来てそろそろひと月、何か、ちょっと、仕事が楽しくなってきたかも、俺。

 但し、そんな気持ちの仰角と売り上げのグラフは無論何の関連性も無く、9月が終わって一ヶ月後の成績は、見るも無残に真っ赤っか......。そりゃあさ、いきなり一ヶ月目からV字回復するなんて、思っちゃいなかったけどさ。やっぱりちょっと凹むよな。まぁ、来月また頑張ろう。悔しいけど、僕は、男なんだな......。

てなところで、次回『三歩進んで二歩下がる。膠着状態のA店戦線に未来はあるのか!?』を宜しく!

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