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第10章

弱小は弱小なりに天王山。 遂に成るか、念願の昨対クリア!?

夜と霧 新版
『夜と霧 新版』
ヴィクトール・E・フランクル
みすず書房
1,575円(税込)
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 師走年末歳の暮れ。我がA店の売り上げが謎の上昇気流に乗っている。原因の一つとして、単に昨年が悪過ぎたってのはあると思う。が、それにしても書籍120%は普通じゃない。一体どうしちゃったんだこの店は? 何か悪いもんでも食ったのか?

 好転してる以上素直に喜びゃ良いんだろうが、何しろあの荒廃振りを知ってるだけに、快哉よりも懐疑の方が先に立つ。棚割りも品揃えも当初に比べれば格段に良くなったとは言え、まだまだ理想と言うには程遠い。の割には、伸び方が派手だ。店の実力に比べて、調子が良過ぎる。俄かに訪れたこの活況が、束の間のバブルに思えて仕様が無い。勿論そんな懸念はおくびにも出さず、意気揚がる純平君たちに合わせてはいたが、胸の中では現在の快進撃をどうも今一つ信じ切れない。

 それでもこの度の好調をきっかけに、売り場創りのヒントめいたものは見つかった。

 その第一が《無い袖は振れぬ》の法則だ。巷の話題を独占しているような人気商品は、A店の如き弱小店にはほんの申し訳程度にしか入って来ない。出版社だって取次ぎだって、ボランティアではなく商売だ。売れてるところにより多く、というスタンスを責めはしない。ただその裏で、我ら地方弱小が積むぞ売るぞと気張ったところで、品物が無けりゃ売れる訳ないってのは自明の理。結果、自分の店では切らして久しい商品を、都心の大手がバナナの叩き売りの如くドカ積みしている光景を、指を咥えて見る羽目になる。

 そこで第二の法則。《明日の鯛より今日の鰯》。即ち、いつ入って来るんだか解らない売れっ子を当てにするよりも、確実に仕入れることが出来る商品を、きちんと売っていこうぢゃないか、と気が付いた。

《先の百より手前の五十》ってな言葉が在る。《聞いた百文より見た一文》なんて言い方もする。今が食べ頃お年頃の人気者たちがなかなか入って来ないからと言って、しょげてるだけじゃ始まらない。主役が無理なら脇役がある。クラス一の美人には手が届かなくても、一歩退いて見渡せば、<そこそこレベル>なら結構居たりするではないか。ってーのは喩えが悪かったかも知れないが、要するに、爆発的に売れる訳ではないけれどきちんと揃えておけばしっかり売れるという商品が、斜陽店舗復興の一つの鍵ではないかと思うのだ。

 ミステリーを中心とした所謂文芸書は、昨今文庫化がやたらと早いから確かに売り難くはなっている。が、もっと専門性が高いもの、例えば歴史、宗教、哲学、心理、自然科学、映画・演劇、伝統芸能etcは、前回もお話しした通り、仕入れた俺自身がビックリするほどよく動く。考えてみればこの手のものは、<出版社別、著者名五十音順>に並んでいる文庫より、内容に依って棚が分けられている単行本の方が、探し易いし類書との比較もし易いだろう。著者名なんかろくに知らない入門者なら尚更だ。

 で、これらの書籍の大半は、端数を丸めて乱暴に言い切ってしまえば、勢いは無いが息は長い。文芸の人気作家の新刊のように、発売と同時に大量に売れる訳ではないから、配本が少なかったり下手すりゃ無かったりした場合でも、慌てず騒がず、改めて注文すれば何とかなる。大量の注文が一気に殺到するというケースも稀だろうから、実績など無いに等しい弱小店でも必要な量を確保し易い。即ち、配本数の多寡がそのまま売り上げに直結する文芸書と違って、品不足による売り逃しが相対的に少なくて済む。

 仮に新刊時の追加が上手くいかず一時切らしてしまっても、商品自体のライフサイクルが長いから、挽回のチャンスは幾らでも在る。テレビで紹介されたり書評で取り上げられたりした話題書は、漸く追加が入ってきた頃にはとっくにブームは去っていて、積もうが盛ろうが見向きもされないなんてことがよくあるが、専門書の場合そもそもブームに乗じて売れてる訳じゃないから、<ブームが去る>という事態が在り得ない。やや暴論じみた言い方になるが、昨日今日少々切らして売り損ねても、来年の今頃だってきっとそこそこ売れている。

 但し、これらのジャンルで勝負するには、やっぱりそれなりに手はかかる。

 これまた随分と乱暴な言い方になるが、所謂一般文芸書の場合、余程のもの以外は、文庫化してしまえば置いておかなくても何とかなる。逆に言うと、ここ2~3年の作品だけ集めてしまえば、或る程度のものが揃ってしまう。ましてや売れ筋の人気作家の作品は出版社の数も限られてるから――恐らく10社から20社程度じゃないか?――品揃えは案外楽だ。

 それに対して、かなりの年数を遡っても、売れるものはしっかり売れるのが専門書。例えばヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』(みすず書房)などは、池田香代子さんの新約でさえ2002年の発行だが、ちょっとした<心理>の棚が在る本屋なら大抵置いてあるんじゃなかろうか。となると、だ。こういったジャンルの棚を作る場合、どれを置いてどれは諦めるといった判断の難しさは、とても文芸書の比ではない。

 また小説などは商品の配列も、せいぜいミステリーとそれ以外を分けるとか男性作家と女性作家を分けるとかいった程度で、基本的には著者名五十音順だから、正直余り頭も使わない。ところが専門書の場合は極端な言い方をすれば、『A』という本を『B』という本の右に挿すか左に挿すかという次元から、more betterを考え続ける羽目になる。当然手間もかかるし、一朝一夕には完成しない。

 が、しかし。だからこそ、やってて面白いし担当者による個性も出る。今日実行して明日効果が現れるような手軽なもんでは決してないが、続けりゃきっと武器になる。「配本が無い、追加が来ない」と不満を募らせているよりも、持ってる武器を最大限に活かした方が絶対賢い。

 そうやって無い脳みそ酷使して作り上げた棚から、ゴソッとまとめて5~6冊買ってくれるケースが、最近ポツリポツリと出始めた。それは売り上げだの前年比だの利益率だのっていう電卓の上の話ではなく、月100時間も残業しながら試行錯誤してきたことが、どうやらそう大きく間違ってはいないらしいという安堵感。自信が無くて恐る恐る提出した宿題に、思いがけず○を貰えた小学生の解放感。

 だもんだから、調子に乗って分類の見出しを一気に作成(本屋さんや図書館の棚に挿してある、著者名やジャンルを示すプレートね)。何しろかつてのこの店は、分類もへったくれも無く無秩序に放り込まれていただけだから、当然そんな洒落たもんが在る筈もなく、思い切ってラミネーターを買ってみた。ペラペラの透明なプラスチックに紙挟んで圧着させる、<パウチ>とかって呼んだりする奴。

 で、エクセルで枠作って文字入れてプリントアウトして切り抜いて、ラミネーターでパウチして、って作業を、休日も使って何時間やったかなぁ? 例えば棚3本使ってる<日本史>のコーナーだと、<日本史概論>だとか<古代史><中世史>だとかっていう中見出しが12個。<記紀万葉>だの<戦国武将>だの<江戸庶民事情>だのっていう小見出しが30個。

 これが我ながら素晴らしい出来で、写真を載せられないのが悔しいぐらい。言葉で説明するのは困難ながら、右から見ても左から見ても正面から見ても、著者名なりジャンルなりがはっきり読める。トータルで何百枚になったんだか数えてないが、店中に見出しを付け終わったら流石に壮観。お客さんにも「随分頑張ったねぇ」なんて言われて、久し振りにほっくほく。

 ところが、だ......。

 ♪人生~楽ありゃ苦~もあ~るさァ~ 今度はとあるバイト君に対するクレームが、直接本部に行っちゃった。更には資金繰りの問題から、問答無用の返品指示が......! 次回『今、そこにある危機! 非情の返品命令に、4ヶ月の苦労も水の泡!?』。乞うご期待。

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