『遠きにありて』西川美和
●今回の書評担当者●文教堂書店青戸店 青柳将人
スポーツ誌「Sports Graphic Number(以下Number)」が大好きだ。
とは言っても、贔屓にしているスポーツチームがある訳ではない。それにスポーツの祭典が開催される度に必ず視聴する程に執心する事もないし、今も昔もスポーツ行事に積極的に参加するような柄ではない。けれど、とにかくNumberが大好きだ。
Numberが好きな理由の一つとして、一般人には想像もつかない程の鍛錬によって研ぎ澄まされた精神と肉体を賭してスポーツに臨む姿勢への憧憬がある。
「子供の頃にスポーツで活躍していたら、どんな人生になっていただろう」
これは映画監督、そして作家としても著名な著者が冒頭で語っている一文。
Numberの紙面を飾ってきたアスリート達に自分を重ね合わせ続けてきた私達と同じ目線で語られているのが嬉しかった。そして誰しもが幼い頃に描いた、どんなに背伸びをしても、努力を積み重ねても届くことのなかった夢や目標も含めて、この一文に詰め込まれている気がして、ずっと忘れていたあの頃のやり場のない悔しさや憤りが蘇ってきて、目頭を熱くさせてくれた。
こうして第一回の連載から読者と同じ背丈から言葉を綴ってくれるので、贔屓にしている選手の活躍に一喜一憂する姿が目に浮かぶようで微笑ましい。
またBリーグの試合を観戦した際のコラムでは、地域のコミュニティーの中にスポーツチームがある事の大切さをこう綴っている。
「地域と人心には、仮装と馬鹿騒ぎが不可欠なのかもしれない。身のほどばかりを知らされながら地味な日常を生き切るのは辛い。元は地域ごとに根付いた「祭り」の場で生活者たちは年に幾度か羽目を外すきっかけを得て、(中略)団結や愛を育んだはずだった。生活が暗ければ暗いほど、祭りは明るく輝くだろう。サッカーやハロウィンの夜に渋谷が滅茶苦茶になるのも、東京という街に方々からやってきた若い人が気安く加われる祭りが他になかったということではないかとも思う」
このさりげない一文から、様々な物事に対して多面的に深く思慮する技量の高さが伺い知れる。そしてこの観察眼こそが西川美和という国内外で活躍する映画監督、作家としてのポテンシャルを高く保ち続けられる秘訣なのだろう。そしてあらゆる場面に於いて、その時の一瞬一瞬全てを楽しんでいるというのが文面からひしひしと伝わってくる。
アスリートとは、それぞれの試合や競技に於いて、勝敗や順位という絶対的な結果を常に突きつけられ、常人では計り知れないプレッシャーの中、常に結果を求められる職業だ。
私達が日々生活している日常や社会では、勝敗や順位が曖昧な事柄が非常に多い。何が正しくて、何が間違っているのか。不透明すぎて、ふと立ち止まれば、一体何を目標に進んでいたのかと先が見えなくなってしまう事も多い。そんな時、試合や競技の中、どんな逆境でも、圧倒的な敗北という結果が待ち受けているとしても、真っ直ぐに前だけを見つめ、今のこの一瞬に出来得る全てを注いで戦うアスリートの姿は観る者に勇気を与えてくれる。彼等は決して諦めない。「またチャンスは来る」と。
アスリート達やスポーツの魅力、そして存在意義が読者の視点から静逸に語られる中で、常にベンチウォーマーであり続けてきた者達にも手を差し伸べてくれるような言葉に溢れているのも嬉しい。言葉遣いが荒くなるけれども、本書をスポーツファンだけに独り占めさせるのは勿体無さすぎる。
- 『こといづ』高木正勝 (2018年12月20日更新)
- 『コーネルの箱』チャールズ・シミック (2018年11月15日更新)
- 『オイスター・ボーイの憂鬱な死』ティム・バートン (2018年10月18日更新)
-
- 文教堂書店青戸店 青柳将人
- 1983年千葉県生まれ。高校時代は地元の美学校、専門予備校でデッサン、デザインを勉強していたが、途中で映画、実験映像の世界に魅力を感じて、高校卒業後は映画学校を経て映像研究所へと進む。その後、文教堂書店に入社し、王子台店、ユーカリが丘店を経て現在青戸店にて文芸、文庫、新書、人文書、理工書、コミック等のジャンルを担当している。専門学校時代は服飾学校やミュージシャン志望の友人達と映画や映像を制作してばかりいたので、この業界に入る前は音楽や映画、絵、服飾の事で頭の中がいっぱいでした。