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磯部 智子の<<書評>>


雪の夜話
雪の夜話
【中央公論新社】
浅倉卓弥
定価 1,575円(税込)
2005/1
ISBN-4120035840
評価:C
 う〜ん、この作品は困った。感傷と自己憐憫と癒しと再生が一冊の本に全て詰まっている。皮肉ではなく、試練のない人生も又辛いもんだなぁと思う。繊細なのか鈍感なのか少年のような25歳の主人公が、東京での生活に疲れ故郷に戻る。えっ?その程度の事でと思うが本人にとっては重大事。何も欠落の無い家族と一緒に、深刻な価値観の対立を経験せず過ごした少年時代。それならそれで唯我独尊決め込んでやり過ごす方法もありだと思うのだが彼には出来ない。大人には見えない雪女の(とはチト違うが)雪子さんを見ることが出来る純粋な男は、一方では頑なで人の気持ちに鈍感。自分は善だから正しいという思い込みは人との相互理解を困難にするし、自分自身をも見失う。そんな彼を雪子さんと妹の夏子がガンガン叱り飛ばす。雪子さんは見えても生きた人間の事が何一つ見えなかった人間が徐々に変わっていく。一方、魂だけの雪子さんも他者との関わりを選択する決心をする。はかないイメージとは程遠い理詰めの雪子さんが面白い。ところでこれはいい話なのか?

しかたのない水
【新潮社】
井上荒野
定価 1,575円(税込)
2005/1
ISBN-4104731013
評価:A
 男と女という市場からどうしても戦線離脱したくない人々の物語。舞台は肉体が躍動するフィットネスクラブ。自分の市場価値を決定付けるのは異性の目と同性との争い、常にランク付けしながら生きている実感を味わう。一度は結婚という勇気ある撤退を選んだ人達まで再び参戦し、話はいよいよややこしい。かといって恋愛至上主義や、人を想う気持ちだけを描いているわけではない。恋愛を通して見据えているのは自分自身の孤独。前作の影の薄い脇役が主役になった途端、全く違った表情をみせる連作短編集であり、それは主観と客観の埋めがたい隙間とも言えるが、誰も彼もが隅に置けない、とは文字通りこのことだと思わず笑いが先に立つ。登場人物達は感受性が強く、傷ついた過去を背負う。昨日まで獲物だった自分が狩人に変身して…それで何かが埋まるのか。見つめる作家の眼はどこまでも冷徹。いや、しかたのない人たちだなぁ、とため息をついているような気がする。それにしてもこの作家は良く知っているなぁ、男の事や女の事、そして人間の事を。

九月が永遠に続けば
九月が永遠に続けば
【新潮社】
沼田まほかる
定価 各1,680円(税込)
2005/1
ISBN-4104734012
評価:B
 人物描写が秀逸なホラーサスペンス大賞作品。突然、息子の文彦が失踪した。それからの緊迫した数日間を描いている。翌日、二日後、三日後…そこに書き込まれるのは巧みな心理描写と其々の過去。母・佐知子が離婚後、関係を持った16歳年下の男の転落死と相俟って疑惑は深まる。別れた夫、精神科医の雄一郎や離婚の原因となった現在の妻・亜沙実、最後まで無邪気なのか不気味なのか判断がつかなかった大阪弁の隣人、服部など書き分けが非常に上手く最後まで緊張感が持続する。只、人物の掘り下げ方にムラがある為、先が読み易い点もあり、佐知子にとって将来の不安が払拭されたかのようなラストも少々安易。又、悲惨きわまりない亜沙実の過去や異常心理などは、『羊たちの沈黙』以降、大量生産されたアメリカ製ミステリに書き尽くされた感があるので、今後この路線は如何なものか。

背の眼
背の眼
【幻冬舎】
道尾秀介
定価 1,890円(税込)
2005/1
ISBN-434400731X
評価:C
 ワトソン君ならぬ道尾君の作品。表紙も怖いホラーサスペンス大賞特別賞受賞。389頁で2段組、ところが読み易くあっと言う間に読み終える。それが長所であり又…と言う作品。いきなり心霊写真から始まり、怖さに縮み上がる。でも次から次へとこれでもかと謎が提示されるにつれ、おいおい大丈夫かと心配になってきた。これは伏線なのか?それとも情景描写なのか解らないエピソードが積み上げられていく。人物描写もいかにも感が拭えないし。それで収拾がつくのか、ついたんですねぇ最終章で、ホームズならぬ霊現象探求家・真備庄介が、小骨のようにひっかかっていた問題を全て解明し、めでたしめでたし…ホントにそうなのか?とも思うのだが、意外なことに読後感は悪くない。なんとなく可笑しい雰囲気が漂うのだ。巻末の選評を読んで尚更この作品はパロディなのかと思ってしまった。

ユージニア
ユージニア
【角川書店】
恩田陸
定価 1,785円(税込)
2005/2
ISBN-404873573X
評価:A+
 2回、繰り返して読んだ。最初はその雰囲気に酔い、2回目は読み解こうと試みた。本当に様々な要素を濃縮した内容となっている。32年前の北陸K市の事件。毒殺された17人、生き残った盲目の美少女・緋紗子、事件から10年後に書かれた本、犯人が遺書を残して自殺した後も、事件関係者達はある一人の人間を疑っていた。事件当時、子供だった満喜子が多数の人間を取材し『忘れられた祝祭』を出版する、これが一度目の「過去の再構築」だが、今、又その同じ道のりを辿り複数の人間の声で語られる二度目の「過去の再構築」が始まる。「見られている人間」と「見えない人間」真実は一体何処にあるのか。解析してもこの不思議な魅力の中心には辿り着けず、信じやすい人間を揶揄しゴツゴツしたものをするりと飲み込ませた作家からの問いかけに答えられない自分がいる。是非、読んで味わって欲しい。ところで背景にある北陸の気候の厳しさを御存知だろうか?4ヶ月にわたる雨と雪の曇天、短い春、そしてフェーン現象で情景が歪んで見える程蒸し暑い夏…。

白の鳥と黒の鳥
白の鳥と黒の鳥
【角川書店】
いしいしんじ
定価 1,365円(税込)
2005/1
ISBN-4048735748
評価:A
 モノクロのセンスの良いカバー、でも一皮めくれば眼に痛いレモンイエローの姿を現す装丁。どこか世界の片隅で何事かに過剰な人々の日常を切り取って描いた19の情景。帯に「物語の魔法つかい」とある。表面を上手くコーティングし飲み下しやすくしているが、相当危ない魔法使いだと思う。度が過ぎた動物愛護か『しろねずみ』、「わしも南の生まれやさかい」と大阪弁のフォスターが登場する『オールド・ブラック・フォスター』、小学生が怖い「じじいのオカマ」マコの『紫の化粧』、健康志向なんのその、飲んで食べて生きる楽しみを満喫する平均寿命32歳『太ったひとばかりが住んでいる村』、『薄い金髪のジェーン』は段ボール村民たち(ホームレス)のカラオケ大会。左岸と右岸の対抗でどちらが勝つかで必死だが「この場所にいる奴は、はは、みんな負けだ」と自嘲する。白猫でも黒猫でもネズミを捕る猫が…と言った中国の指導者もいたが、白の鳥と黒の鳥はどうなのだろう。全てを白黒反転して見せた魔法使いにとっては、まぁどちらでも同じなのかもしれない。

笑酔亭梅寿謎解噺
笑酔亭梅寿謎解噺
【集英社】
田中啓文
定価 1,890円(税込)
2004/12
ISBN-4087747239
評価:AA
 関西弁アレルギーの方なら全身総毛立ち必至。 望郷の念断ち切れぬロード中の関西人である私ですら思う、こ、濃い…とびっきり濃い面子が勢揃い。挿画はあの成瀬國晴画伯、これだけで昇天…してる場合とちがう。松茸芸能の笑酔亭梅寿って? 松○芸能の笑福亭…この破天荒ぶりは、きっとあの亡くならはった…いや詮索したらあかん。田中さんかて万が一にも類似があっても偶然やて書いてはるし、こんなん想像したらキリが無い。超高級料亭「吉凶」て?未だ言うか。ほな肝心な中身の話、これがまた面白い!古典落語がらみの事件を、梅寿師匠にいやいや弟子入りしたトサカ頭の竜二がキッチリ謎解きする連作短編集かと最初は思った。お題は「たちきり線香」「らくだ」「時うどん」…いや上方落語とお笑いの世界がほんまに好きなんやわ、きっと。ええかげんな気持ちやった竜二もおんなじ。無茶苦茶な師匠、アーちゃん、アホな名前の兄弟子達や、古典落語の凄さを知って、なかなか素直にはみせへんけど、生まれて初めて本気になった。謎解噺としても面白いし、本家を敬愛するあまりの危ない小ネタもよう効いて、ほんま笑わしてもらいましたっ!

遺失物管理所
遺失物管理所
【新潮社】
ジークフリート・レンツ
定価 1,890円(税込)
2005/1
ISBN-4105900447
評価:A+
 北ドイツの感傷に貫かれた『アルネの遺品』とはガラリと雰囲気をかえた作品。古風で滑稽、陽気で上質な寓話的世界。連邦鉄道の遺失物管理所に着任した24歳のヘンリーが主人公。彼は、人は何て色々な物を忘れたり失くしたりするのかと驚く屈託の無い男。婚約指輪、僧服、鳥かごにはいったウソ、現金が縫いこまれた人形、…。落とし主に見出されるものや、うち捨てられオークションにかけられるもの。ドイツ語で「ものを失くした人」は「敗北者」の意味もあるらしい。遺失物管理所自体が掃き溜めの閑職、そこには大切なものと切り捨てられたものが混在する。探す人は紛失届に価格を書く。形見の品の値段は?探し当てた人も自分が正当な持ち主だと証明しなければならない。ヘンリーはナイフなら大道芸人に投げさせたり、芝居の台本なら台詞を暗唱させたりする。こんな事は現実にはありえないだろうが、その落し物が代替のきかない物か選別している様にも思える。失くしたものと取り戻したいものを見つける遺失物管理所。そこには後悔や不安、自責の念といった地雷が沢山ありそうだ。レンツ77歳の作品は、楽しくて遊びもあり味わい深い。

回転する世界の静止点
回転する世界の静止点
【河出書房新社】
パトリシア・ハイスミス
定価 2,520円(税込)
2005/1
ISBN-4309204252
評価:AA+
 ハイスミスは、こんな凄い作家だったのか。『太陽がいっぱい』の原作者という認識しかなく読み逃していたため心底驚いた。駄作がひとつも無いという絶品の作品集。作家の冴え渡る視線は何一つ見逃さず、全ての感情を汲み取り、そして何者にも感情移入しない。人の数だけ無数にある価値観、それらは対立を慎重に避ける事によって、其々不確かで頼りない自分の世界を守っている。それが思いがけず交差し否定され追い詰められた時、人間の心理はどうなるのか。登場人物の緊張がそのまま読み手を侵食し不安が大きな鎌首を持ち上げる。山の麓の小さな町がNYから来た男を拒否する訳は、偏狭な閉鎖性か彼自身の「ある種の性行」の為か。贋作名画を蒐集する男が、唯一の拠り所であった真贋を見極める目を否定された時、真っ直ぐ立つことも出来ないありのままの不完全な自分と対峙する。表題作『回転する世界の静止点』は公園で出会った階層の違う二人の女がお互いを憐れみあう。果たして公園を幸福な静止点にするのはどちらか。どこまでも果てしなく白黒がつかない余韻が続くが、華やいだ雰囲気を添えるビカレスク小説的要素もまた見逃せない。

ドッグメン
ドッグメン
【発行 柏艪舎
発売 星雲社】
ウィリアム・W・パトニー
定価 1,890円(税込)
2004/12
ISBN-4434052810
評価:B
 第二次世界大戦下、兵士と軍犬の友情を描いた感動のノンフィクヨン、帯のこの文句だけでじんわり涙が滲んでくる。読みきれるか?今までひたすら避け続けた動物がらみの話。
先ず著者が当時23歳の獣医師免許を持つ海兵隊員であることが、この物語を読み易くしている。「けなげで勇敢で忠実」な犬を、それ以上でも以下でもなく描いている。アメリカのグアム奪還に向けての軍用犬育成と実戦だから当然敵は日本だが、このことに関しても「残忍な征服者」を淡々と記述し、読み手にとっての背景の複雑さを感情的に煽ることはしていない。全ては四足の戦友、犬のために書かれた作品だと思う。著者は指揮官として、未だ10代の海兵隊員をドックハンドラーとして育て「ワン・マン・ドッグ」の組み合わせを作っていく。それが絆になり律儀に使命を果たす生き物を最前線に追いやるのだからやはり切ない話である。戦後、戦場にいた犬を薬殺処分から救う為、再訓練し社会復帰させるよう奔走する。長く獣医として働くことになる著者の姿勢が垣間見える。