年別
月別
勝手に目利き
単行本班
文庫本班

中原 紀生の<<書評>>



白い薔薇の淵まで
白い薔薇の淵まで
【集英社文庫】
中山可穂
定価 460円(税込)
2003/10
ISBN-408747626X
評価:A
 女性作家の手になる官能小説(性愛小説)には、それがよく出来た作品であれば必ず、文章の力によって文章表現を超えた底知れぬ愉悦の世界が克明に描写されていて、読むたびになにやら血なまぐさい感覚にとらわれ、分別分離を旨とする青白い理性が自己崩壊の恐怖に慄えるのが常だ。といっても、とっさには小池真理子さんの名前くらいしか浮かばないのだけれど。初めて読んだ中山可穂の山本周五郎賞受賞作品は、まるで完璧なホラー小説家かなにかのように、生理の奥深くに働きかけてきて、名状しがたい不安な残像を刻印していった。それがあの山本周五郎の名にふさわしい世界だったのかどうか、ちょっとほほえんでしまうような気がしないでもないが、ジャン・ジュネの再来と賛辞を与えられた新人作家・山野辺塁の像は、鮮烈だがどこか紋切型で、この鋭いまでの凡庸さこそがこの作品の真骨頂なのかもしれない。

きみは誤解している
きみは誤解している
【集英社文庫】
佐藤正午
定価 600円(税込)
2003/10
ISBN-4087476294
評価:B
 一人称、三人称、エッセイ風と、自在で達者な語り口による六つの短編に、用語解説と後書きを兼ねた「付録」がついた作品集。「きみは誤解している」という表題作のタイトルから、『Y』や『ジャンプ』につながる時間分岐譚の趣向を帯びた、苦く切なく哀しく清しい恋愛小説の連作を想定していたのだが、その期待をあっさりと裏切る競輪小説集で、でもそれはそれで結構、楽しめた。ギャンブルという濃い人間臭の漂う場面で綴られた男と女、男と男の物語はいずれも鮮やか。個人的には、なんとなく太宰治を思わせる「この退屈な人生」が好み。「遠くへ」に登場する阿佐田哲也の言葉が深い。「あんたはいつも独りぼっちだ、勝っても負けても独りぼっちだ、誰にも当たったことを自慢できないし、はずれたことで誰にも愚痴をこぼせない、それがギャンブルの世界のルールだ。」

国境
国境
【講談社文庫】
黒川博行
定価 1170円(税込)
2003/10
ISBN-4062738600
評価:B
 ヤクザを父親に持つ建設コンサルタント二宮と、真正のヤクザ桑原のコンビが、詐欺師を追って二度の北鮮行きを敢行する前半は、冒険小説としてよりもむしろ一種の情報小説として出色の出来映え。たとえば北朝鮮の人民は三つの階層に分類されていて、それは平壌に住める「トマト階層」(皮も身も赤い)と山間奥地や僻地に住む「ぶどう階層」(皮も実も赤くない)、それからこのどちらにも属さない「りんご階層」(皮は赤いが中身は白い)の三つだとか、平壌にも日本のヤクザに似た人種がいるとか、雑学的知識も織り交ぜながら、「パーマデブ」が支配する異様な国の実態をリアルに描いている。後半は、関西を舞台にヤクザや詐欺師、実業家に政治家、悪徳警官が入り乱れてのアクションもので、それはそれでスピーディで心地よい読み物なのだが、でもやっぱり前半との間に微妙なミスマッチがある。でも、たっぷり二冊分読んだと思えば、それはほとんど気にならない。

密林
密林
【角川文庫】
鳥飼否宇
定価 580円(税込)
2003/10
ISBN-4043731019
評価:C
 昆虫採集家が主人公の沖縄を舞台にした密林アドベンチャー。少年の頃、夢中になって読んだファーブル昆虫記の興奮と、大アマゾン探検記のハラハラドキドキを期待して読み始めたのだけれど、いまひとつ気分が高揚しない。構成と文体に、いくばくかの美学的緊張は漂っている。が、自然であれ人物であれ、描写の密度、濃度のようなものが足りない。ところどころに挿入された言葉遊び、というか活字遊びにも必然性が感じられない。作品世界の内圧が高まって、思わず筆が迸ったかと納得させられるだけの過剰がない。財宝の在処を示す暗号解読の趣向は、うまく溶け込んでいたならばきっと作品の魅力を高めただろうが、かえってわずらわしくて興を殺ぐ。

あかん
あかん
【小学館文庫】
山本甲士
定価 670円(税込)
2003/11
ISBN-409408021X
評価:B
 こてこての関西弁が飛び交うなかで、ヘタレなちんぴらたちの情けない「活躍」が、どこかあきらめ顔で突き放したような乾いた文体をもって淡々と語られる。心をうち感動をさそうエピソードがあるわけでもないし、ましてや生きる勇気を与えてくれる爽快な人間が登場するわけではない。どうしようもなく卑俗で、愚かで、つきあいきれない連中の生態が、標本のように六つ並んで、事例研究よろしくただただ記録されている。彼らの滑稽で惨めな末路が、けっして涙はそそらないものの、一抹の哀れはそそる。ただそれだけの、どうということはない読み物なのだが、山本甲士の文章には、落ち着きがあって無駄がない。だから、読ませられてしまう。

マルドゥック・スクランブル
マルドゥック・スクランブル
(The first, The second, The third)
【講談社文庫】
冲方丁
The first: 定価 693円(税込), 2003/5, ISBN-4150307210
The second:定価 714円(税込), 2003/6, ISBN-4150307261
The third:定価 756円(税込), 2003/7,ISBN-415030730X
評価:B
 これは少女と敵と武器についての物語である。作者は後書きにそう書いている。今月、同時に読んだ『黄金の羅針盤』は11歳の「お転婆」な少女が登場するファンタジーで、考えてみるとこの作品もまた少女と敵と武器についての物語だった。この「別の世界」に住むライラにはパンタライモンというダイモン(精霊)と「真理計」が寄り添っていて、マルドゥック(天国への階段)の少女娼婦・ルーンにはウフコックという万能兵器(魂)が装着されている。そして、神学的意匠と科学技術で身を固めた見えない敵。少女・敵・武器の三つのアイテムがそろえば、そこに戦いが生まれる。作者はこの作品で、純粋戦闘ともいうべきものを描写した。文字通り肉体を賭けた戦闘と、カジノのギャンブル(ポーカー、ルーレット、ブラックジャック)を通じた抽象的な戦闘。「我々が生きていること自体が偶然なんだ。…偶然とは、神が人間に与えたものの中で最も本質的なものだ。そして我々は、その偶然の中から、自分の根拠を見つける変な生き物だ。必然というやつを」。冲方丁は、皮膚に直接はたらきかけてくる特異なイメージと硬質な文体を駆使して、未聞の世界を予感させる作品を書き上げた。そして、物語的予定調和(たとえば成熟)を破壊し尽くす、その一歩前で逡巡している。

黄金の羅針盤
黄金の羅針盤(上・下)
【新潮文庫】
フィリップ・プルマン
定価 (各)620円(税込)
2003/11
ISBN-4102024115
ISBN-4102024123
評価:A
 自然界には未知の力があって、それは人間とその人間にぴったり寄り添うダイモン(精霊)とを結びつけている。その力を解放してコントロールできたら、この世界をすっかり変えてしまうことができる。それどころか、この世界とは違う。もう一つの宇宙にだって移動できる。そうした魂の力ともいうべきものをめぐる「実験神学」(上巻第1部第3章)と、異端の神学者たちによるパラレル・ワールドの存在証明(下巻第3部第21章)とが、この物語の世界をかたちづくっている。それは善悪を超えた真実で、真実を知ること、つまり知識を獲得することは、それ自体、善悪を超えた一つの戦いである。だから、その戦いの中で血を流し、皮膚を破かれることは、けっして残酷な出来事ではない。ライラの冒険を読むことの楽しさは、真実を知ることにあるのではなくて、真実にいたるプロセスそのものを追体験することにある。優れたファンタジーは、物語を読む喜びそのものを純粋に表現している。小谷真理さんの解説「楽園探検の手引き」が見事。

殺人豪速球
殺人豪速球
【二見文庫】
デイヴィッド・フェレル
定価 870円(税込)
2003/10
ISBN-4576031740
評価:C
 1918年の優勝以来、ワールドシリーズでの勝利から見放されてきたボストン・レッドソックス。世に言うバンビーノ(ベーブ・ルース)の呪いだ。しかし、今年のレッドソックスは違った。時速110マイルを超える剛速球投手ロン・ケインを得て、ついにその呪縛から解放される時を迎えた。対するは、かの石井一久を擁するロサンジェルス・ドジャース。3勝3敗で迎えた最終戦。延長15回裏、2点差、2アウト、ランナー1、2塁の最終局面。殺人容疑から解放された監督は、ケインを代打に指名する。その時、ボストン警察は連続殺人事件の犯人逮捕に向かっていた。──この最高に盛り上がるラストシーンで手に汗握れるかどうか。それがすべてで、私はだめだった。痛快野球小説と猟奇殺人ミステリーが、まるで異物のように最後まで噛み合わなかった。

冷たい心の谷
冷たい心の谷(上・下)
【ヴィレッジブックス 】
クライヴ・バーカー
定価 (各)893円(税込)
2003/10
ISBN-4789721353
ISBN-4789721361
評価:C
 狡猾だが愛らしい二つの目をもったルーマニアの美少女は、ハリウッドの超売れっ子女優に成長した。コールドハート・キャニオン(冷血峡谷)と呼ばれる郊外のその屋敷は、古い修道院から部屋ごと買い取られたタイル画が敷き詰められていた。そこには、悪魔の妻リリスがつかさどる淫猥で無惨な地獄の世界が描かれていた。──この物語の発端は、ふるいつきたくなるほど蠱惑的で、その後に続く異形の怪物たちが跋扈する夢魔の世界の出来事はおぞましくも印象的(「死者とのセックスがこういうものだとしたら、人生にはまだ学ぶべきことがたくさんある」)。でも、いかんせん登場人物たちにからきし魅力がないので、心底陶酔できない。

ブコウスキーの酔いどれ紀行
ブコウスキーの酔いどれ紀行
【河出文庫】
チャールズ・ブコウスキー
定価 893円(税込)
2003/10
ISBN-4309462332
評価:A
 ブコウスキーの作品は以前『町でいちばんの美女』を読んだきり。あの時はとにかく圧倒されて、こんなとてつもない短編を量産するブコウスキーはなんと凄い奴だと感嘆した。なんの物証もない物言いだけれど、もし現代のチェホフの呼び名に値する作家を一人挙げるとすれば、それはきっとこの人だと思った。本書にはそのブコウスキーが生出演して、コクのある言葉(たとえば「同じ歌は何度でも聴くたびによくなっていく可能性があるのに、同じ詩は聴くたびにどんどんひどくなっていくだけだ」とか)をたっぷりと書き散らしている。「わたしたちは飲んで、食べて、飲んで、飲んだ。誰もがぜいたくに暮らしていて、この世に存在することはただのジョークでしかないようだった。」この文章に、本書は凝縮されている。マイケル・モントフォートの写真がいい。ブコウスキーのスプートニク(旅の道連れ)、リンダ・リーがいい。中川五郎の訳者あとがきもいい。だけど、町田康の解説は要らない。