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磯部 智子の<<書評>>


いつかパラソルの下で
いつかパラソルの下で
【角川書店】
森絵都
定価 1,470円(税込)
2005/4
ISBN-4048735896
評価:A
 人間は選択の余地なく誰かの子供として生まれてくる。そして昨日まで子供だったはずが、いつの間にか誰かの親になっていて愕然とする。おいおい私が母親か。子供よ当然のような顔をして親を審判しようとするが、誰が、何が、誤解させたのだ?そんな権利があると。そんなあれこれを思いながら読んだ。父が亡くなった後、愛人がいたことを知る。あんなに潔癖で厳格だった父なのに。おまけに「絶倫」だったという…絶倫絶倫絶倫、聞いた野々の頭の中はそれだけになってしまう。そりゃそうだそんなの肉声で聞いたら、文字で読んだ私は爆笑してしまったが。当事者にとっての衝撃と距離を置いた視点の入れ子描写、そんな上手さが随所にありその度笑いがこみ上げる。結局3兄姉妹の「生きていた頃の父親」とルーツ探しが始まるのだがそこで得たものは…。親を一人の人間としてみることができた時、抱えていた葛藤、親の呪縛からの糸口もみえてくる。もちろんそうそう上手くはいかないが。それでも自分の人生なんとかしなきゃならない時は必ず訪れるのだ。

風味絶佳
【文藝春秋】
山田詠美
定価 1,290円(税込)
2005/5
ISBN-4163239308
評価:C
 「男は体」という女たちが登場し肉体労働者である男の風味を味わう短編集。それは体ばかりではなく人生そのものを味わいつくそうとする徹底的な貪欲さで最高の味わいを求め、大きな代償を支払うことになる。『夕餉』では裕福な夫を捨てごみ集積作業員である男のもとに走った女がひたすら料理をする。ジェノヴァ風ソースであえたじゃがいもをバゲットにのせたクロスティーニ、ミラノ風カツレツに山ほどのルコラ……「譲れない」彼女は間違っても彼のためにロースとんかつに山盛りの千切りキャベツなんかは作らない。その姿に愛とはどこまでも自身に帰依する思いなのだと戦慄すら覚える。作家は肉体労働者の醸し出す雰囲気に心魅かれ敬意を持ち、描写欲を刺激されこの作品集を書き上げたという。上手さが際立ち言葉の宝石のような作品だが主役はあくまで女王様である「私」であり、決して相手に染まらない自分の為の自家中毒的恋愛だと感じてしまう。果たして男は小腹のすいた時つまむキャラメルなのか?どこまでも一番の敬意の対象は自分だと感じる。


サラン
サラン
【文藝春秋】
荒山徹
定価 1,700円(税込)
2005/5
ISBN-4163239405
評価:B
 近くて遠い国、韓国が韓流ブームで一気に身近なものになった。いやいや日本と朝鮮には長く深い因縁があったのだ。端正な6編からなる短編集だが虚実が絡み合い思わぬひねりがきいている。何れの作品も秀吉の朝鮮出兵が大きく影を落とし日本と朝鮮の人々の運命を翻弄していく。漢字や仏教、それ以外にも多くの日本文化の源流が半島から伝わってきた。『匠の風、翔ける』では身分の低い朝鮮の「沙器匠」が200年の差別の歴史に決別し自ら望み望まれて日本に焼物を伝え「薩摩白焼き」が誕生する。逆に命の危機にさらされ日本を逃れ半島に渡り朝鮮の女として生きる決意の日々が朝鮮出兵で突然敵国の女「倭奴」に成り下がる皮肉。表題作は朝鮮最下層の身分、奴婢の少女「たあ」が両親を亡くし日本に渡ってから「朝鮮貴族の娘」と噂され数奇な運命を生きた挙句、思わぬところに着地する。いささか情に流され手前味噌な点も否めないが、古くから深い交流があった日本人と韓国・朝鮮人には同じ血が通っているのだという作家の熱い思いは充分に伝わってくる。

ベルカ、吠えないのか?
ベルカ、吠えないのか?
【文藝春秋】
古川日出男
定価 1,800円(税込)
2005/4
ISBN-4163239103
評価:A
 犬、犬、犬が登場する。読んでいる途中で犬の家系図、相関図を最初に作らなかったことを後悔する。笑う話ではないのだが、行間に地雷のように黒い笑いが潜んでおり時折私の中で小爆発を繰り返す。この作品は20世紀を人間ではなく犬の歴史として再構築したもので人間の愚行を犬の運命として映し出していく。犬が生まれ犬が死ぬ、凄い濃度に圧縮された生命が凄い勢いで地球上を駆け巡っていく。読みながらそのスピード感に翻弄されていく。始まりはキスカ島に取り残された4匹の軍用犬、彼らが純血種を守りながら、混血を繰り返しながら複雑に絡み合い歴史を紡いでいく。作家は20世紀は戦争の世紀、軍用犬の世紀だという。初めて宇宙を旅する「偉業」をなしとげソ連に「冷戦を制す」と言わしめたのも2匹のライカ犬。地球は犬の惑星なのか。ライカ犬の名前を受け継いだ雄犬がベルカ、雌犬ストレルカの名前は人間の少女ヤクザの娘に受け継がれる。物語を読み終えて高揚感と共にどっと疲れが押し寄せた。最後まで尻尾をつかめなかった正体不明の怪作。

シーセッド・ヒーセッド
シーセッド・ヒーセッド
【実業之日本社】
柴田よしき
定価 1,785円(税込)
2005/4
ISBN-4408534714
評価:B+
 主人公のハナちゃんは甘ちゃんの子供っぽい男、いつもならこれだけでキライな作品になるはずが、いやいやこれが面白くて。無認可保育園の園長兼私立探偵というありえない設定で、しかもその筋の親分に生命保険を担保にした数千万の借金まで背負っている。どうなっているんだハナちゃん、それは保育園のための借金か?お人よし過ぎるよ、と思わず肩入れしてしまう。ハナちゃんが引き受ける依頼の数々をハラハラしながら一緒に追いかけながら、赤ちゃんのオムツも替えるし事件も追いかけるカッコ悪い男のカッコよさを感じてしまう。新宿が舞台ということもあって登場人物たちがなんとも濃いキャラだが、ギリギリのところでリアリティを持っている。人気歌手のストーカー、極悪山内の隠し子、大学教授の○○疑惑の3本立てだが、どれも重苦しい深みに陥るのを軽妙な筆致ですくい上げて程よき具合。甘い男の甘くない生き方、ハナちゃんの人間性が際立っている。

私という運命について
私という運命について
【角川書店】
白石一文
定価 1,680円(税込)
2005/4
ISBN-4048736078
評価:D
 29歳から40歳までの揺れる10年を描き上手くその時代を取り込んではいるのだが、男女雇用機会均等法を時代背景とした総合職の女性を主人公に据えたことが、古風な考えの作家にとってはどうなのかな?という一作。せっかく総合職で入社できたのに次に立ちはだかるのは結婚の壁。どうして男はあっさり都合の良い女を手に入れるのに女は都合の良い男がなかなか手に入れられないのか。君に尽くす為に生まれてきたと朝から味噌汁をつくり片足ずつストッキングを履かせてくれないのか。仕事に疲れ言葉が少なく不機嫌な時はじっと耐え優しい言葉をかけた途端顔を輝かせる、そんな男はどこかにいないのか。(それも又ウザイが)そんなジレンマを抱える女性たちにとってツッコミどころ満載。特にトンチンカンだと思うのが、男は男同士の競争を強いられるが、女は女同士で争うこともなければ、本来男とはライバルとなりえない、というくだりに作家の無理解、頑迷さが透けて見える。これが運命と言うならば…特にラストの「運命」の使い方に不快感を覚える。

ぼくが愛したゴウスト
ぼくが愛したゴウスト
【中央公論新社】
打海文三
定価 1,470円(税込)
2005/4
ISBN-4120036324
評価:C
 パラレルワールドには文学刑事やネアンデルタール人以外にも、まさかこんな人々がいるなんて…。小学五年生の翔太が夏休み初めてひとりでコンサートへ行った帰り人身事故に遭遇する。その日から何かが変わった。さっき母と電話で話したはずなのに母は記憶がないという。それにこの腐ったような匂いは一体何なのだ。そしてもっと決定的なことには「ぼく」以外の家族の体にはあるものがついていて外見はそっくりなのに「心」を持たない人々であった。警察や自衛隊に追いかけられ実験動物のように扱われながら、この迷い込んだ悪夢のような世界から果たして元の世界に戻ることが出来るのか?そういう展開かと思ったのだが、それが思わぬ方向へと。少年が11歳という年齢からは考えられない幼稚な趣味嗜好でありながら言動は年齢を凌いでいると言う現代っ子らしからぬ人物造形に疑問があり、またタイトルの意味にいたる展開が唐突すぎる。だからこの結論なのだと言われればそれまでだが、リアリティがほしい部分にもそれがないため説得力に欠ける。

家、家にあらず
家、家にあらず
【集英社】
松井今朝子
定価 1,995円(税込)
2005/4
ISBN-4087747522
評価:B
 ある種の雰囲気がある時代ミステリ。行間から鬢付け油が匂いたち、妖しさうごめく女ばかりの大名家の奥御殿が舞台。北町奉行所の同心の17歳になる娘、瑞江が御奉公に上がるところから物語が始まる。御年寄の「おば様」浦尾がいるもののそこは魑魅魍魎とした「言葉の端々にどんな針が隠されているか」わかったものではない世界。瑞江と一緒にのぞき見る楽しみも人が殺されるまでの話、不穏な陰りが一気に現実のものとなる。一方、瑞江の父、笹岡伊織も謎の心中事件を追ううち…。一件無関係に見える大名屋敷内と江戸市中の事件が繋がる時、瑞江の秘密も解き明かされていく。「美しい化け物」と形容される歌舞伎の立女形、荻野沢之丞も登場しおどろおどろしい雰囲気を盛り上げるが、作家の歌舞伎に対する造詣の深さが反映し正体が知れぬ危うさと1本スジの通った役者像が見事に絡み合う。細部に至るまで手抜かりが無い緻密な時代描写に暫し異世界に誘われます。

むこうだんばら亭
むこうだんばら亭
【新潮社】
乙川優三郎
定価 1,575円(税込)
2005/3
ISBN-4104393029
評価:AA
 凄い…玄人のお仕事です。どっぷり物語世界に入り込み、読んでいるあいだずっと耳元で荒々しいだんばら波の音と吹きすさぶ海風を聞いていた気がする。舞台は江戸時代の銚子、居酒屋「いなさ屋」をたかと営む幸助は「女稼ぎの口入れ」という裏の顔をもつ。この8編の連作短編集は、何れも貧しさから自分の意思で何ひとつ選ぶことが出来ず追い詰められ、それでも懸命に生きぬこうとする人々が描かれている。過去を重い荷物のように背負う老女、これから背負い込む決意をする年若い娘、匂いたつような美しさのたかも例外ではなく、ひりひりするような痛みをそれは美しい文章で紡いでいく。どうしてこの過酷な物語に惹かれていくのか。挫折感にみちた人間像でありながら、自己憐憫に陥ることなく孤独を道連れにスッと背筋を伸ばしたその立ち姿は美しく忘れがたい印象を残していく。運命に抗う事など出来ない、そんな諦めを身にまとっているかのような幸助も、やがて「さきのことは分からないが、やってみるさ」という決断を下す。その姿に何があっても損なわれることのない人間の心ばえ、力強さに希望をつなぐ作家の姿勢を見た気がする。

ベジタブルハイツ物語
ベジタブルハイツ物語
【光文社】
藤野千夜
定価 1,575円(税込)
2005/4
ISBN-4334924557
評価:B+
 苦手な脱力系の話かと思ったが…その2階建てのアパートには其々の部屋に野菜の名前がつけられている、Aがアボカド、Bがブロッコリーという具合。大家の娘さやかが親にウケたい一心で小学生の頃命名し、高校生になった今では懐かしげにその頃の話を持ち出す父親を「現状認識が甘い」と思っている。そんな大家一家とアパートの住人たちの連作短編集。夏休みに短い家出をし親のカードでキャッシングした15万円を返すためホカ弁屋でアルバイトをするさやかは、自分を「動機もやり口も金額」もマトモな範囲のいい子ちゃんで、予備校生の兄の事も「キショいだけで普通」だと思っている。アボカドの住人かずみは、そんなさやかを地主の娘なのにバイトなんかして、きっと優しくて偽善者のパパの方針だと考え「憎い、この娘が憎い」と思う。こういう人生の側面をユーモラスにさらっと描くのが本当に上手い。本格的に様々なものを背負い込む人生が始動する前、世界の片隅で猶予期間を生きる人々の、それでも悩みの尽きない毎日が切り取られている秀作。