WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2008年3月 >佐々木康彦の書評
評価:
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」とは有名な「草枕」の一文ですが、組織の一員として日々生活しているとこの言葉が本当に身に沁みます。しかし、同じように組織の一員として働く人間でも本作の主人公竜崎伸也のように自分の中に確固たる信念があり、それを貫くことが一番の目的であり、またその為にはどのような苦労もいとわない人間にとっては特に関心を引かない言葉なのかも知れません。作中竜崎が言う「(中略)正論が通用しないのなら、世の中のほうが間違っているんだ」という台詞は彼のキャラクターをとてもよく表しています。
本作は連続殺人の犯人探しが主題ではなく、警察という組織の矛盾を竜崎という変人(人間としては正しい行動をしているのですが)を通して描くことで浮き彫りにした小説です。組織人として、また親としても、考えさせられるところの多い作品でした。
評価:
アカシア商店街、幸子書房の老主人、覚智寺、そして昭和四十年半ばといった共通の設定の中で起こる不思議な出来事。「面白い」と同時に「うまい!」という印象が読後に残ります。ひとつひとつの物語に直接の繋がりはないのですが、最後の短篇「枯葉の天使」でひとつの謎が明らかになった瞬間、全篇を貫く一本の線が浮かび上がり、七つの短篇がひとつの長編小説のようになるのです。
本作では人間の描き方がステレオタイプではなく、人というものは見る角度により善人にも悪人にも見える、といった考えのもとに描かれているような気がします。ここらへんは作品の印象も含めて浅田次郎の短篇小説に似ているな、と感じました。
また、全篇通じて流行歌が物語にちょっとしたアクセントを加えていて、「おんなごころ」の最後に『いいじゃないの幸せならば』が流れるところなんかは、どうしようもなく切ない気持ちになりました。
四十代から五十代の方はわかるところが多い作品ではないでしょうか。
評価:
解説にもあるように、乙一「夏と花火と私の死体」での死体の一人称語りを初めて読んだ時には驚いたものですが、収録されている「少女架刑」を読んで、何十年も前に既に使われていた手法だというのがわかり、またまた驚いた次第です。
世の中にはすぐれた作品を書く作家さんがたくさん存在していて、また世間にとってはすぐれた作品でなくても自分にとってはかけがえのない作品というのもあって、そういうものを全部読んでいこうとしたら膨大な時間が必要になるのですが、限られた時間の中、このような短篇集で未読だった作家さんの作品を一篇だけとはいえ読めるというのは非常に貴重な読書体験だと思います。
収録されている山口瞳「穴―考える人たち」がとても面白かったので、「考える人たち」を購入しようとしたら既に絶版または重版未定とのことでした。ということは本屋さんで気になったものを買うだけだったら出会えなかった作品なわけで、そういう意味でもやはり貴重な読書体験でした。
評価:
人間の脳は「指を曲げる」といった随意運動が意識的に開始される約一秒くらい前に、既にその準備となる無意識の活動を始めているのだそうです。じゃあ、その無意識の活動を始めようとするのは「私」以外の何なのか?「私」という存在が自由意志によって行っていると思っているいろいろな行動も、実は脳内の何かによって決定されているのでしょうか?そういったことで言うと、本作で錯乱状態の「私」が書き残す「錯文」も、「私」という意識以外の何か別のものが書いているとしても不思議ではありません。
本作では自分が分裂していく感覚をアミービックと表現していますが、このような感覚というのは主人公の肉体にも関係しているのかも知れません。サプリメントと漬物以外はほとんどものを食べない主人公。減量中のボクサーの五感が鋭敏になっているのに似ているような気がします。
「蛇にピアス」よりはこちらの方が好きなタイプの作品でした。「蛇にピアス」があわなかった人も読んでみてはどうでしょうか。
評価:
まわりから特別な存在と思われたいというのは、多かれ少なかれ誰にでもある気持ちなのですが、これが多すぎる人は他人に対する嫉妬心ばかりが大きくて、人の足を引っ張ることで自分が浮上しようとしたりします。自分自身の能力を高めないと、そういうことは意味がないのですが、想像する能力が決定的に欠けているのですね。
そのような想像力の欠如した人たちから嫌がらせをうけながらも、かつて「ゴッドハンド」と呼ばれたエステティシャン、サリ、と同じ高みにのぼっていく主人公の麻美、その過程を読んでいくのは面白かった。サリの存在は物語の背景にずっとくっついているものの、死の謎など細部がなかなか明らかにならないのですが、最後の最後、本当に残り少なくなったページ数のところで全てが明らかになった時には、麻美の奮闘に夢中になっており、自分の中でサリの死の謎について考える意識が薄かったので、驚きがありました。ミステリー要素がなかったとしても楽しめる作品です。
評価:
生き埋めにされた人間を探して救出するだけの話に上下巻必要なのか?果たして自分はこの退屈に耐えられるのか?と読む前までは思っていましたが、全世界でシリーズ二百万部も売れている本作がそれだけの話なわけがなく、当然ながら杞憂でございました。退屈どころか、だれてきそうな中盤から後半にかけて新事実がタイミングよく挿入されるので、最後まで飽きずに読むことが出来ます。
ただ、これは小説で読むよりも映像として観た方が、より面白そうですね。登場する魅力的な女性たちを映像で観てみたいですし、特に最後の方のアクションシーンなんかは良い意味で映画にありそうなクライマックスシーンで、映像で観ると迫力がありそうです。
冒頭、いきなりのジョークも面白く、主人公グレイス警視も愛すべきキャラクターで、奥さんのこととか色々な謎が明らかになっていくなら、このシリーズ読んでいきたいです。
評価:
タイトル通り本作は数独というパズルが事件の鍵を握ります。数独については敬愛する池乃めだか師匠が最近ハマっているというくらいの情報しか持っていませんでしたが、本作を読む前に何問かやってみるとこれがなかなか面白い。パズルを解くのに必要なのは論理的思考とヒラメキ、どちらも事件を解決するのに必要な要素で、ミステリーとの相性は良いのかも知れませんね。
事件を解いていく過程もよいのですが、人付き合いの苦手な主人公ケイティが人と普通に接しようと努力する姿に好感がもてました。感受性の強い人間にとって、この世界は悪意の塊のように感じる時があると思います。でも「これだけは人に負けない」という何かを持つことと、人と接する時の少しの工夫で何とか世界と折り合いをつけられるんじゃないだろうか、と本作を読んで感じました。
「ケイティはオタク」、ケイティの部分に自分の名前を入れても違和感がないと思える人は読むと良いと思います。
句点と鉤括弧の少ない文章に関西弁やリズムの良い言葉がのっかり、読んでいて非常に気持ちが好い。短篇小説?詩集?それともエッセイなのか、カテゴライズ不能(不要)の作品集。
この人の作品は読んだ時の心地よさももちろんですが、収録作「少女はおしっこの不安を爆破、心はあせるわ」の「湯の中でおしっこをしてもいいお母さんしてはいけないお母さん/どうしてあたしはいけないお母さんの子に生まれたの」のようにしょうもないことを形而上的な問題として持ち出すセンスと、それをさらに笑いにまで昇華させるところが秀逸なのです。
芥川龍之介賞受賞作「乳と卵」と比べると、「わたくし率 イン 歯ー、または世界」や本作はちょっと荒っぽい感じですが、逆にそれがドライブ感のようなものを生み出していて、それもまたひとつの魅力になっているのではないでしょうか。
タイトルの奇抜さに敬遠される方がいるかも知れませんが、心に突き刺さる七篇の作品、是非とも体感して頂きたい。きっと、ハマりますよ。
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