『まともがゆれる』木ノ戸昌幸

●今回の書評担当者●ときわ書房志津ステーションビル店 日野剛広

  • まともがゆれる ―常識をやめる「スウィング」の実験
  • 『まともがゆれる ―常識をやめる「スウィング」の実験』
    木ノ戸昌幸
    朝日出版社
    1,716円(税込)
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 京都に『スウィング』という名のNPO法人があります。ひと言で言えばいわゆる障害者支援のための福祉団体です。障害を持つ人たちによる近隣での奉仕活動を運営し、更には彼らの表現活動も支援しています。

 ここでいろいろヘンな先入観を持つ人はいると思います。正直、私も例外ではありません。実際に行ったことも見たことも体験したこともないのに。それは福祉団体への、というよりも障害者の人たちへの先入観、偏見であり、今自分が"健常者"として生きていることを当たり前と思っている私たちが背負っている非常に厄介なものです。

 しかしこのスウィングでは、そうした先入観、偏見をことごとく打ち破り、私たちの固い頭を解きほぐす一風変わった取り組みがなされています。

 その取り組みの例を挙げると、

・どうでもいい話ばかりで終わる朝礼
・戦隊もののコスプレで町内ゴミ拾い「ゴミコロレンジャー」
・京都人力交通案内
・芸術創作活動「オレたちひょうげん族」

 などなど、お前らふざけとるんか?と怒りだす人もいそうですが、これらの常識破り、おふざけとも取れるユニークな活動にはひとつひとつ意味があります。そしてスウィングに集まる人びとが実に楽しそうに実践しているのです。その楽しさにこそ肝があります。

 スウィング主宰の木ノ戸昌幸さんが、これまでの活動や、それを通じて感じたこと、学んだことを楽しく、時に鋭く、重く書き記した手記がこの1冊です。

 タイトルは『まともがゆれる』。ゆれている「まとも」とは何か?ということに重きを置きながら読み進めた先に、私たちの価値観を大きく崩してくれるような読書体験が待っています。

 著者の木ノ戸さんは、子どもから学生時代に味わった息苦しさや、就職先、特に今の生き方の伏線となった福祉施設での凝り固まった職場の常識から「生きづらさ」を体感し、それを打ち破る決意をします。

 従来の福祉施設が、障害者を"こちら"側の論理による上から目線で型にはめていくことを目的とするならば、スウィングのしようとしていることは真逆と言って良いでしょう。

 マジョリティの論理からしか生まれない「まとも」を疑うこと。スウィングの活動はそこから始まります。「まともであること」から皆を解放し、人生を楽しむこと。それは自身の生き方の解放でもあるのです。

 一見アホらしく見えるスウィングの活動には意味があると書きました。

 どうでもいい話ばかりの朝礼は、「どうでもよくないこと」ばかりの朝礼の息苦しさからの解放と彼らの存在意義を示す場。戦隊コスプレのゴミ拾いは、地域貢献と本人たちの楽しみという一石二鳥、などなど。

 これらの活動がおふざけと言えるほどのユニークさに溢れていることの根底にあるのは、何より生きていくことを楽しみたいという、本来誰もが持っているエネルギーです。そのエネルギーを上手に引き出し、常識を破る突破口としての遊び心が、このスウィングを何より特徴づけていることと言えるでしょう。

「常識」「まともであること」からはみ出し、はみ出たものも全てあるがままに包みこむには、知恵と勇気と度量が必要なんです。しかしその活動の先にはみんなで楽しく生きていくことに、わざわざ勇気や度量など必要としない社会があるのです。ともに生きて行こう!という意志を具現化するための、スウィングの企みと実験は続きます。

 もうひとつ木ノ戸さんのすごいところは、これらの活動を良かれと思ってしている自分自身を更に疑っていることです。本当に彼らのためになっているのか?ということを常に考えているのです。

 どの取り組みも、今でこそ楽しんで参加する障害者の人たちによって支えられていますが、世の偏見に晒されて生きてきた彼らを慮ることには幾重にも思慮を重ねることが必要で、木ノ戸さんでさえもこの葛藤から逃れることは出来ません。その辺りの心情を余すところ無く伝えきることで、この本が照らし出すものが明確になります。

 それは差別、憎悪の本質です。

 かつて、金子みすゞは「みんなちがって、みんないい」とい言いましたが、それから約100年後の現在、「みんなおんなじで、みんないい」、「みんなおんなじじゃないとだめ」、更にエスカレートして「みんなと違う奴は許すな、置いていけ、閉め出せ!」と言い出す連中までいるのが現実です。

 差別というものは、みんなが全て同じであるという前提に立つことで発生します。みんな1人1人が違うことを認め合えば、差別は生まれないのです。ところがその差別を助長することに"貢献"しているのが「常識」です。私たちは常識をなかなか手放すことが出来ません。それが正しいと思い込まされて生きているからです。常識から逸脱したものをなかなか認められないのです。もちろん、今これを書いている私自身も同じです。

 今、世の中に渦巻く憎悪の重さの正体は一体何だろうか?と考えることが多くなりました。そんな中、私たちがいつまでも「常識」「まともであること」にとらわれていることが憎悪の肥大化に手を貸している側面もあるはずです。

 この本のタイトルは『まともがゆれる』です。ゆれている「まとも」とは私たちの常識であり、必死に常識を守ろうとすることなんです。しかし、そこから解放された先にこそ、本当の自由と、生きやすい世の中があると本書は教えてくれます。本書が、スウィングの取り組みが全てをフラットにしていく。新しい世界はそこから初めて誕生します。

 最後に、本書で気がついたことがあります。表紙の『まともがゆれる』のフォントです。「まともが」がゴシック体、「ゆれる」が丸ゴシック体です。この細やかさは、さりげなくことの本質を浮かび上がらせる本書そのものと言えるでしょう。

 この本は私たちの眼に幾つも重なったウロコを1枚1枚はがしてくれます。私の目にもまだまだウロコがこんなについていたのか、と思わずにいられません。

 こうした本を勧められる幸福がある限り、私もまだ書店員を続ける意志を維持していけそうです。

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ときわ書房志津ステーションビル店 日野剛広
ときわ書房志津ステーションビル店 日野剛広
1968年横浜市生まれ 千葉県育ち。ビールとカレーがやめられない中年書店員。職歴四半世紀。気がつきゃオレも本屋のおやじさん。しかし天職と思えるようになったのはほんの3年前。それまでは死んでいたも同然。ここ数年の状況の悪化と危機感が転機となり、色々始めるも悪戦苦闘中。しかし少しずつ萌芽が…?基本ノンフィクション読み。近年はブレイディみかこ、梯久美子、武田砂鉄、笙野頼子、栗原康、といった方々の作品を愛読。人生の1曲は bloodthirsty butchers "7月"。