年別
月別
勝手に目利き
単行本班
文庫本班

林 あゆ美

林 あゆ美の<<書評>>



ラッシュライフ

ラッシュライフ
【新潮文庫】
伊坂幸太郎
定価 660円(税込)
2005/5
ISBN-4101250227

評価:C
 ラッシュ――カタカナで書くと一律に聞こえるこの音に英語をあててみる。lash, lush, rash, rush と4種類もの英文字に置き換わり、4つの異なる意味を持つ言葉に響いてくる。物語は、かすかな接点をもつ4人について語られ、だまし絵を見ているような感覚を終始味わいながら、ゴール。
 だまし絵の醍醐味は、あり得なさそうな世界にリアリティがあること。もしかしたらそういうコトも起きるかもとすんなり納得できること。泥棒を生業にしている男がいる、自分だけはそうならないと思っていたのに失業してしまった男。新興宗教の教祖に心酔する男。愛人と結婚するために互いの配偶者を殺す計画をたてる女。どこでどう交わるのかを読むのが本書の牽引力だ。しかし、巧みな物語は、時に物語のための物語になってしまう。登場する魅力的な彼らへの愛が少なく感じたのは、この巧みさからだろうか。


さいはての二人

さいはての二人
【角川文庫】
鷺沢萠
定価 420円(税込)
2005/4
ISBN-4041853109

評価:A
 人情が細やかに描かれた3編が収録されている。「さいはての二人」は、美亜が出会った朴さんとの情愛が切々とつづられる。だが決してお涙ちょうだいの話ではない。互いの傷口をなめあうような関係になりそうな2人を、非常にうまいところでそうさせずに関係をしみじみ描いていて、ぐぐっとくる。傷をもっていても、自分のことだけを考えないようにしていれば、つながりも居場所も得られるのだという深い安心感がこの短い話にはある。
 人と交わるということは、緊張もうまれ、慣れあいも次第にうまれる。生きていくのにしんどくなった時に、誰かによりかかり言葉をかけてほしくなる。そんな自分の隙は、そう簡単には他人に見せられない。この短編集は、緊張をほぐし、言ってほしい言葉をかけてもらえる。久しぶりに心地よい切なさを味わった1冊で3編それぞれに楽しめる。もうこの作家の新作が読めないのはとても寂しい。


虹


【幻冬舎文庫】
吉本ばなな
定価 560円(税込)
2005/4
ISBN-4344406524

評価:A
 吉本ばななの世界の旅シリーズ(4)。純朴な主人公、瑛子が真面目に日々を過ごし、レストラン「虹」で働く。「虹」はタヒチレストランで、瑛子が自分のこなすべき仕事をきちんとこなしていく様は、物語とはいえ、読み手の私自身も整えられていくような、風通しのよさがある。その潔い姿勢は最後までつらぬかれ、再読でもあらためて新鮮に楽しんだ。
 シリーズ本だが、1冊ずつ独立した物語。美しい島タヒチがすぐに物語の舞台となるわけではなく、じわりと顔を出す程度で、その露出度がほどよい。瑛子が母親の急死により、心のバランスが悪くなったことから、ほんの少しドラマチックな展開をみせていくところからは、周りの音などいっさい聞こえなくなり物語の世界に没頭した。主人公の真面目ぶりがすごくわかりやすく描かれているからなのか、丁寧に生きているときっといいことあるんだよな、とベタな感想を素直にもちました。


俺はどしゃぶり

俺はどしゃぶり
【光文社文庫】
須藤靖貴
定価 660円(税込)
2005/4
ISBN-433473863X

評価:C
 吾郎さんは高校の先生。母校に就任した折に、アメリカンフットボール同好会を設立しようと画策する。夏目漱石の『坊っちゃん』現代版よろしく、個性的な先生方にはあだ名がつけられ、吾郎さんは表題の「どしゃぶり」。「呑んだら最後、必ず大酒を食らう」ということでつけられた。(ちなみに、『坊っちゃん』は吾郎先生の愛読書で、いままで30回読み、これから100回は再読するんだと宣言している)。
 青春に必須(?)のスポーツの汗、友情に先生の大酒、教師同士のオツキアイと、定番のアイテムいずれかだけを深くほりさげずに、それでいてバランスよく爽やかに描き読後感は悪くない。酒飲みの注文する肴はどれもおいしそうだし、ビールも日本酒もお相伴したくなる描写は好み。そしてそしてアメリカンフットボールに詳しくなくても、実況中継にはつりこまれて読んでしまう。ただあまりに爽やかな青春物語なので、時折、遠い目で読んでしまったのは年のせいか?!


世界は密室でできている。

世界は密室でできている。
【講談社文庫】
舞城王太郎
定価 470円(税込)
2005/4
ISBN-4062750678

評価:B+
 著者、舞城氏は平凡な日常をボリュームあげた強い言葉で見せてくれる。本書もそう。描いているのは、一皮むけば、どこの家族にもある葛藤であり、世間で起きている事件であり、それらを別のレベルで読ませてもらえるのが快感。
 僕の隣家に住む親友、ルンババこと番場潤二郎の姉涼子が、飛び降り自殺してしまったり、そのショックで男物の乳首のような湿疹がルンババの体中にでてきてしまったり、てな事は決して平凡ではない。でも読み込んでいくと、ふつうの生活にもでてきそうだなと諒解できてしまうのだ。多感な年頃、中三のルンババと僕は修学旅行で行った東京で、奇天烈な姉妹と出会い、ヒステリックな事件にまきこまれ、どんどんと非凡なことが続くのだけど、うんうんそうだよなぁと、共感してしまう。まぁ、どう考えてもそんなに数々の密室殺人事件には出会う人はいませんが、でも読んでみてください。奇妙な共感と納得がこの物語の魅力なんです。


珍妃の井戸

珍妃の井戸
【講談社文庫】
浅田次郎
定価 660円(税込)
2005/4
ISBN-4062750414

評価:C
 小さく深い井戸に、頭から投げ込まれてひとりの美しい妃が命を落とした。
 犯人は?
 物語の背景を解説から引用すると、この時「義和団運動と8か国連合軍の北京侵攻という歴史の事実」があり、その軍が北京を陥落させた直前に珍妃が井戸に沈められたのだ。犯人捜しは、ロシア、日本、イギリス、ドイツの4か国からの4人によって始められた。証言者7人が、当時の出来事を語る。語られる事柄は、事件の起きた場所こそ変わらないものの、事実と称されている事柄はいずれも一致することなく、違いを見せる。誰でもが犯人に見え、解決の糸口は語る人が増えるほどもつれていく。しかし、もつれるからこそ、不思議なリアリティを出し、次々と積み重なる証言を読み進む。人が入り交じるので、栞としてついていた主要登場人物一覧を参考に(非常に重宝した!)、ひとりひとりを覚えていく。見たことのない人物が近しく感じ、顔まで見えてくるようになった頃、物語は最後にきていた。美しい最後です。


安政五年の大脱走

安政五年の大脱走
【幻冬舎】
五十嵐貴久
定価 720円(税込)
2005/4
ISBN-4344406362

評価:C
 むかしむかし、ひとりの若者が恋をしました、一目惚れです、初恋です。しかしながら、その相手とはひと言も交わすことなく、恋は始まりもしませんでした。身分違い、年の差、さまざまな要因があったのですが、若者はその恋を心の奥に封印しました。それから24年、若者は井伊直弼と名を改め、境遇も一変し、いまや藩にとっての重要人物となったのです。そして偶然、初恋の人とそっくりの女性を見かけ、今度こそ手中にと強く願い……。
 すごいです。美しい姫を手に入れたいばかりの仕掛けが、何と大きいこと! 鬱屈した時の初恋ゆえ、その時を取り戻したかったのか。地位もお金も持っている今こそ、総動員して、ひとりの“心”を欲したすさまじさ。いやはや、見初められた方は大変な迷惑だろうと同情しつつ、美しく知的な姫を、そんな男に渡せるものかと守る男達は清々しく、脱走のアイディアには感服します。


百番目の男

百番目の男
【文春文庫】
ジャック・カーリィ
定価 810円(税込)
2005/4
ISBN-4167661969

評価:AA+
 ワープト・ア・クォート・オブ・ホアーズ、ワープト、ホワーズ……ラッツ。ラッツ。これらの文字が何を言いたいのか――。
 頭部切断事件が起きた。現場からは頭部は見つからず、死体には小さな文字が書き込まれていた。精神病理・社会病理捜査班に属している刑事、カーソン・ライダーはパートナーのハリーと共に、この頭部切断事件を解決しようとする。敵対する上司から数々の邪魔をされながらも、カーソンらは事件にくらいつき……。
 事件にだけまっすぐ突き進むのではない。しがらみを持った大人が事件を捜査するのだ。そのしがらみは時に仕事にもからんできて、人ごとのような事件が知り合いに起きたことのように読めてしまう――会社で働いた経験があるならば、無能な(としか思えない)上司と働くつらさがよくわかる。しかし、そのダメ上司を含め、登場するどの人物もキャラが立っていて、存在感があり、強い印象を残す。特に精神医学施設に入院している男性、ジェレミーの存在感は圧倒的だ。彼のもつ闇が、この物語に深い陰影を与えている。すごくよかった。


二度失われた娘

二度失われた娘
【文春文庫】
J・フィールディング
定価 870円(税込)
2005/4
ISBN-4167661950

評価:C
 シンディ・カーヴァーには2人の娘がいる。夫と離婚した時、上の娘ジュリアは父親を選び、シンディの元には次女のヘザーが残った。離婚から6年後、元夫が再婚し住んでいるところが手狭なため、ジュリアは母親のところに戻ることになる。一度、自分から離れた娘が戻ってきた。シンディは大喜びしたのだが……。
 表題にあるように、離婚がきっかけで失ったジュリアを、またもシンディは失ってしまう。今度は失踪で。大事なものを失い、それをまた繰り返すのはつらい。我が子であれば、なおのこと。うちのめされているシンディを、周りの女たちは励まし支える。娘のヘザーも、シンディの母親も妹も。
 家族がそれぞれに持つ感情は複雑だ。何がどうなっているか、いま動いていることで何を見極めなくてはいけないのかがわからなくなってしまう。でも読み手の私は一歩離れたところでシンディを見ているので、彼女がすでにわからなくなっているものがわかる、手放しそうになっているものが見える。そしてシンディにはわかるのかしら、と心配になる。ラストで、シンディは私に追いついてきてくれた。あなたの判断は正しい。


旅の終わりの音楽(上下)

旅の終わりの音楽(上下)
【新潮文庫】
エリック・F・ハンセン
定価 各700円(税込)
2005/5
ISBN-4102155317
ISBN-4102155325

評価:C
 悲劇のタイタニック号の話はご存知の方も多いだろう。この物語は設定こそ、タイタニック号の沈没というノンフィクションだが、物語を動かす楽士たちは、作者によるフィクション。1912年4月10日から15日までの5日間、その旅に出るまでの楽士たちの物語が奏でられる。沈没するドラマチックさより、人間ひとりひとりのストーリーが描かれる。
 私たちは自分たちの物語をもっている。もっていることに気づかない人もいるかもしれないが、誰しもがもっている。楽士たちはどうだったか。ヨーロッパ各国からきた彼らもまた、それぞれに独特の物語を抱えている。中でも、私はバンド・リーダーのジェイソンが印象に残った。医学部に在籍した時に受講した、遺伝と生殖の講義にはネズミが出てきた。数年後、医学から離れどん底の生活を送っていたジェイソンは、はたしてネズミがきっかけで引きこもっていた生活から外に出て楽士になっていく。生き続ける時のきっかけは、案外そういう所にあるのかもしれない。しかし、それも何もかも沈んでいくのだけれども……。