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第5章

『三歩進んで二歩下がる。膠着状態のA店戦線に未来はあるのか!?』

小さき者へ (新潮文庫)
『小さき者へ (新潮文庫)』
重松 清
新潮社
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イチロー、聖地へ (文春文庫)
『イチロー、聖地へ (文春文庫)』
石田 雄太
文藝春秋
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 さて、10月だ。天高く、馬肥ゆる秋だ。食欲の秋でスポーツの秋で、そして何より読書の秋だ。個人的には、訳の分からん店卸し漏れに唖然とした着任初日から、早くも1ヶ月が経過したということになる。その間、埃と虫の死骸を相手に箒とモップを振り回し、配本の薄い新刊や欠本だらけの定番を発注しまくり、しっちゃかめっちゃかに棚に放り込まれた作品を分類し直し、続々と入荷する本の山を忍耐と根性で1冊1冊棚に差し、色褪せ半ば化石化した死に筋商品を返品しまくり、etc......。

 いやはや、怒濤の30日だった。自分で言うのもナンだが、よく頑張った。それが証拠にふと気が付くと、マスクが要らなくなっていた! 今まで何度か話した通り、ついこの間まで平台と言わず棚と言わず、商品を入れ替える度、棚板やストッカーを動かす度、もうもうと埃が舞い上がり、季節外れの花粉症患者の如くくしゃみと鼻水に悩まされていた筈が、いつの間にやらマスクを使わなくなっていた。まぁそれが当たり前っちゃ当たり前なんだが、自分の頑張りが無駄ではなかった証を見るのは、どんなに些細でもやはり嬉しいものである。

 が、成果らしい成果は恥ずかしながらそのぐらい。売り上げの方は、全てのジャンルで見事なまでに前年割れ。尤もこのご時世だ。前年割れの本屋など珍しくもないし、ましてや着任当月だ。俺の責任など殆ど無いと言って良いと思う。しかし、出し切れず返品し切れず、売り場に溢れかえった商品の山は誰がどう見ても俺の責任で、積み上げられたダンボールを視界の隅に捉える度に、うんざりしたり溜め息ついたり。そして俄かに兆してきたのは、「本当に俺にやれんのか......」という不安。

〈仕事の量〉に対して単純にビビッている、という面は、確かにある。頼りになるスタッフが周りに居らず、孤軍奮闘せざるを得ない辛さも無くはない(純平君始めアルバイトも皆、士気旺盛なのは嬉しいが、如何せん知識も経験も浅過ぎる)。が、そのぐらいの障害なら、これまでにも似たようなことは何度かあった。多少の程度の差はあれど、未知のハードルという訳ではないし、「どんなに大変な仕事でも、いずれは終わる」ってのは、体験的に知っている。だから、それだけだったら少々焦ったり苛立ったりすることはあっても、本気で不安になったりはしない。

 然るに、どうしてこうも落ち着かないのか。その原因を、俺は珍しく真面目に考えてみた。思えば自らの不安を見つめ直すなど、十九、二十歳の頃以来ぢゃなかろうか。但し若い頃は、不安を感じつつもどこかで自分の未来を信じていられた。「俺、このまんまで良いのかな......」、「俺の人生、この先一体どうなるんだろう......」などと心が揺れ動いている最中にも、「なんだかんだ言っても、結局どうにかなるだろう」ってな自信を、根拠の無いままにどこかで持ち続けていられたのは、言わば若さの特権だろう。が、流石に今は、そう能天気には構えてられない。おいそれと、簡単にやり直しが効く歳では、残念ながらもはやないのだ。

 ってなことを考えてたら不意に1冊思い出したんで、いつもの如く、ここで話はやや逸れる。重松清さんに「三月行進曲」という短編が在る(『小さき者へ』(新潮文庫)所収)。少年野球の監督が、仲違いしてしまったチームのバッテリーを甲子園に連れて行くという話だが、その監督が実に上手いことを言っているので紹介したい。

《少年時代の僕が思い浮かべる「もしも」は、ほとんどすべてが未来の話だった。どんなに夢のような「もしも」でも、それが現実になる可能性は、決してゼロというわけではなかった。
 いまは違う。未来に「もしも」の入り込む隙間はどんどん小さくなってしまい、代わりに過去を振り返ると「もしも」の分かれ道が無数にある。「もしも」を思うと、胸が高鳴るのではなく、締めつけられる》

あ、痛タタタ......と、30も半ばを過ぎると思うよね。

 話戻す。兎に角、だ。生来傲慢で自信過剰気味な俺が何故にこうも不安になるのか、考えてみたら案外すぐ答えが出たよ。〈上が居ない〉からだ、多分。

 本屋さんになった12年前から今日まで、配属された幾つかの店舗で様々なジャンルを任されてきたが、その間常に、アグレッシブな担当だったと自分自身では思っている。勿論どの世界にも上には上がいるもので、「この店には敵わねぇ」と降参したことも一再ではないのだが、それでも俺は俺なりに、〈他とは違うフェア〉、〈他とは違うディスプレイ〉、〈他とは違う仕掛け〉を、考え続けてきた自負はある。

 だがそれも、「責任は俺が取るからやってみろ」と、一切を背負い込んでくれた先輩が居たからなのだ。或いは、「書店員の醍醐味は、棚!」などと嘯いて俺が売り場にかかりっきりになっているその陰で、地味な書類仕事だの本部との交渉だのを、黙って引き受けてくれていた上司が居たからなのだ。そういう存在があったからこそ、俺は売り場で自由に動けた。「殺してやりたい」と思う上司も中には居たが、12年間を四捨五入してみれば、間違い無く俺は上司には恵まれた。

 ところがA店々長としてのこれからは、そういう存在は居ないのだ。その心細さだろう、この度の動揺の正体は。

 加えて、本部の意向が読めないことが、更に不安に拍車をかける。即ち、本部はA店をいつまで生かしておく心算なのだろう?

 A店の売り上げなど、全社的に見ればはっきり言って微々たるもんだ。と言う以上に恐らくは、在っても無くても大差無い。しかも1円でも利益が出ていればまだしも、万年赤字のお荷物店舗だ。そんな弱小店を、本部は一体どうしたいのか? 無論黒字にさえなれば、少々利益は小さくとも運営は続けていくのだろうが、そうなるまでにどの程度の期間を見込んでいるかが問題だ。流石に2ヵ月や3ヶ月ということはないとは思うが、ならば〈来期の店卸しで不採算なら撤退〉なのか、〈3年後の黒字化〉を目指しているのか、それとも〈半年後〉がリミットなのか、etc。それが分からないから、こちらもどうにも落ち着かない。

 ここまでガタガタに崩れた店を、誰がやってもそう簡単に立て直せる筈がないとは思う。焦っても仕様が無いし、じっくり腰を据えて取り組んで行きたいとも考えている。が、果たして本部もそう思っているのだろうか? 実はもう既に、〈最後の審判〉への秒読みが、始まっていたりはしないのだろうか? 考えても答えの出る訳はないこんな疑問が、考えまいとしてもふとした拍子に脳裏を過ぎる。

 そんな精神状態で付き付けられた〈9月前年割れ&当然赤字〉という現実は、精神衛生上やはり大変宜しくなく、悲観的かつ否定的に、どうしても思考が傾いていってしまう。「このまんま、ずーっと赤字だったらどうしよう」とか、「店舗閉鎖したら、そこの店長ってどんな扱いになるのかな......」とか、「諸々の事情なんか知らない人は、〈店、潰した店長〉ってな見方しかしないんだろうな......」とか、etc、etc、etc......。もう後ろ向き&ネガティブのオンパレード。

 話がいきなり跳ぶようだが、マリナーズのイチロー選手の凄さを俺が実感するのは、こんなマイナス思考の時である。スポーツジャーナリストの石田雄太さんは、『イチロー、聖地へ』(文春文庫)の中で、イチロー選手の次のような言葉を紹介している。曰く、

《かつて、自分に与えられた最大の才能は何だと思うか、とイチローに聞いたことがある。彼は「たとえ4打席ノーヒットでも、5打席目が回ってきて欲しいと思える気持ちかな」と言った》

凄いよね。バランス感覚でもなく、動体視力でもなく、身体の柔らかさでも体幹の強さでもなく、《たとえ4打席ノーヒットでも、5打席目が回ってきて欲しいと思える気持ち》! ならば俺は、「たとえ4ヶ月前年割れでも、5ヶ月目が回ってきて欲しい」と、無理でも自棄でも考えよう。そもそも店を活かすか潰すかなんて、俺に決定権がある訳じゃなし、幾ら考えても時間の無駄だ。今はただ、9月が前年割れだったら10月、10月も前年割れだったら11月を、黙って見つめて進んで行こう。「落ち込むんなら、深く短く」だ。

 と、持ち前の単純さで実にアッサリ立ち直りかけたまさにその時、商品管理部からかかってきた電話......。もう受話器からマイナスオーラが溢れ出てるのが見えるくらいに、「絶対ェ厭な話だ」と覚悟して、「お電話代わりました、店長のケン46です」と出てみたら、先方のナントカ部長、開口一番、「A店さん、9月、逆送品多いから注意して」だそうだ。

〈逆送品〉。業界関係者以外の方の為に極大雑把に説明しておくと、〈返品出来ない商品〉を誤って返品してしまった場合、返品不可能品として送り返されてくるのである。どういったものが〈返品出来ない商品〉なのかは様々なパターンがあって煩雑になるのでここでは端折るが、その〈逆送〉された商品については、定価に応じた手数料を書店側が取次ぎに支払う決まりになっている。即ち、A店は〈逆送〉された商品が多くて手数料が無駄であると、部長殿はそう仰っている訳だ。

 それは認める。確かに、毎日毎日、注文品に混じって必ず逆送品が入ってた。だがな、それは全て前任者から引き継いだショタレで、俺がそれを減らすのに如何に苦労しているか、そして、どうにかこうにか返品出来てしまった死に筋も決して少なくない点を、もう少し考慮してくれても良いんでないかい? 折角人が、無理してモチベーション上げたのに、何故こうやって引っ張り下ろそうとするのかなぁ? ってなことを幾ら訴えたところで、十中八九理解はして貰えないだろうから、ここは素直に謝っておく。「ハイハイ、無能でスミマセン。以後気を付けます」。

 はぁ、やれやれ。「なんだかドッと疲れたぞ」などと一人ごちつつ品出ししてると、「ケン46さん」と再び誰かが俺を呼ぶ。頼むよ、忙しいんだからさぁ、と内心ぶつくさ言いながら振り向くとそこに居たのは、知り合ってからかれこれ7〜8年、俺に語学書のいろはを教えてくれたD社のS氏ではないか!? 「どうし
たのよ、こんな辺鄙なところまで」と挨拶も抜きに驚く俺に、「いやぁ、A店に異動されたと聞いて、いきなり行ったらウケるかなと思って」って、アンタそんなことの為にわざわざ......。恐らく会社から、軽く2時間はかかったでしょうに......。「いやぁ居てヨカッタ。これでケン46さんが休みだったら、何しに来たのか分からないとこだった」などと笑っているS氏のお蔭で、先程までのささくれ立った気分は雲散霧消。折角来てくれたのにゆっくり話す時間も無かったのは残念だけど、落ち着いたら久し振りに、一度ゆっくり飲みましょう!

 ってな約束をして別れた直後、再び鳴り出した電話は経理部から。無論、経理部が〈誉める〉為にわざわざ電話してくる筈はなく、出てみりゃ案の定、月次報告書の記入漏れだそうである。「あ゛〜もうっ、今になってガチャガチャ言うくらいなら、最初にきちんと引き継ぎしてくれよッ!」とは思ったが、大人な俺はそんな不満はお首にも出さず、「ハイハイ、ドーモスミマセン」。

 お蔭でまたまた気分をザラつかせたまま、自棄っぱちのような仕事をしていたら、おやおや、今日はなんだかいろいろあるな。今度は、かつて同じ店舗に勤めていたさおり女史の登場だ。「お疲れ様です」と差し出されたその手には、買ったばかりのハンディモップ。女史曰く、「WEB見て、モップなら幾らあっても困らないだろう」という、粋なんだか野暮なんだかよく判らない差し入れだ。だけどお蔭で塞いだ気持ちが随分晴れたぞ。そちらも何かと大変みたいだが、お互い頑張ろうではないか。史上、止まなかった雨は一度も無いのだ。

 ってな感じで、我が〈A店ライフ〉は2ヶ月目も相変わらず浮いたり沈んだり、激しくドタバタしそうな気配である。次回は『弁慶の泣き所、アキレウスのアキレス腱、そして遂に露見したケン46のウィークポイント!』。応援宜しく!

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