『そして、バトンは渡された』瀬尾まいこ

●今回の書評担当者●勝木書店本店 樋口麻衣

  • そして、バトンは渡された
  • 『そして、バトンは渡された』
    瀬尾まいこ
    文藝春秋
    1,590円(税込)
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 読みながら幸せな気分になる、読んだ後幸せな気持ちで満たされる、そういう小説を読んだ経験はたくさんあります。でも、読んだ後、日にちが経っても、その幸せがずっと続いていて、思わず笑顔になってしまうような経験はそれほど多くはありません。

 今回紹介させていただく『そして、バトンは渡された』瀬尾まいこ(文藝春秋)を読んでから、私はずっと穏やかで温かく、幸せな気持ちでいることができています。時には辛かったり、沈んでしまうこともありますが、ふと、この家族のことを思い出して、そして自分が大切に思う人のことを思い浮かべて、笑顔になれるのです。

 主人公は17歳の森宮優子。現在は37歳の父親・森宮さんと二人で暮らしています。優子には父親が三人、母親が二人います。生まれたときは水戸優子で、その後、田中優子となり、そのまた次は泉ヶ原優子となり、現在の森宮優子に至るといった具合に、17年間で苗字は3回変わり、家族の形態は7回も変わりました。

 ここまで書くと、たいていの人は幸せではない、辛いストーリーを想像すると思います。でも、第一章は、こんな書き出しから始まります。

 困った。全然不幸ではないのだ。少しでも厄介なことや困難を抱えていればいいのだけど、適当なものは見当たらない。

 この書き出しの通り、この作品はとにかく幸せな作品なのです。

 優子に関わる人たちがみんないい人で、みんなのことが大好きになりました。母親の梨花さんの、優子のためならどんなことだってできてしまう行動力のある優しさが大好きだし、2度目の父親の泉ヶ原さんの威厳のある渋い優しさも大好きだし、今の父親の森宮さんのぎこちないけれども心の底から優子のことを大切に思う優しさが大好きです。森宮さんの、父親としてのぎこちなさが本当に微笑ましくて、でも優子のことを大切に思う気持ちには揺らぎがなくて、やはりこの二人はまぎれもない「家族」なのです。おいしい食事に、楽しい会話、そして相手を大切に思う気持ちに満ちた、優子と森宮さんのやりとりを見ているだけで、この上ない幸せを感じられます。

 優子の親たちは、いわゆる「普通」ではなくて、強さも弱さも持っているのですが、でもみんな優子のことを大切に思っていて、それぞれの形の愛があります。家族の形にも、愛し方の形にも、「こうあるべき」という決まりはなくて当然なのだということが、すんなりと心に沁みてくる作品です。

 誰かのことを大切に思えるということがどんなに幸せなことなのか、この物語をラストまで読んで、もう一度冒頭のシーンを読んでみてください。幸せってきっと特別なものではなくて、こういう場面の、こういう時の気持ちを積み重ねていくことなんだと強く感じました。

 誰かのことも自分のことも大切にしたくなるし、今、自分がこうやって人とのつながりの中で生きているのが本当に幸せなのだと気づくことのできる作品です。すべての人におすすめします。

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勝木書店本店 樋口麻衣
勝木書店本店 樋口麻衣
1982年生まれ。文庫・文芸書担当。本を売ることが難しくて、楽しくて、夢中になっているうちに、気がつけばこの歳になっていました。わりと何でも読みますが、歴史・時代小説はちょっと苦手。趣味は散歩。特技は想像を膨らませること。おとなしいですが、本のことになるとよく喋ります。福井に来られる機会がありましたら、お店を見に来ていただけると嬉しいです。