コラム / 高橋良平

天下御免的断続SF話 極私的番外編
「父の本棚」

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 初めて、父の本棚を覗いたのは、いつだったか。そのとき読んだ本のことは憶えているのに、時期はとなると、いささか漠然としている。

 そこで久々、昔むかしの読書ノートを引っ張りだしてみると、なぜか借本リストに日付の記入がなく、高校三年の春から、アポロ11号が月面着陸に成功する夏----予備校の夏期講習受講を口実に、悪友たちと上京する夏休み前----までの期間としか判らない。

 家の決めごとだったのか、高校生になると、月々決まった額の小遣いがもらえるようになったけれど、雑誌だけでも毎月、〈SーFマガジン〉〈話の特集〉〈海〉〈ユリイカ〉----その夏の予備校の近く、高田馬場の未来堂で〈パイディア〉の5号を発見するが、季刊誌なので、ひと安心(?)----〈COM〉〈ガロ〉〈ビッグコミック〉〈ヤングコミック〉〈プレイコミック〉を買い、ときおりの〈平凡パンチ〉や〈週刊プレイボーイ〉、〈漫画アクション〉などの青年漫画誌に手を出していたのだから、足りるわけがない。

 それでも、やりくりして、その春から夏休み前までに入手した本を挙げれば、安部公房『燃えつきた地図』(9刷・新潮社)、カフカ『変身』、カミュ『異邦人』『シジフォスの神話』、サガン『悲しみよこんにちは』(以上、新潮文庫)を書店で買っていた。

 古本のほうは、自転車通学の下校時によく立ち寄っていた講文堂----市内でいちばん大きな古本屋で、〈SーFマガジン〉のバックナンバーもあらかた揃うくらい重宝したものだが、跡継ぎがいなかったのか、世紀の変わり目あたりに店仕舞いして以後、雨戸が閉まったままだ----で、ヴォネガット『猫のゆりかご』(ハヤカワ・ノヴェルズ)、安部公房『砂の女』(函なし2刷・新潮社)、コリン・ウィルソン『宗教と反抗人』(3刷・紀伊國屋書店)、ロブ=グリエ『新しい小説のために』(新潮社)を見つけたくらい。

 SFがほとんどないのは、はやくも飽きがきていたからで、改めて見直すきっかけとなるディッシュの「リスの檻」を、〈SーFマガジン〉の"新しい波"特集で読むのは、この夏の終わりのこと。

 そして、掛け持ちしていた学校のクラブ活動のひとつ、社研部の部室にあった大江健三郎『見るまえに跳べ』(新潮社)と『われらの文学 大江健三郎』(講談社)を借りて読み、大学生になって不在の兄の本棚からは、大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社)、赤い箱入りのコンパクトな集英社版日本文学全集の『芥川龍之介集』と『安部公房集』を抜いて読んでもいた。

 おまけに、雑誌や参考書が主で間口二間ほどの狭い高英堂では、カーター・ブラウンなど薄めの軽ハードボイルド系ポケミスや〈SーFマガジン〉の横に置かれた〈SMマガジン〉の立ち読みに勤しんでいたんだから、受験勉強なんて、いつしてたんだろう。

 そんな折り、読む本がなくなったある夜、父の本棚を覗いてみようと思った。

 父が本を読んでいる姿を見たことはなかったが、家では全国紙、地方紙、地元紙と新聞を三紙とっており、新聞と一緒に〈週刊朝日〉が届き、駅前の本屋さんから、子供たちそれぞれの学年誌とは別に、〈文藝春秋〉を配達してもらっており(文春に父の大学時代の友人がいることを、就職時に知ることになる)、母は〈暮しの手帖〉をとっていたから、活字と無縁の家庭ではなく、事務所の父の机のうしろには大きな本箱があった。

 みんなが寝静まった階下に降りて事務所の明りをつけると、本箱の磨硝子の戸を引いて中を物色した。

 ほとんどが建築関係のチンプンカンプン本だったが、片隅に人文書があり、気軽に読めそうな寺田寅彦の『柿の種』と吉村冬彦の『橡の實』の2冊を抜いたのだった。

 それから一浪、大学入学と生家を離れて下宿暮らしがはじまり、父の本のことは、すっかり忘れていた。何年かして、一級建築士を取得した兄と父の共同設計で、家を改築することになり、置いてきた本を緊急避難させるため帰省し、ついでにと、父の本棚からも目についた本を、断って一緒にダンボール箱に入れた。このどさくさで、「バーバレラ」などの海外コミックの載っていた〈プレイボーイ・クレイジイ〉が全冊行方不明になってしまい、現在にいたるも見つからない。どこに消えたやら......。

 就職して以来、法事以外、年に一度、大晦日に帰省し、三が日すぎに帰途につくのを習いとしているが、先の正月休み、バッグに詰めたミステリの文庫本を読みつくして困っていたところ、ふと父の本のことを思い出し、二階の洗面所の後ろのスチール棚に、〈少年〉の漫画付録なんかと一緒に収めてある父の本の中から一冊抜き出した。

 それは一冊だけあった翻訳書の『アナトオル・フランス短篇小説全集』で、寝床で読み耽った。読み終わり、ふ〜ん、親父は昔、こんな本買ってたのかと、ちょっぴり感傷的になって本を改めていると、表三に書きこまれたサインに初めて気づいた。

 そこにあったのは、仏壇の上の壁にかけられた軍服姿の写真でしか知らない叔父の名前だった。

 父の蔵書とばかり思っていたのだが、驚きつつ確かめてみると、叔父の署名のある本が3冊まじっていた。

 竹内富子・編『哲學教養講座 第一巻 教養としての哲學』(三笠書房・昭和十四年十月十五日發行・豫約定價一圓五十錢/ 外地定價一圓六十五錢)
 同編『哲學教養講座 第二巻 現代の哲學』(三笠書房・昭和十四年十一月十五日發行・豫約定價一圓五十錢/ 外地定價一圓六十五錢)
 『アナトオル・フランス短篇小説全集第四巻』(譯者代表・山内義雄/白水社・昭和14年12月23日發行・定價一圓五十錢)

 昭和14年の秋から年末に出た本ばかりだ。いつ、買ったのかは判らないが、おそらく出征前に求め、祖父母のもとに残していったのだろうか。それがどうして、父の本棚にあったかは、知るべくもない。

 振り返ってみると、叔父の話を、祖父母や両親からなにか聞いた覚えがない。南洋の島で戦死したことだけしか、知らない。命日が昭和20年6月1日だというのは、高橋家之墓の墓石から判かっているが......。

 集英社版『昭和戦争文学全集6 南海の死闘』の解説で、編集委員のひとり、大岡昇平氏はこう結んでいる。
「昭和十九年----二十年の南方での戦闘は、今次戦争の最も悲惨な詳細に満ちている。大本営は、もはや勝利の見込みなく、ただ最後まで敵に一矢を報いるという軍人の情念によって作戦を立てていた。そのため多くの招集兵或いは非戦闘員が、犠牲にならなければならなかったのは不幸であった」

 残りの----父の本を、記入してある購入日順に並べると、
〈二三(1948).五.一九.(豊橋にて)〉
會津八一『渾齋随筆』(創元社・昭和十七年十月三十日發行/昭和廿二年三月三十一日三版發行・定價 金四十五圓)
〈二三(1948).五.一九.(豊橋にて)〉
山口誓子『句集 晩刻』(創元社・昭和二十二年十二月十五日初版發行・定價七十圓)
〈1948.7.10.〉
倉田百三『愛と認識の出發』(小山書店・昭和二十四年五月三十日發行・定價百九十圓)
〈1948.9.13.〉
中野重治『齋藤茂吉ノオト』(筑摩書房・昭和二十三年五月十日發行・定價百參拾圓)
〈1948.9.27.〉
三木清『讀書と人生』(小山書店・昭和二十三年一月二十日發行/昭和二十三年九月十日四刷發行・定價百四十圓)
〈1948.11.5.〉
吉村冬彦『橡の實』(小山書店・昭和二十三年九月二十日發行・定價貮百圓)
〈1948.11.22. 〉
つだ さうきち『ニホン人の思想的態度』(中央公論社・昭和二十三年十月十五日初版發行・定價一〇〇圓)
〈1948.11.28. 〉
龜井勝一郎『大和古寺風物誌』(養徳社・昭和十八年四月二十日初版發行/昭和廿三年十月三十日第六版發行・定價参百圓)
〈1948.12.11. 〉
寺田寅彦『柿の種』(小山書店・昭和二三年一一月一五日發行・定價二〇〇圓)
〈1948.12.31. 〉
深田康算『藝術に就いて』(岩波書店・昭和二十三年十二月二十日第一刷發行・定價貮百貮拾圓)
〈1948.12.31. 〉
中谷宇吉郎『續 冬の華』(養徳社・昭和十五年七月五日初版發行/昭和廿三年十一月二十日十一版發行・定價貮百八拾圓)
〈1950.8.30  東京にて〉
和辻哲郎『古寺巡禮』(岩波書店・大正八年五月二十三日第一刷發行/昭和十四年六月二十日第十五刷發行・定價貮圓五拾錢)

 以下4冊は、購入期日の記入はない。
Francis Carco,PALACE EGYPTE Roman (Albin Michel,1933)
田島清『速修佛蘭西語』(白水社・昭和11年6月30日發行/昭和15年4月20日五版發行・定價八十錢)*「東京帝大工学部建築科」と記入あり
野上豊一郎『能の話』(岩波書店/ 岩波新書62・昭和十五年四月二十七日發行)
清水幾太郎『心の法則』(古今書院・昭和十五年十二月十七日發行/昭和十五年十二月二十日再版・定價貮圓)
小宮豊隆『漱石襍記』(小山書店 昭和十年五月十日發行・昭和十七年四月十五日第八刷發行・定價貮圓)

 本誌の連載の最初のころに書いたが、戦争が終わってから、満洲から引き揚げてきて母が佐世保の港に着いたのが昭和21年の7月、その2年近くあと、抑留されていた父は、昭和23年5月に舞鶴に辿りついた。大学時代に買ったと思われる本を除けばみんな、故郷の土を踏んですぐからのものだ。父は、戦争のことを一言も語らなかったし、ぼくも敢えて訊くこともなかった。

 ただ一度だけ、こんなことがあった。なにを言ったかも覚えてないが、なにかの流れで、ソ連の肩を持つような物言いを----たぶん小生意気に----ぼくがしたところ、普段口数の少ない父が突然、烈火のごとく怒り、ロシア人のことを罵ったのだ。小突かれもしたが、反抗期のぼくも、あっけにとられるばかりだった。

 そういえば、母にしても、満洲時代を懐かしげに話すことはあったが、朝鮮人には悪感情しか抱いていない口ぶりだった。

 たまたま、藤原ていの『流れる星は生きている』を読んでいたぼくには、その気持ちをなんとなく察せられた。その満洲からの引き揚げの記録を収めた前記全集のうちの『流離の日々』を、中三のときの副担任から押しつけられて読んだせいで、日本という"国家"に好感がもてなくなり、ぼくは非国民になろうと思ったくらいだ。

 この夏、父の二十三回忌だった。

 いくら父の遺した本を読んでも、それらの本を求めたときの父の気持ちも、読後の感慨も、推し量ることなどできもしないが、それでも時折、手にとって読み返してみれば、蔵書としてずっと残しておいた理由に、いつか気づくかもしれない。

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