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中原 紀生の<<書評>>


ハグルマ
ハグルマ
【角川ホラー文庫】
北野勇作
定価 620円(税込)
2003/3
ISBN-404369301X
評価:D
 現実(夢や幻覚)が虚構(ゲーム)に取り込まれ、再び現実(肉体感覚)に送り返される。この果てしない繰り返しのうちに無数の可能世界(ストーリー)が分岐し、イジェクトもリセットもできない入れ子式の無間地獄が延々と続いていく。「ハグルマ」と名づけられた開発中のゲーム(「プレイヤーを催眠状態にまで導き、その当人のなかにある夢や幻覚を掘り出してみせるゲーム」)にはまった男の悪夢の世界を描いた作品。歯車とは「ある規則で動いている世界に、別の軸の世界からの力を伝える仕組み」のことで、人間の意識の比喩である。世界の「すべてに意味があり、それらは互いに作用しながら連動し、ひとつの仕組みを作っている」のではなくて、「ほんとうはすべてがばらばらで、人間の意識がそれらを無理やり噛みあわせ繋げている」。この中学生でも考えつきそうな、だからこそ「肉体感覚」に根ざした真正の哲学の問題がそこから立ちあがるはずのアイデアに、作者が心底リアリティを感じていれば、もっと迫真の恐怖を描くことができたろう。カバー裏に「『ドクラ・マグラ』的狂気の宴」と書いてあったが、誇大広告だ。

カフェー小品集
カフェー小品集
【小学館文庫】
嶽本野ばら
定価 500円(税込)
2003/4
ISBN-4094080147
評価:A
 京都の大学生だった頃、行きつけの名曲喫茶があった。白川通と今出川通が交差するところ、銀閣寺道駅で市電を降りて南に少し下った西側に「ゲーテ」という名のその店はあった。小津安二郎の映画(たしか『麦秋』)に端役で出たという年輩の店主がいて、めったに口をきくことはなかったけれど、ほぼ毎日通ってはバッハの無伴奏チェロ組曲をリクエストして、好きな本の抜き書き帳を作ったり、ついに仕上げられなかった小説の書き出しの部分をいくつかノートに書きつけたりもした。そうした古いカフェー(「カフェ」でも「喫茶店」でもない)に長時間いすわっていると、確かに、何かしらこの世に実在したとは思えない出来事の記憶が甦ったり、ありもしなかった恋愛の早すぎた一部始終が思い出されたりする。この「エッセイ集とも短編小説ともガイドブックともとれない不思議な小品集」(作者の言葉)は、小説が生まれる現場(孤独に耽るための場)をフィクションとノンフィクションの両面から余すところなくとらえた、忘れがたいシャレた味わいと「実用性」を兼ね備えた短編集だ。

IX(ノウェム)
IX(ノウェム)
【電撃文庫】
古橋秀之
定価 557円(税込)
2003/2
ISBN-4840222762
評価:B
 「ゲーム小説」というジャンルがあるんですね。私には未知の世界ですが、こんどはじめて読んで、このいかにも作り物の世界がけっこう面白かった。ちょっと唐突ですが、かの「教養小説」が、一つの人格が徐々にビルドされていくプロセスを追体験して、主人公への感情移入を楽しむロマンだとすれば、この作品など(「工学小説」と名づけておきましょうか)は、あらかじめ輪郭づけられた複数のキャラが、取り替え可能なシチュエーションのなかで絡み合い織りなしていくストーリーそのものを純粋に消費しながら、作者との共同作業でもって架空の背後世界を想像していく、かなり抽象度の高いプロセスを楽しむノベルなんだと思いました。「背後世界」とは無数の物語を生み出すデータベースのことで、ロマンにとっての実社会や神話的世界がもつ濃密なリアリティとは違って、いまたまたま上演されている筋書きがそこ(データベース)から切り出された一つのストーリーでしかないことを観客(読者)に指し示す、歌舞伎の書き割りのような希薄なリアリティを纏っています。こういった作品を読者に受け入れられるように書くには、かなりの才能が必要でしょう。

宮殿泥棒
宮殿泥棒
【文春文庫】
イーサン・ケイニン
定価 720円(税込)
2003/3
ISBN-4167661306
評価:AA
 一瞬の気の迷いで、美しいけれど浪費癖のある妻と結婚した中年会計士の、成功した友人をめぐるありきたりの苦悩とささやかな、でもきっと激しく胸震わせたに違いない一時の快哉を淡々と描写する客観的な筆致(「会計士」)。妻に去られた男の、痛ましくはあるけれど同情に値しない孤独と、一人息子とのつかの間のふれあいや微妙なすれ違いを綴った、ほろ苦くて透明な哀しみが漂う絶妙な筆遣い(「傷心の街」)。老教師の小心きわまりない心の葛藤を戯画的に描く、嗤いや嘲笑、ましてやシニカルな冷笑でもない、かといってほのぼのと温かくもない乾いたユーモアを湛えた文体(「宮殿泥棒」)。──「人格は宿命だ」(ヘラクレイトス)。本書には、この二千年前の賢者の言葉を通奏低音とする、四つの見事な中編が収められている。短編小説の中でキラリと光るには月並みすぎるし、長編小説の主人公たるには心理的屈折のスケールが小さい。中編小説は、そんな凡庸な人物の凡庸な内面を観察するのにちょうどいい長さだ。

私の嫌いな10の言葉
私の嫌いな10の言葉
【新潮文庫】
中島義道
定価 420円(税込)
2003/3
ISBN-4101467226
評価:A
 『孤独について』を読んで以来、怒れる哲学者(イカれた哲学者ではない)中島さんのエッセイのファンになった。中島さんは押しつけがましい「共同体」を嫌う。言葉がまともに通用しない「世間」や「集団主義」を断固拒否する。「私ははっきり語ること、それを文字通り信じることに(大げさに言えば)命を懸けたいのです」。本書に出てくるこの言葉は、かつて『哲学の教科書』で示された哲学の定義──「あくまでも自分固有の人生に対する実感に忠実に、しかもあたかもそこに普遍性が成り立ちうるかのように、精確な言語によるコミュニケーションを求め続ける営み」──にぴったりと重なり合っている。つまり、哲学的問題と格闘することは、人生に対する態度の変更・決定の試みにほかならないということだ。(でも、こんな生き方は疲れるだろうし、周囲の人間はたまったものじゃないだろうな。)本書には、中野翠さんや塩野七生さんへの、まるで女神を敬うような純情なまでの賞讃の言葉や、含羞の人(?)中島義道の言い淀みがいっぱい出てきて、とてもいい。宮崎哲弥さんの「解説」もいい。

エロ街道をゆく
エロ街道をゆく
【ちくま文庫】
松沢呉一
定価 819円(税込)
2003/2
ISBN-448003787X
評価:B
 「死んでもいい」とまで思わせる性的快楽って、いったい何なんだ。それが実はよくわからない、というのが松沢さんの答えである。「性的快楽というのは、それ自体無条件に成立するものではなく、非常に精神性が強く、あいまいなものでさえあることがわかる。実は性的快楽の実体さえもわかっていないのが我々の科学というものだ」。だから、性的快楽とは何か(性科学)は、実験室での観察や書斎の思索ではなくて、妖しげで蠱惑的な横丁での、自分自身の器官と皮膚と前立腺をつかった実験(実地の体験)によってしか究めることはできない。ここに、風俗ライター(エロライターとも)としての松沢さんの方法序説が高らかに宣言されている。(「我勃起する、ゆえに我あり」?)──ジョルジュ・バタイユは、「死は涙に結びついているが、性欲は時として笑いに結びついている」(『エロスの涙』)と書いている。この「涙」と「笑い」こそ、本書にもその名が出てくる代々木忠さんの不朽の名著『プラトニック・アニマル』の世界に通じる、松沢さんの文章の潔さのゆえんなのだが、ここでバタイユなど引用したのは評者のテレ以外の何ものでもない。

停電の夜に
停電の夜に
【新潮文庫】
ジュンパ・ラヒリ
定価 620円(税込)
2003/3
ISBN-4102142118
評価:AA
 短編小説を読む愉しみのすべてが凝縮されている。(といっても、「短編小説を読む愉しみのすべて」を語れるだけの経験があるわけではないけれど。)なんといっても、文章がきりりと引き締まっていて、人物の陰翳がくっきりと描き分けられている。無駄はないのに、何かしら語り尽くせぬ余剰があり、それが深い余情となって読者の脳髄のなかでひとつ鮮烈な像を結ぶ。幸田露伴は、俳諧とは「異なったもののハルモニイ」だと語った。短編小説を読むということは、たぶんそういうことなんだろうなと思う。(もちろん、俳諧と短編小説とでは文学的感興の種類は違うけれど。)──収められた九編は、いずれも絶品。個人的には「セクシー」が印象に残った。「セクシーって、どういう意味?」「知らない人を好きになること」。少年のこの答えは、ミランダの「素肌の下へしみこむような言葉だった。デヴの言葉もそうだったが、いまは火照るというよりは冷たく麻痺しそうだった」。たった一つの言葉で、不倫の愛の始まりと終わりを語り尽くす。こんな鮮やかな短編は、これまで読んだことがない。

ドリームキャッチャー
ドリームキャッチャー(1~4)
【新潮文庫】
スティーヴン・キング
定価 620円~700円(税込)
2003/2~2003/3
(1)ISBN-4102193278
(2)ISBN-4102193286
(3)ISBN-4102193294
(4)ISBN-4102193308
評価:C
 世界はあらかじめ夢見られている。ある科学哲学者の言葉だ。でも、もしそれが悪夢だったら? たとえばエイリアンが侵略して、人類が滅亡の危機に瀕するといったような。大丈夫、そんな時のためにドリームキャッチャーがある。それはアメリカのネイティブに伝わる魔よけで、「撚り糸を蜘蛛の巣状に編んだだけのたわいもない代物」のこと。この作品は、四人の幼馴染みと彼らの共通の友人が、人類の厄災をふりはらうドリームキャッチャーとなって、死を賭してエイリアンと闘う友情巨編である。「四本の紐には数多くの横糸が結びつけられているが、四本をつなぎあわせているのはあくまでも中心だった。四本は、中心の核の部分で融合しているのである」。──作中、印象的な言葉がある。「加速の度合いがある段階を過ぎると、あらゆる旅は時間旅行に変わる。そして、あらゆる旅の基盤は記憶だ」。それはこの作品自体にも言えることで、しだいに緊迫する三つ巴の追跡劇の「加速」とともに、五人の少年たちの秘められた「記憶」が明らかにされていく。物語のこの二重構造にうまく乗れたなら、読者は深い感動を味わうことになるだろう。残念ながら、私は乗れなかった。

イエスのビデオ
イエスのビデオ(上・下)
【ハヤカワ文庫NV】
アンドレア・エシュバッハ
定価 840円(税込)
2003/2
(上)ISBN-4150410305
(下)ISBN-4150410313
評価:B
 考古学アドベンチャーにタイムトラベルもののSFと神学ミステリーの風味を加味した、なんとも豪華で贅沢な趣向が凝らされた読み物。2000年前の人骨といっしょに発売を3年後にひかえたソニーのビデオカメラの取扱説明書が発掘されるという奇想天外なオープニングにはぐっときたし、後日譚で明かされるイエスの真実(ここの部分をもっとふくらませて、緻密に伏線も張って書いていれば、未聞の宗教エンターテインメント小説に化けたかもしれない)や、歴史と物語を一気にふりだしにもどすエンディングの余韻にはすてがたいものがあった。なによりヒーロー(ベンチャー・ビジネスに長けたアメリカの冒険野郎)とヒロイン(気が短くてスタイル抜群のイスラエルの格闘少女)がけっこう魅力的だった(シリーズ化に期待)。でも、肝心の活劇部分がやや物足りなくて、ヒーローとヒロインの恋と冒険の顛末も消化不良のまま。億万長者のメディア王や教皇付きマフィアといった悪役・敵役にも凄みと知謀が欠ける。せっかくの素材が旬の味を十分いかしきれないまま盛りつけられた料理を食したような欲求不満が残る。

夜鳥
夜鳥
【創元推理文庫】
モーリス・ルヴェル
定価 735円(税込)
2003/2
ISBN-4488251021
評価:A
 チャップリンとヒッチコックが一緒になったような感じ。あるいは、チェーホフの初期短編とポーの作品をあわせ読んだような感じ。乞食や売春婦、役人や集金人や犯罪者といった市井の無名者たちの生の一断面が、「恐怖美、戦慄詩」(夢野久作の評言)を湛えた31篇のコントのうちに丹念に採集され、人間心理と都市の闇に潜むものへの鋭敏な感受性をもったモーリス・ルヴェルの、ゾクゾクする語り口によってホルマリン漬けにされている。この独特の味わいは、どこか少年時代の読書体験を思わせる。──私の愛読書、橘外男や夢野久作の世界にしっかりとつながった、懐かしさを感じさせる田中早苗の翻訳が実にいい雰囲気を醸しだしている。巻末に付された小酒井不木や甲賀三郎や江戸川乱歩、等々の『新青年』作家たちの文章もいい。本邦ミステリーの原典とも言うべき珠玉の書物。